コートジボワールによろしく。

カンバラ・ライカ

コートジボワールによろしく。

「コートジボワールによろしく」 作:カンバラ・ライカ



 コートジボワール綿は原種に近いと形容される。

 昔ながらの手法でも栽培できるタフな綿は品種改良されたものと異なる独特の風合いを醸し出す。黄みがかった綿で織られた生地は、素朴で肌になじみやすい。深みのある経年変化だって楽しむことができる。良質なジーンズの素材。

 そのコートジボワールの生地で仕立てられたジーンズで綾香は今、彼女から首を絞められていた。

 爪を立てて首から引きはがそうとしても、頑丈なデニム生地は喉に食い込みビクともしない。

 エド○ィンだかリ○バイスだかのCMでエンストした車をジーンズで牽引するシーンがあったのを綾香は思い出す。ただの誇張CMだと思っていたが、こうも丈夫さを体感すると十二分に有り得そうな気がする。

 呼吸をしようともがくほど、適度に色落ちして柔らかくなった生地は生き物のように首へまとわりつく。初夏の気温で汗ばんだ首筋の湿気を吸収し、よりピッタリと肌に寄り添うようなそぶりを見せて締め上げる。


 目を眇めて、ここまでか……と「事切れそう」になった時。

 白檀の香りが鼻を掠めた。


 それがデニム地に染み着いた彼女の匂いだとわかり、ドキリとする。窒息死を目前に、綾香の口元がゆるんだ。

 

 彼女、市ノ瀬来夏と出会ったのは一昨年のデニムフェスティバルだった。

 日本産ジーンズの名産地、岡山の児島で行われるデニムフェスティバルはいわばデニムの祭典。児島のデニムストリートに名を連ねるジーンズショップがここぞとばかりに出店し、様々な風合いや手触りのデニムを物色することができる。

 絢香が児島を訪れたとき、街はまさにジーンズ好きで溢れていた。デニム製のトートバッグに溢れんばかりのジーンズを詰め込んでいるおじさんから、デニムのコートにデニムのハンチングにヴィンテージデニムのパンツなど、デニムにデニムを合わせているのに格好良く着こなすデニムガールやデニムボーイ、真っ青な格好で真っ青な肉まんーーデニムまんを頬張る観光客まで。客層も老若男女、人種も様々だった。

 ジーンズに興味などなく、単に東京から家出して電車に乗って路銀の尽きたところにあったのが児島だったというだけだが、その迫力や熱気に絢香は呑まれた。

 手持ちもろくにないのも忘れ、絢香は次から次へと露店を巡っては試着を繰り返した。当然デニムについての知識など持ち合わせていなかったが、デニムが一面に広がったデニムフェスティバルに身を置いていると、デニムの色合いや手触りの差異に気づき、その魅力に自然とひきつけられていった。楽しく過ごしているうちに数時間が過ぎた。流石に疲れて、これからどうしようかと考えていた時に、鼻先を白檀の香りが掠めた。どこからか漂う香りを辿り、絢香は会場の端で小さな露店を見つけた。

 後ろ髪を刈り上げて前下がりにしたボブカットをインディゴブルーに染めた、折れそうな女の子がきめ細かい刺繍入りのデニムを売っていた。

 目立つ髪色の次に目に留まったのは細い脚にピタリと決まったスキニージーンズ、キュっと締まったお尻。白檀の香りを纏った彼女は、絢香の方を振り向くと微笑んで舌をチロチロと意味ありげに揺らした。

 夕陽の中、蛇のように割れた赤い舌が官能的に踊るのを見て、身体の底をまさぐられたような感覚がわき上がった。胸がざわつき、肌もなんだかこそばゆい。戸惑いと不安と期待の混じり合ったような感情が喉元を埋め尽くし、上手く呼吸ができなくなる。それは今まで男性にしか感じたことのなかった感覚に似ていた。なにかの間違いだ、と否定の意味を込めて俯こうとした。俯こうとしたのに、彼女から目が離せなかった。

 なぜだか彼女も目を離さない。いっそそっぽを向いてくれたなら、ただ店の前を通り過ぎれば良いだけなのに。切れ長の猫目に、長いまつげ、色素の薄い瞳には髪色が映り込み青みがかっている。その海の底に似た瞳で見つめられると恍惚感がわき上がり、胸の鼓動が大きくなる。不安と期待の混じった喉につかえた感情は期待の体積を急激に増やし、喉元をいっきに塞ぐ。ついに息が止まって。視界も暗くなる中、心音だけが身体の底から爆音でビートを刻んでいた。


 ーー息が止まる。呼吸ができない。

 ギブアップの意味を込めて、絢香はパタパタと手をバタつかせた。

 

「だらしないなぁ」


 呆れた声とともに、来夏は締め上げる腕から力を抜いた。ジーンズがだらりと下がり、気道が解放されて絢香はせき込む。止まっていた血流が一気に頭へ駆け上り、全身が高揚する。

 来夏の指先が「ばかだなぁ」というニュアンスで髪を撫でた。

「ていうかさ。いつも思うんだけど、なんでよりによって私が職場で一日履いたジーンズで締められたいわけ? フェチなの? いやそれ以前に、なんで窒息プレイなんて好きになる要素あったっけ?」

「教えない♪」

 クスリと笑い、絢香はお揃いのスプリット・タンを揺らして見せた。

 素朴で肌に馴染んだ日常の原産地へ、愛をこめて。  (了)

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