鋏・制服・テディベア

 『馬鹿と鋏は使いよう』とは、よく言ったものだと思う。


 切れない鋏でも使い方によってはよく切れるように、愚かな者でも上手く使えば役に立つという意味だ。人には適材適所というものがあるのだから、馬鹿だと言って見捨てるのではなく、その人に合ったことをしてもらおうという素晴らしい精神がこの言葉にはある。


『おかえりご主人! 帰ってきてきてくれて嬉しいよ!』


 私を出迎えるロボットを見る度に、この言葉を思い出す。両手に抱えられる小さなサイズのそれは、とてとてと可愛らしく歩きながら、玄関までやってきた。ふわふたとした毛皮に包まれたその体が動く度に、その可愛らしいフォルムから、きゅぴきゅぴと可愛らしい音がする。


「ただいま、テディ」


 一家に一台の癒し――テディベア型ロボットを、私は抱きかかえる。


 昭和の時代には、一家に一台マイカーの流れがあったという。そして現代、一家に一台マイロボットの時代が到来した。

 十数年前までは、いかにも『ロボット』らしいマイロボットが多く生産され、家族の一員として迎え入れられていた。だが、機械然としたその見た目から、どうしても家族のように扱えないという声が相次いだのだ。


 そこで企業は努力を重ね、人に近い姿をしたロボットを生産しだした。しかし、これまた不評を買ってしまう。人間に近い姿であるのに、その言動はどうしても人間のものとは異なっており、『気味が悪い』という声が殺到したのだ。不気味の谷という言葉を、人類は初めて実感したのだ。


 ではどうするかと、技術者たちは考え抜いた。

 そもそも現代の技術には限界があり、ロボットは人のようにあれこれをするまでには至らないのだ。確かにそれでは、ロボットが人の姿をしている必要はないだろう。


 ではもういっそのこと、ロボットに人の代わりをしてもらうのはやめよう。ただの愛玩道具として、人々に癒しを振りまいてもらった方がいいのではないか。そう考えた末に出来上がったのが、このテディベア型ロボットだ。


 このロボットは、家事をするでもなく、一日のタスクを伝えるわけでもなく、何か特殊技能があるわけでもない。ただひたすらに、愛想を振りまくだけだ。私がテディと呼ぶこのロボットにあるのは、歩行機能と、単純な会話機能、その二つ。


『ご主人! 今日も学校お疲れ様!』


 その二つしかないからこそ、テディはとても愛くるしい。

 無駄な機能がないからこそ、単純な言葉に私は非常に癒される。


 これこそ、ロボットの適切な使い方と言えよう。

 馬鹿と鋏は使いよう――馬鹿なロボットの使い方はこれが一番なのだ。


『ご主人! 今日は僕、お手伝いをしたんだ!』


 それでも、ロボットなので多少の物事はできる。あくまでそれは、『多少』だ。しかしその行動がまるで手伝いをする子供のように見えて、さらに庇護欲をくすぐるのだ。技術力の限界のせいでこうなってしまっているのだが、それがいい方向に転がってテディの愛らしさを増している。


 ただ、可愛いだけで済まない時も、たまにある。

 ただでさえ細かい動作が苦手なテディだが、道具を取り扱うのは特に苦手としている。



『見て見てご主人! 今日はね、ご主人の制服を裾上げしたんだ! 鋏を使って、頑張って切ったんだよ!』



 テディはそう言うと、ボロボロになった私の制服を引きずってきた。


 『馬鹿と鋏は使いよう』とはよく言ったものだが――馬鹿に鋏は使えない。

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