スイッチ・お城・原稿用紙
私はしがない小説家だ。
ミステリ、恋愛、SF、ファンタジー、食わず嫌いせずどんなジャンルでも手を出して書いている。そのため執筆のアイデアはいくらあっても足りないくらいで、常にアンテナを張っているのだ。朝起きて歯を磨く際も、ニュース番組を見ている際も、お昼に散歩へ行くときも、夕飯の買い出しをする際も、何か小説のネタになるものはないかと四六時中考えてしまっている。
「きた……!」
朝起きて夜寝るまで常に小説のネタを探しているせいか、私には少し変わった職業病のようなものがある。
「ごみ収集場、そこを荒らすカラスたちは街の嫌われ者だ。高い知能を持つとされる彼らだが、実はその正体は宇宙からの侵略者で、ごみを漁ることで人間たちの生活を調査しているのだ――」
まだ朝日も完全に顔を出していない早朝、ごみの袋を両手に抱え家を出た私に、ふとアイデアが舞い降りる。その瞬間、私は両の手に携えたゴミ袋を地へと落とし、背負ったリュックから原稿用紙とペンを取り出して、思いついたアイデアを書き殴っていく。
これが私の職業病だ。
外出するときはもちろん家の中でも、大量の原稿用紙とペンを入れたリュックを背負い、アイデアが思いついた瞬間にそれを文字に起こす。その行動は、たとえ食事中であろうと、用を足している時であろうと、友人と談笑している時であろうと、関係ない。まるで何かのスイッチが入ったように私の脳は冴え渡り、周りが見えなくなってしまうのだ。
小説のネタやアイデアとは、魚と同じで鮮度が命だと思っている。釣ったばかりの魚を締めず、その辺に放置しておく漁師がいるだろうか。鮮度を保った魚を長い間放置した後に捌く職人がいるだろうか。
答えは、否。そんなプロはいない。
私も物書きのプロを名乗っているのだから、思いついたアイデアはその場で書き綴らねばならないと肝に銘じている。『家に帰ったらまとめよう』などとしていては、脂の乗った素晴らしいアイデアも、腐ってしまうというものだ。
「ごめんなさい、今回は縁がなかったということで」
この職業病のせいで、何度も失恋を経験した。それもそうだろう、デートをしている最中に、目の前で『彼女の官能的な唇が、私の中に眠る雄としての本能を刺激する』だなんて文字に起こされた日には、百年の恋も冷めるというものだろう。
今回は新たなパートナーを探すついでにアイデア収集をと意気込んで、街コンとやらに参加した。しかしここでも、私は小説家のスイッチが入ってしまう。
女性が私の目の前に現れる度に原稿用紙を取り出したりしていたので、女性たちは奇妙なものを見るような目で私を見つめ、そして誰もが断りの言葉を口にしていく。
私のこの行動に嫌悪感を抱く気持ちも、非常に理解できる。ただ私は、この癖を直すつもりは毛頭ない。物書きとして私は常に高みを目指さねばならない。そのためには、アイデアを捨ておくことなどできないのだ。
「どういう神経してるんですか、人と話している時に原稿用紙なんか取り出して」
最後にやってきた女性も、苦言を呈した。
私は文字を書く手を止めずに、原稿用紙から目を離さずに、淡々と彼女へ説明する。
「私は小説家でして。アイデアが降ってきた際は、その場でこうして必ず文字に起こすのです。街コンというのは初めて参加しましたが、いやあすごく新鮮です。アイデアが湧くわ湧くわで、ごめんなさいね」
こう言うと、決まって女性たちは怒るか呆れるかのどちらかの反応を示す。だが、最後に現れた彼女は、他の女性たちとは違った反応を見せた。
「へえ。素晴らしいプロ精神ですね、感心します。ちなみに、今はどのようなアイデアが?」
原稿用紙に文字を綴る手を思わず止めてしまい、一瞬だけ彼女の表情を確認してしまった。そこには嫌味といった感情はなく、ただ純粋に私を褒め称えるような、嬉々とした表情のように見える。
「出会いに飢える男女を見ましてね、思いついたアイデアなのですが。少子高齢化が進んだ未来の日本で、『国から定められたパートナーと子を為さねばならない』という法律ができたら、とう設定が思い浮かびまして」
「興味深いです」
「そうですか?」
「ええ。いつもこうやって原稿用紙を持ち歩いているのですか?」
「寝る時以外は必ず身に着けてますね」
「すごいです」
それから私はすぐに原稿用紙に目を落とし、アイデアを文字に起こす作業に没頭したが、彼女は何も言わずただ私の執筆作業を眺めていた。物好きな女性もいたものだと思うと同時、この女性を手放してはもう誰もいないぞという感情が沸々と湧いてくるのを感じた。
街コンが終了した後、私はすぐさま彼女へメールを送った。デートのお誘いをしたのだ。柄にもなくどぎまぎとしながら送信して、彼女の返事を待つ。すると数分もしないうちに、彼女から了承の返事がやってきて、私は舞い上がってしまった。
「お待たせしました」
「いえ、私も今来たところです」
「ふふふ、小説のアイデアを書きながら?」
「ええ、まあ、はい」
そしてデート当日、すっかり浮かれて一切アイデアなど思い浮かんでいなかった私であったが、彼女にそう聞かれて思わず嘘を言ってしまった。
一体どうしたことだろう。すっかりと彼女のことが気になってしまい、いつもはぽんぽんと思い浮かぶアイデアが、全く思い浮かばなくなってしまっている。小説家としてのスイッチが入ることなく、一人の男として彼女とのデートを楽しんでしまっていた。
彼女とデートを楽しむこと数時間経ったが、アイデアは全く振ってこない。これはいけないと頭を悩ませていると、いつの間にか日も落ちて夜になってしまっていた。
まあこういう日もあるだろう。そう諦めながら彼女と繁華街を抜けようとしていたその時、突如として私の中にアイデアが降ってきた。繁華街の隅にあるとある建物、それを見た瞬間、びびっと私に電流が走ったのだ。
途端に、小説家としてのスイッチが入る。私はもう周りなど見えなくなっていた。
このアイデアは是が非でも実現しなければと、私はその建物の前で急に立ち止まり、彼女の肩を思いきり掴んで懇願した。
「このお城のような建物を見た時、急にアイデアが降ってきたんです! このお城のような建物に入れば、そのアイデアは確実なものになると思うんです! やましい気持ちとか、変なことをしようとかって気は一切ありません! 休憩がてら入りませんか! 勘違いしないでください、これはあくまでも小説のアイデアが――」
私の恋も、小説のアイデアも、このお城のような建物――『ホテル ロイヤルM』の前で儚く消え去った。
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