決着
「……コッホ? ああ。あの老人ですか」
しばらく経ってから返ってきたビートの声は、女のように優しく、ひどく気取っていて、まるで高価な貴金属か不動産を売りつけようとしているセールスマンのようだった。
銃声と悲鳴の響く娼館で、裸の女を自分の盾としている卑劣な男には、まったく似つかわしくない。
「あんな年寄りが死んだからって……そんなに怒らなければならないようなことですか?」
「!?」
思いもかけないビートの言葉に、ボニーの憤怒の温度がさらに上がった。
ベッドの陰から用心深く頭を出し、相手の状態を確認しようとする。すかさずビートが発砲してきた。ビートの狙いは悪くなかったので、ボニーは大急ぎで頭を引っ込めなければならなかったが、敵の位置を知るにはそれで十分だった。
ビートはスイートルームの奥の壁にぴったり背中をつけて立っている。
女を自分の前に立たせ、背後から左腕を女の首に回して動けないようにしている。ビートの体は女の後ろにほぼ完全に隠れていて、狙い撃ちは困難だ。
「人間というのは、いつかは死ぬものです。知っていますか? 連邦中央統計局のデータによると、フロンティアの住民の推定平均寿命は六十四歳だそうです。あのコッホという老人は見たところ、もうその年齢を超えていました。もし我々が手を下さなかったとしても、それほど長くは生きられなかったはずですよ、どっちみち。
我々は野蛮人ではありません。これも"仕事”としてやってますからね。大事なのは経済的効率です。……見せしめに町の人間を殺すのに、若い人間ではなく、最も損失の少なそうな老人を選んであげたのですから……むしろ感謝してほしいぐらいですよ」
「あっ、あんた…………本気で言ってるの、そんなこと!?」
「もちろん。お互い銃を持っている状態で、冗談など言いませんよ」
たしかに、ビートの声は完全に真剣だった。
ボニーはベッドの底に背中をつけてしゃがみ込み、唇を噛みしめた。
スイートルームの外ではあいかわらず銃声と断末魔の悲鳴が響いている。銃撃戦が続いている、ということは、店主はまだ一人で奮闘を続けているということだ。店主の腕前が噂通りなら、敵を狙い撃ちできる絶好のポジションを手に入れている今、そうそうやられることはないだろう。
一方、スイートルームの中は膠着状態だ。
横倒しになった巨大なベッドをはさんで、ボニーとビートは対峙している。
ボニーはベッドの陰に隠れている。ビートは女を盾にして立っている。お互いに攻撃できない。
「女の子の後ろに隠れるなんて、恥ずかしいと思わないの、この腰抜け野郎!?」
無駄だろうな、とは思ったがボニーは叫ばずにはいられなかった。案の定、相手からはしれっとした言葉が返ってきた。
「合理的な行動は、えてして勇気とは相いれないものですよ」
「お年寄りに、女の子。あんたが狙うのは弱い相手ばっかりね。腕に自信があるんなら、人質なんか放して、かかってきなさいよ。サシで勝負したらどうなの?」
ビートが深く息を吐く気配が伝わってきた。
ややあって再び聞こえてきた男の声は、それまでと口調が変わっていた。
「おまえも、わかっていないようですね。この世界の真実が。
世界を動かすのは《力》ではない。勝つのは必ずしも、力の強い者ではない。世界を動かしているのは金です。経済原理ですよ。物理的な強さなど、圧倒的なマネーの奔流の前では水に浮かぶ木の葉同然です。
おまえは確かに強い。さっきの動きから見て……おそらく戦争中に身体を改造された元兵士でしょう。けれども、その強さは、まったくおまえの役には立っていない。どんなに強くても、おまえは辺境で暮らす名もなき貧乏人にすぎない。
少し考え方を変えてみてはどうですか。無駄に持て余しているおまえの強さを、金に換えるのです。
もしおまえにその気があれば、ゴライアスでおまえを雇ってやってもいいですよ。おまえのような脳筋でもゴライアスの名前ぐらいは聞いたことがあるでしょう。人の手の届くすべての宇宙を支配する最大、最強の資本です。味わってみたくはないですか、巨大企業に所属するという絶対的な安心感と優越感を?」
まるで何かにとりつかれたかのような饒舌。
しかし、ボニーは途中から注意を払っていなかった。
「……あんたが何しゃべってるのか、ひとこともわかんないわよ!!」
膠着状態を破るきっかけにならないかという一縷の望みを託して、ベッドの陰から一瞬だけ体を出して威嚇射撃。ビートの頭のほんの少し上を狙って撃った(人質にされている女はビートより若干背が低いので、当たる可能性はほとんどない)。
銃撃に、ビートはわずかに首をすくめたが、それでも姿勢は崩さない。女をがっちりホールドしたまま、依然として隙を見せない。ボニーが本気で狙っては来ないだろうと確信しているような態度だ。
そのとき。
室内にギ、ギ、ギ、ギィィィッという異音が響いた。
聞き慣れない音なので正体が気になったが、それを確かめるためだけにベッドの陰から顔を再び出すのは危険だ。ボニーは隠れたままの姿勢で、ただ異音に耳をそばだてた。
ビートはボニーの隠れている方向に顔を向けたまま、眼球の動きだけで音の発生源を見て取ろうとしていた。
音の正体は、窓にはまっている鉄格子だった。
二つのたおやかな白い手が鉄格子を握り、あり得ない怪力でひん曲げつつある。
異音は、無理に変形させられた金属のあげる悲鳴だ。
窓のすぐ外に立って鉄格子を力づくでこじ開けようとしているのは、キャンディ・ダビッドソンだった。
キャンディはあっという間に、格子を曲げて自分の体が通る程度のスペースを作ることに成功した。
窓の強化透明プラスチックを蹴破って、室内へ飛び込んできた。レースのついたコーラルピンクのスカートが朝日の中ではためいた。
「やっぱりあなたとはカタをつけておくことにしましたわ♡ ……くたばりさらせ、このド外道がぁっ!」
キャンディが叫ぶのと、ビートが壁に背中をつけたまま右腕をまっすぐ右へ伸ばし、銃の狙いをキャンディに向けるのとは同時だった。
ぴんと伸ばされたその腕は、人質の女という盾から突き出された格好の的だった。
ボニーは、銃を握るビートの手を狙い撃った。ボニーの射線がビートの銃に命中すると同時に銃のエネルギーカートリッジが爆発し、ビートの手と前腕が半分ぐらいまで吹き飛んだ。
銃声を耳にし、自分が狙われたと勘違いしたキャンディが反射的に
ビートは女を離し、床に膝をついた。ぼたぼたと大量の血をしたたらせる右腕を左手でかたく握りしめ、顔をひき歪めている。
ビートに最終的にとどめを刺したのはボニーとキャンディのどちらなのか、結局わからないままだった。
二人はほぼ同じタイミングで発砲したのだ。
いつの間にか娼館は死の静けさに満たされていた。
店主がビートの子分たちを全滅させたのだろう。サロンからはもはや何の物音も響いてこなかった。
スイートルームに
ボニーは、キャンディがひん曲げた鉄格子を眺めた。
キャンディは、ボニーが倒した巨大なベッドを眺めた。
そしてお互いに顔を見合わせた。
「どう見ても、やっぱりうまくいってないよね。ゴライアス・プログラムのアンインストール」
「そうみたいですわね。まあ、いいんじゃありませんこと? 怪力もたまには役に立ちますし」
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