you said that
izu
he/
星に目をつけた。
君たちが適任なんだ。
だから、私は。
▱
「真の支配者は校長じゃなくて時計ですよね」
急に起き上がったことで鳴ったスプリング音が、それまで部屋に響いていた秒針の音を一瞬だけ消す。
「急にどうした」
「……2点」
「返答に点数つけるのやめろ」
だって、と唇を尖らせた。「急にどうした」は唐突に脈絡のない言葉を発した人物に向けるときに出る、ありがちな返し。つまらない。
少しだけ空いた窓から心地いい風が入ってくる。部屋の中の空気が回って、先生の白衣の裾がふわりと浮いた。病院とはまた違う、保健室特有の匂い。
「で、俺にもわかるように説明してもらえる?」
私は背中をもう一度ベッドにつける。カチ、カチ、と等しく刻まれる音が、今日はなんだか一段と癪。
「学校で1番偉いのって校長じゃないですか。式典でのやたら長い話に退屈しながらも直接文句は言えないし。世界史とかで出てくる支配者たちと似た感覚なのかなーとか。そこに至るまでの年月があってこそだってわかってますけど、にしても毎度毎度話が長すぎて……」
「論点ずれてんぞ」
ああ、つい。でも誰もが脳裏をかすったことくらいはあるでしょう。偉人の話とか、過去の栄光とか、ほどほどが最善だなあと感じるんですが、どうですか。
先生の指摘を受けた私はこほんと咳をしてから、60度くらいの角度をつけて壁に掛けられた時計を指した。
「ムカつきません? あいつ」
「……前の話題からの脈絡のなさ、どうにかならないか」
「えっ、わかりませんか」
「校長への愚痴から時計に対する怒り。この移り変わりについていけるわけないだろうが」
はあ、とため息をつきながらこちらを見てくる。よく話すようになって1年になろうとしているこの時期に、まだまだですね先生。
「生徒も先生もチャイムを軸に動いてる。それはこの学校の支配者である校長も同じです」
また体を起こして、保健室の入り口近くの座高を測る機械に腰掛ける。これの正式名称って何なんだろう。
「要するに」
「ここの支配者は校長じゃなくて時計、と」
被せるようにして先生が言った。私は指をパチンと鳴らす。無事成功。
「さっきも言いましたけど、校長はそこに立つまでの実績と年月があるじゃないですか。でも時計は違う。その上、『時間は不可逆』とか……偉業を成し遂げたわけでもないのに、めちゃくちゃ偉そう」
「相変わらずお前の観点はイカれてんな」
「それはどうも、褒め言葉です」
舌打ちをしながらもその口角は上がっている。視線はパソコンの画面に向けたままだ。
「……最近できたもの、ありますか」
私の問いに先生は、来い、と顎で促した。生徒に対する態度としていかがなものか。いや、それはブーメランかな。
ゆっくり立ち上がって椅子に座ったままの先生の左隣へ。その間先生は鞄からイヤホンを取り出してスマホに繋いだ。
「はい」
右側を差し出され、受け取る。予想外。もう曲として出来上がっているなんて。イヤホンから聞こえるのは話すトーンよりも高い先生の歌声。それに合わせてパソコンに表示された歌詞を目で追っていく。この瞬間は嗅覚も味覚も触覚もいらない。聴覚と視覚に捧げなければ。
「________どう?」
先生が私の顔を見上げた。柔らかな風が肌を撫でる。
「ここの後ろで流れてるギターがすごく好きです。あとサビ前のこの部分のキーボード、普通なら音が上がりそうだけど下がってて歌詞とぴったりだなって。2番の頭でピタッと止まるドラムが最強。作文用紙20枚分くらいの感想書けそうです!」
机の上の万年筆を手にとって、パソコンの画面にある文字をなぞる。ふ、と先生は静かに笑った。
「ほんと、よく注目してんのな」
その言葉が嬉しくて、プリーツスカートをひらりと揺らす。
言葉と音楽。
なかったら生きてこれなかったし、これからもそうなんだろうと強く思う。
時にとびきり華やかな夢を、またある時には目を背けたくなるほどの現実を。
あらゆる作品たちから送られるメッセージは、私に多大な影響を与えてくれた。次元や方向性の違いとかで色々とジャンルが分けられているけど、私の基準は『私の中にどれだけ残るか』、それに尽きる。
大前提として、100%残らないものなんてない。良くも悪くも私に何かしらの変化をもたらしてくれる。それはきっと、作り手の思いがこれでもかと詰め込まれたものだから。
先生の曲は私にとって圧倒的に前者。趣味で曲作りをしていることを知ったのは本当に偶然だった。
ちょうど去年の今頃、高1の6月。水泳の授業後の世界史、これは寝る。そう確信した私はどうせならと保健室にやって来た。髪が濡れたままというのも嫌だったし、ゆっくりしたかった。とにかく休憩が短い。体育の後はいつも思う。水泳となると尚更。……あ、今思えばこれも時間のせい。ますます腹立たしいな。おっと、また脱線。まあそのおかげで先生に出会えたわけだからよしとする。
保健室に来た理由に選んだのは「プールに入ったせいでお腹が冷えて気持ち悪い」だったと思う。とはいえ演技力なんて持ち合わせていない。
保健室の手前にあるトイレ。鏡で見た顔色は良好。加えてリップを塗り直した。そんな風に嘘を隠す気もないような私を先生は追い返そうとしなかった。ペンと用紙を渡してきて、
「左からクラス、名前、症状ね」
とだけ。記入後は2つあるうちの奥、窓際のベッドを選んでカーテンを閉めた。髪が吸い込んだ水分を肩にかけていたタオルで拭き取りながら、初めて話した先生のやる気なし男っぷりに笑みを浮かべた。時々サボり来ることが決定した、記念すべき瞬間。
その頃の私は高校生活に幻滅していた。思ったよりも面白さが欠けていて、それは自由もまた然り。校則が厳しいとかそういう類いではなく。
来たいと思わせるものがない。帰宅部のくせにと言われればそれまで、でも目を引く部活もなかったし。このままあと2年過ごすことに嫌悪感を抱いていた。すごくすごく勿体ない気がして。
制服との隙間、雫が首に落ちて背中を伝う。プールの後の気怠さは異常。結局濡れたままの髪でベッドに寝転んだ。
カチ、カチ、カチ。今まで耳に入ってこなかった時を刻む音が、異様なほど大きく聞こえた。襲ってきたのは不安。そう一言で表現するのは違う気がするけれど、貧相な語彙力で対応できるのはここまでだ。
追い払いたくても追い払えない。意識すればするほど、秒針の音はボリュームを上げたように思えた。そんな私の耳に突如として飛び込んできたのが、曲。
『メリーゴーランドは煌びやか
あいもかわらず回る回る
上下する馬 所詮他人の力だろ
理不尽の中に1つだけ
ドラマがあればそれでいい
妥協じゃないから自惚れるな』
そこで、途切れた。流れたのはどう考えても一部分。けれどその数秒は私を呪縛から解放するには十分で。アップテンポ、でもどこか儚い。好きだと思った、ものすごく。
すぐさま飛び起きてカーテンを勢いよく開けた。スリッパを履くのも忘れ、先生に詰め寄った。
「今の、誰の曲ですか!! 作詞は? 作曲は? 編曲は? 歌ってるアーティストは?」
先生は「近い」と私の顔を遠ざけてからその手を首に添えて、目を逸らした。そして口をゆっくりと開いた。
「……全部、俺だけど」
それが1番最初の、ちゃんとした会話。先生は趣味で曲作りをしている人だった。このときはイヤホンを繋いだつもりで流してしまったらしい。うっかりに感謝。
あるときは歌詞だけ、またあるときはメロディーラインだけ。そのどれもが私の中の『好き』を掻き立てる。学校に来る理由が、できた。勘違いしないでもらいたいのが、先生に対して恋愛感情は全く湧かない。笑っちゃうくらい。しいて言うなら、先生の世界観を愛している。
「……でも、まだ足りない」
「だから、急に脈絡のないこと言うのやめろって。怖えわ」
「頑張って汲み取ってください、先生ならできます」
「何目線だよ」
過去の記憶と比べても
去年、保健室にはどの生徒よりも通った。これは予想じゃない。先生からのお墨付き。一般的にはありがたくない保証だろうと思いながらも、私は嬉しさを感じていた。何の意志も持たず学校に来続けるほど、私はぼんやりと生きていない。意味を提供してくれた先生と、それを享受することが許された空間には大いに感謝している。ただ、もっと欲を出していいのなら。
目のピントを合わせず、一点を見つめる。眼精疲労に効くと信じて意図的にやっているこれは、聴覚を鈍らせる。出典は私。呼ばれていることに全くもって気がつかなかった。
「どこの世界いってんだ、5回は呼んだぞ」
「……25点」
「1日に2回も採点すんな」
口から出る言葉の赤点率をどうにかしてから言ってくださいよ、先生。
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