制服・水彩画家・口紅

 目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。


 口でいくら取り繕ったところで、目は真実を語る。双眸に映し出されたものこそ、真のこと。瞳とは、真実を映し出す鏡のようなものではないかと、私は考えている。


 特に私は、嘘をつくときに目線が左斜め上にいくようで、幾度となく妻に嘘を見破られてしまっている。ついこの間も、急な仕事を装って趣味に興じていたが、あっさりと見破られてしまった。


 妻は私の趣味にあまり共感できないようで、結婚を機に止めると約束したのだが、やはりどうしても体が疼いてしまうのだ。趣味に興じていることがバレたが最後、それは恐ろしいほどの雷が降ってくるので、私は毎回念入りに嘘を考える。


 だが、それも妻の前には無駄だ。

 やはりというか、私の視線が泳ぐのを、彼女は見逃さない。


 私が毎回考える嘘は、はっきり言って完璧だ。『友人と会う』と言う時には、必ず口裏を合わせる。『仕事が入った』と言う時は、取引相手からわざと電話をかけさせ、それを妻にも聞かせる。万が一に手帳や携帯を覗かれても大丈夫なように、一週間前にはどちらにも予定を書き込んでおく。


 それでもやっぱり、妻には通用しない。

 やはりというか、私の目が真実を映し出してしまうのだ。

 

 妻を説得してこの趣味を理解してもらうのが一番なのだが、決まって妻は強く拒絶する。水彩画家を生業とする私にとって、この趣味は芸術活動の一環でもあるのだが、妻は理解を示さない。


「ただいま」

「……こんな時間までどこ言ってたの?」

「いやあ、水彩画家仲間と、次の作品について話し合っていてね」


 そこで、私は考えた。


「……なに? そのサングラスは」


 目が口ほどにものを言うのならば、目を隠してしまえばよいのだと。


「実はね、仲間と賭けをしてるんだ」

「賭け?」

「これから一週間、いかなる時でもサングラスをかけ続けられたら、次の僕の作品を高く買ってくれるってね」


 常にサングラスをかけているだなんて、不自然極まりないだろう。勘のいい妻でなくとも、何かを隠していることに気が付くだろう。


「そんなの、家で外しちゃえばわかんないじゃない」

「だから君に証人になってほしいのさ。私は毎日家でもこのサングラスを外さなかったぞ、ってね。これから一週間、私を監視していてくれないか」


 だが、それも抜かりない。

 この意味の分からぬ賭けに、妻も巻き込むようなかたちにしてしまえばよいのだ。自らに後ろめたいことがある人間が、『自分を監視していてくれ』だなんて言うだろうか。


「ふうん。芸術家ってのは、つくづく変人の集まりね」

「あ、そうだ。娘の制服を借りていたんだ。言うと怒るから、そっと返しておいてくれ」

「……やっぱりまたあの変な趣味じゃないでしょうね?」

「ははは、違うよ。仮に私が嘘をついているとして、『自分を一週間監視していてくれ』だなんて、言うかい?」


 もちろん、言わない。じゃあ夫はまた嘘ついてるんじゃないのね、と思うことだろう。その心理を逆手にとった、完璧な作戦と言えよう。


「それもそうね」


 作戦成功だ。

 妻は私のことを疑うことなく、サングラスで隠された目は真実を語ることもない。妻に黙って趣味に興じてきたことを、私は初めて隠しおおすことができたのだ。心の中で万歳三唱をしてしまうほど、私は喜び沸き立った。


「あ、そうそう」


 手渡した娘の制服を受け取って背を向けたばかりの妻が、そう言いながらゆっくりと振り返る。



「口紅、つけたままだけど」



 私ははっとして、口元を触る。ぬるりと湿った感触。目元ばかりを気にして、肝心なところを隠すのを忘れていた。目は口ほどに物を言うと言うが、今回ばかりは口が物を言ってくれたようだ。



「その変な趣味――女装して街を歩くの、やめろって、言ったわよね?」



 目は口ほどに物を言う。

 その意味が、私はようやく理解できたような気がする。


 穏やかな口調でゆっくりと話す妻の目には、確かに怒りの炎が灯っていた。

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