1-1-3
「今夜はこれでどうかしら? セイアス」
色とりどりの
「少し地味かしらねえ、あなたには良く映るのだけれど。マリアセリアはもっと華やかな色の方が好きなのかしら? だとしたら、私が織ったものよりも、パキラリウムが織ってくれたものの方が――」
「何だっていいですから早くして下さい、湯冷めしてしまいそうです」
濡れた髪を布でさばさばと拭いて乾かしながら、アルセイアスは少しげんなりとして訴えた。初夏とはいえ、山里の夜は肌寒い。湯上りにいつまでも
「そういうわけにはいかないの」
セルクシイルは諭すようにそう言って、
「いいわ、この二つから、どちらかを選んで頂戴」
両腕に二着の上襲を掛けて、セルクシイルはそれらを広げながらアルセイアスに見せた。
「ではその、あなたが右手で持っている方にして下さい」
たいして考える素振りも見せずに、アルセイアスは紺青の地の方を選んだ。セルクシイルが冬の一月をかけて丹念に織り、丁寧に刺繍を施して、春になってようやく仕立て上げた夏物の上襲である。
「こっちでいいの?」
「ええ、あなたの織物の方が、リウムのものより身体に馴染んで着心地がいいんです」
「それってただ、着慣れて古くなってきているだけの気もするわね」
まるで自分たちの関係のようだと思いながら、セルクシイルは馴れた手つきでアルセイアスに衣を着付けてゆく。七つも年下のうら若い夫を、更に幼い新妻のもとへと送り出す為に。
「さあ、出来た。動いていいわよ、セイアス」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
緑と青の色違いの目を細めるようにして、セルクシイルはふわりと微笑むと、床敷きや寝台の上に散乱した衣類を拾い集めて、一枚一枚丁寧に折りたたみ始めた。
「手伝いましょうか?」
「構わないわよ。それよりも早く髪を梳かして、額飾りを着けるのも忘れないでね」
言いながらセルクシイルは、机に置いた平たい箱を指さした。
「……どれのことです?」
箱の中を覗き込んでアルセイアスは途方にくれた。箱に敷かれた柔らかな布地の上には、少なくない数の宝飾品が整然と並べられていた。
「よく見て頂戴。あなたが今、身に着けている帯飾りと、揃いになっているのがあるでしょう?」
「……ああ、これ……、ですね、わかりました」
アルセイアスは銀細工の額飾りを一つ取り上げて、片手で額髪を掻き上げると、金属鏡を眺めながら無造作に額に嵌めた。アルセイアスの髪の納まり具合が気に入らないセルクシイルは、背後から夫の肩に手を添えて、その頭にすいと手を伸ばした。
「パキラリウムは辛いでしょうね……」
まだ僅かに湿り気を帯びている、アルセイアスの青銀の髪を手櫛でそっと整えながら、セルクシイルはぽつりと漏らした。
「どうしてそのように思うんです?」
「あなたが、パキラリウムと結婚した時の私が、そうだったから」
「それは――」
思いもよらぬ告白に、アルセイアスは驚いてセルクシイルを振り返った。
「あなたが? 何故です?」
アルセイアスとの結婚は、セルクシイルにとっては再婚にあたる。
彼女が前夫を亡くしてから、既に四年もの歳月が流れていたが、セルクシイルの心を大きく占める存在が、未だ自分ではないことを、アルセイアスは自覚していた。
「男にはね、わからないことよ、きっと」
セルクシイルは微かに唇を歪めて、アルセイアスにくるりと背を向けると、再び取り散らかした衣類を片付け始めた。
「
シルヴの血を伝える子を生むのが私たちの役割。なのに一度も孕みもしないうちに、夫に新しい妻をあてがわれてしまうなんて、ね。子を生せぬ女と、決めつけられてしまったようなものだわ」
「子ができないのは、私にも責任があることでしょう。あなたやリウムばかりが思い悩むことではないかと思いますが?」
「頭では理解していてもね、心が伴わないことがあるのよ、セイアス」
はねつけるようにそう言われて、アルセイアスは口をつぐんだ。セルクシイルは家事の手を止めることはなく、俯いた後ろ姿からはその表情が伺えない。
「アクタイオンに嫁してから、十年を越すのよ……。私はもう、子を持つことを諦めてしまったけれど、パキラリウムはまだ二十歳にも満たないのですものね。まだまだこれからという気概があるだけに、マリアセリアに割り込まれてしまうのは悔しいのだと思うわ。それに彼女は、あなたのことがとても好きだから……、昔の私よりも、きっとずっと苦しいでしょうね」
「無情な事を平気でおっしゃる方ですね、シイル」
アルセイアスはしばらく静かに耳を傾けていたが、おもむろに口を割ると拗ねたような口振りでセルクシイルを咎めた。
「あなたの言い方ではまるで、あなたが私を嫌っているように聞こえるではありませんか」
「それは極端な考えだわ。私はちゃんとセイアスの事、好きよ」
振り返ることもせずに、素っ気無く答えたセルクシイルを、アルセイアスは堪らず後ろから抱き締めた。
慣れ親しんだ肉体が柔らかく腕に収まり、漂う甘い芳香が彼の甘えを冗長させる。匂うような白い肌に吸い寄せられるようにして、アルセイアスはセルクシイルの項に唇を這わせた。
「こら、駄目よ――。マリアセリアが待っているわ」
婚礼の儀式に臨む前に、新郎は新婦の室へ三夜続けて通う慣わしである。今朝方マリアセリアと約束をしてきたように、これから彼女の室へ向かわねばならないことはわかっていたが、アルセイアスはセルクシイルを放さなかった。
「もう少しあなたと一緒にいたいんです、いけませんか?」
「馬鹿を言って困らせないで、セイアス」
やんわりと
「女はね、他の女の香りに敏感なものよ。ましてマリアセリアは
「セリアはまだ、ほんの子供です」
「少女でも幼女でも女は女なのよ。あの子はもう、私やパキラリウムと同じに、あなたの
セルクシイルは毅然と告げて、まるで駄々っ子のように意固地になる、アルセイアスの腕からするりと逃れた。
「早く行っていらっしゃい。新婚の花嫁を、あまり不安にさせるものではないわ」
「……そうですね」
聞き分けの良い返事とは裏腹に、アルセイアスはセルクシイルの肩を掴むと、懲りることなく引き戻した。
「セイアス――!!」
「わかっていますよ。ああ、せめてあなたが、ほんの少しでもセリアに妬いて下さったら、こんなにも諦めが悪くはなりませんのに」
「欲張りね、あなたは。きっとパキラリウムが、私の分まで妬いてくれているわ」
「私はあなたに妬いて欲しいんです、シイル」
「……ご免なさいね」
アルセイアスをそっと抱き締め返して、慰めるようにその背を撫でながら、セルクシイルは寂しげに詫びた。
「謝らないで下さい。余計に虚しくなるではありませんか」
「だけど嘘はつけないわ。自分の心にも、あなたにも」
セルクシイルの誠実さが、冷ややかにアルセイアスを切り裂いてゆく――。
亡夫を忘れえぬセルクシイルが、彼の面影を宿した自分を拒みきれないことを、アルセイアスは承知していた。だからこそもどかしい絆で、結ばれているのだということも。
「私は兄上が好きでした。兄のようになれればと尊敬もしていました。けれど、あなたの心を縛って逝ってしまったことだけは、どうしても許すことができません」
アルセイアスは想いを断つようにして、セルクシイルを解放した。少年の日に憧れ見上げていた義姉そのままに、今も彼女の傍らには、喪われた兄アクタイオンの影が寄り添っているように思える。
「行ってきます、シイル」
「……ええ、行ってらっしゃい」
掠るように口付けを交わして、アルセイアスはセルクシイルと暮らす室を後にした。
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