妙な男たちに脅されました

 何事もなく平穏な日々など、そんなに長くは続かない。人生それほど甘くない。


 そんなことぐらい、とっくにわかっていてもよさそうなものだったのだ。




 最近のボニーは、得意客への商品の配達を任されることが増えていた。


「カズマの店」では配達の仕事が多い。決まった曜日に一定の商品を届ける約束になっている家もあれば、客が自分で持ち帰るには重すぎる商品をあとで家まで届ける場合もある。


 配達の仕事は好きだった。


 狭い店内で、また何かにぶつかって壊してしまうんじゃないかとびくびくしながら働くより、のんびり戸外を歩いていた方が楽しい。外の空気を吸えるのも良いし、街並みを眺めたり顔見知りと言葉を交わしたりできるのも良い。


 それに何より配達は、ボニーの人並み外れた怪力を存分に生かせる業務だ。




 それはある午後、町外れのホールドマン夫人の家に肥料を三袋届けた帰り道のことだった。


「おまえ臭いんだよ、乞食娘。風呂入ってないんじゃねーのか。きったねぇ」


「臭い臭い、本当に臭い」


「おまえのにおいが風に乗って町中に漂ってるよ。くっせ~~~、勘弁してくれよ」


 子どもたちがはやし立てる声に、ボニーは足を止めた。年のころ十歳前後の男の子が四人、ひとりの女の子を取り囲み、笑いながら、罵声を投げつけたり棒で突ついたりしているところだ。


 五人目の男の子が、水の入ったバケツを持って歩み寄った。宿屋の軒先にある、ダグルに水を飲ませるための桶から汲んできたらしい。


「俺たちが洗ってやるよ、乞食娘。きれいにしてやる」


「うわー、俺たちって親切!」


 甲高い笑い声が響く中、男の子はバケツを大きく振って、女の子に水をぶっかける動作に入った。


 ボニーはすたすたと近づいた。バケツを振っている男の子に背後から足払いをかけた。

 十分手加減したつもりだが、それでも子どもの体は宙を飛んで、少し離れた地面に背中から落下した。地面に落ちたバケツから水が派手にこぼれた。


「こらっ。よってたかって女の子をいじめるなんて最低だぞ!」


 ボニーは腕組みして、立ちすくむ男の子たちをゆっくり見回した。


「あんたら知らないの? 女の子ってのは、か弱いから、守ってあげなくちゃならないのよ!」


「どこが『か弱い』んだよ、バケモノ女」

「じゃあ、おまえ女じゃないじゃん。全然か弱くねえもん」

「バケモノ! バケモノ!」


 怯えた様子を見せつつも子どもたちは悪態をついた。

 痛い所を突かれたボニーは「何をーーーっ!」と叫んで拳を振り上げた。子どもたちは悲鳴をあげて逃げ出した。


 遠ざかっていく小さな背中をボニーが見送っていると、誰かにそっと、手の指先を握られた。

 いじめの標的になっていた女の子が強い視線でこちらを見上げていた。


 彼女の名はメイベル。年は九歳。パン屋のコッホ先生の孫娘だ。


 彼女は、祖父母であるコッホ夫妻と一緒に暮らしている。彼女の両親がどこにいるのかボニーは聞いたことがないし、尋ねようとも思わない。メイベルは何年か前に「とても悲しい目に遭い」、それ以来、外の世界に心を閉ざしてしまったのだった。


 ほとんど動かない表情。鈍い動作。口をきこうともせず、いつもぼんやりしている。日曜学校にも参加していない。友達もおらず、一人でぶらぶらしていることが多いようだ。


 コッホ夫人が真新しい服を着せたり、こまめに髪をくしけずってやったりしているにもかかわらず、彼女はどことなく薄汚れた外見をしている。それで悪童にからかわれたりもするわけだ。


 一緒に帰ろうか、とボニーが言うと、メイベルはかすかではあるが確かに微笑んだ。

 誰にも心を開かないメイベルだが、なぜか初めからボニーにだけはなついているのだ。


 小さな温かい手に指先を握られていると、胸の奥がむずがゆくなるような、不思議な感覚に襲われる。


 のんびりと歩いているうち、街路に人影がなくなってきたことにボニーは気がついた。そろそろ午後の《嵐》の時間らしい。


 この地方では一日に三回、あらゆる物をなぎ倒す暴風が荒れ狂う時間帯がある。その風は西の砂漠から巻き上げた砂を大量に含んでくる――そして街中を砂だらけにし、固定されていないあらゆる物を破壊し吹き飛ばす。

 《嵐》の最中に戸外を歩いていたりしたら、あっという間にどこかへ叩きつけられて大怪我するのは避けられない。


 風が吹き出す前に帰らなくては。ボニーは足を早めた。


 そのとき。二人の進路を塞ぐように、不意に目の前に立ちはだかった人影があった。


 五人組だ。年齢は二十代から四十代までバラバラだが、五人とも隆々たる筋肉と凶悪な人相が共通している。やくざ者の崩れた雰囲気を全身から発散させている。


 中でもひときわ背の高い、額の禿げ上がった男が口を切った。


「カズマのところの、新しい店員ってのは、おまえか」


 ボニーはすぐには答えなかった。「どこかその辺の店に入って、隠れてて」と優しくメイベルを押しやり、彼女が手近な建物の中へ入ったのを確認してからゆっくり禿男に向き直った。


「そうだけど。何か用?」


 男たちは意味ありげにボニーを取り囲んだ。

 ひと気のない街路で、自分よりたっぷり頭一つ分は背の高い大男たちに囲まれても、ボニーは眉一つ動かさなかった。


 見たところこの男たちは専門の訓練を受けた戦闘員ではない。銃も持っていないようだ。だとすれば、相手にもならない。


 禿男が再び口を開いた。


「一度しか言わねぇから、よく聞け。……今すぐ店へ戻って、カズマに『辞める』と言え」


「……」


 意外な言葉に、ボニーはしばらく返事につまった。


 沈黙が流れた。


 風が強くなってきた。《嵐》が近づいているのだ。その辺に落ちていた木片が風にあおられ、からからから、と軽快な音をたてて道路を横断していく。


「えーっと。もうちょっと説明がほしいんだけど」


 男たちがいっせいに不愉快そうに顔を歪めた。ボニーがまったく怯えた様子を見せないのが気に食わないらしい。


 禿男が声を荒げた。


「カズマは敵の多い男なんだ。あんな男の下で働いていると、おまえもひどい目に遭うことになる。そこまで言ってもわからないなら……体に教えてやることになるが?」


 再び沈黙が流れた。


 ボニーは、にわかに下卑た興奮の色を浮かべ始めた男たちを見回した。


 いつもキャンディが言ってる「ゲスな目つき」というのは、こういう表情のことか、と思った。奇妙に熱のこもった粘りつくような視線。ボニーがこれまであまり向けられたことのないたぐいの視線だ。


「あんたたちにはわからないのよ」


 ボニーはため息と共に言葉を吐き出した。


 どこかで、ぱりぃん、とガラスの割れる音がした。シャッターを閉め忘れていた窓を、風で飛ばされた物体が直撃したらしい。風は危険なほど強くなり始めていた。


「――今の仕事にありつくまでに、あたしがどれだけ苦労したと思ってるの? 『辞めろ』なんて簡単に言わないでよ。今の店を辞めて、あたしに次の仕事がみつかるわけないでしょ!」


 少しも自慢にならない宣言に、あっけにとられた男たちの顔が次の瞬間怒りに歪んだ。


「なめやがって!」


 一斉につかみかかってくる。


 ボニーは、伸ばされてきた腕を一本ずつつかみ、男たちを順番に投げ飛ばした。巨体が軽々と宙を飛び、乾いた砂地に落下した。


 店のシャッターの隙間から様子をうかがっていたメイベルの目には、ボニーがまるで風船でも投げているようにしか映らなかった。


 呼吸一つ乱さずに、ボニーは地を這う禿男に歩み寄った。


「ところで、あんたらどうして、そこまでうちのボスのこと嫌いなの? そりゃあ確かに顔は怖いし口も悪いけど……そんなに悪人じゃないと思うんだけどな」


 ボニーの質問に返ってきたのは呻き声だけだった。


 がたん、という派手な音がして、すぐそばの店の看板が外れた。風が強くてボニーも立っているのがきつくなってきた。無数の砂粒が当たって顔が痛い。


 辺りを見回す。扉にシャッターを下ろしていない建物は、数えるほどしかなかった。選んでいる暇はない。ボニーはそのうちの一つに駆け込んだ。彼女が背後で扉を閉めるか閉めないかのうちに、びゅおおおおおっ、という激しく不吉な風の咆哮が響き、扉ががたがたと揺さぶられた。《嵐》がやって来たのだ。





 ボニーが《嵐》を避けるために飛び込んだ建物は、何かの集会場みたいな所だった。


 それほど広くはない室内に、木製の長椅子がきちんと列をなして並べられている。まっすぐな背もたれのついたそれらの長椅子はひどく古びており、黒々と磨き込まれている。壁の純白と椅子の黒さの対比が鮮やかだった。


 部屋の奥、通路を行ききった所に演壇らしきものが設置されている。


 長椅子のひとつに中年男が腰かけていた。髪はくしゃくしゃ。黒い服はくたびれ、襟元がよれている。男がボニーに向かって満面の笑みを見せると、虫の食った歯並びがのぞいた。


「ようこそ、聖アネスシージャ教会へ」


 室内は薄暗かったが、その男が、あきらかに酒焼けと判る赤ら顔の持ち主であることは容易に見てとれた。ボニーは眉をひそめた。


「教会? この町にそんなもの、あったっけ?」


「失礼な奴だな。神の恵みは銀河の隅々まで行き渡っておる。こんな辺鄙へんぴな土地でさえ」


 どっこいしょ、と男が椅子から立ち上がる。鈍重な動きでゆっくり歩み寄ってきた。


 ボニーは鼻をうごめかせ、顔をしかめた。


「おじさん――酒臭い。昼間から飲んでるの」


「そ、そんなわけないだろうが。わしはこう見えても神に仕える身だぞ、酒など飲まん。それからわしをおじさんと呼ぶな。神父様と呼べ」


「おじさんが神父? うそぉ。もう神様もびっくり、だわ」


 ボニーは入ったばかりの位置から一歩も動いていなかった。閉めた扉に背中をつけるようにして立っていた。《嵐》のすさまじい風圧で厚い扉が震えていた。


 あの五人組はどうなったんだろう、とふと思った。彼女が投げ飛ばした男たち。タイミング的に、どこかの建物に避難している暇はなかったはずだ。《嵐》をまともに受けたらただでは済まない。


 まぁろくでもない連中みたいだったし、怪我したとしても自業自得よね、とボニーがひとり納得したところで、不意に神父のだみ声が彼女の思考に割り込んできた。


「いい所へ来てくれた。今ヒマしてたんだ。懺悔でもして行かんかね、お嬢ちゃん」


「何なの、懺悔って」


「これまでに犯した罪を神の前で告白し、許しを求める行いだ。なんだか懺悔すべきことがたくさんありそうな顔をしておるぞ、おまえさん」


「罪、ねぇ……」


 ボニーはちょっと考え込んだ。


「先月クビになった農場で、『おまえみたいな奴は、この世に生まれ出てきたこと自体が罪だ』って言われたよ。そういう感じのこと?」


「んー? ちょっと違うような気もするが……まあいい。何でも喋ってみろや。神に告白すると、すっきりするぞ」


 神父はもじゃもじゃ頭に手を突っ込んで猛然とかきむしった。


 ボニーは薄暗い天井を見上げた。


 これはやっぱり罪なんだろうか、と考えてみた。


 年端もゆかぬ少女の頃に祖国独立を夢見てみずから軍に身を投じ、銀河系の各地で繰り返してきた破壊と殺戮と蛮行の数々。アルテア独立戦争。銀河連邦を束ねる《中央》星区の強大な諸国家を相手に戦ってきた数年間。


 心は、どこかに置いてきた。戦場へ出ると決めたときに。


 強化兵を作り出すためのゴライアス・プログラムのインストールに伴い、体は細胞レベルで変質を遂げた。その効果の中に、人間らしい感情の抑制も含まれていた。恐怖、迷い、不安、同情、後悔、反省、憐れみ。――戦場では心など作戦の妨げにしかならないからだ。


 戦争が終わり、ゴライアス・プログラムはアンインストールされたはずなのに。

 心が戻ってきたという実感がない。戦場に出ていた頃と同じように、気分は楽天的な無感覚にセットされたままだ。


 懺悔すべき罪。それは、数えきれない人の命を奪い、数えきれない人の営みを破壊してきたことだけではない。血にまみれた自分の行為に対し、いまだに何も感じないこと。筆舌に尽くせない残虐な破壊の記憶が、まるで他人事のように遠く思えること。それこそが、きっと、罪なのだ。


 ふと我に返ると、いつの間にか間近に迫っていた神父が大きな目でこちらを睨んでいた。シャッターの隙間から差し込む光がその目に入り、ぎらり、と輝いた。


「悪いけど、おじさん。あたしにはまだ懺悔は無理みたい」


 ボニーは神父に告げた。


「悔い改めるためには……心を持ってなきゃいけないもんね」


 戸外では絶好調に達した《嵐》が荒れ狂っていた。激しい物音が響いてきた。神父は哀しげに溜め息をついた。


「お嬢ちゃん。どんな人間にでも、幸せになる権利はある。これまでどんな罪を犯してきたとしても、な。そいつを忘れちゃいけねぇぜ」

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