第2話

 ある日のこと。

 おばあちゃんがぼくを使ってサチさんとお話をしていたときです。

「サチ? サチ? 聞こえとる?」

 おばあちゃんは受話器を片手に首をかしげました。

 ぼくも不思議でなりません。サチさんの声がとぎれてしまったのです。

 おばあちゃんは、もう一度サチさんのおうちに電話をかけました。

 けれど、何度ためしても声が聞こえません。

「壊れた?」

 おばあちゃんは、悲しそうにため息をつきました。

 ぼくを持ち上げて、横からながめたり、下からのぞきこんだり。でも、どうして声がきこえなくなったのかわかりません。

 おばあちゃんはもう一度大きなため息をつきました。

 こわれてないよ! と大きな声で言いたくてたまりません。

 おばあちゃんは、しばらく「うーん」と考えこみ、とうとう壁からのびている細い灰色の線をぬきました。この線は、ぼくが電話の世界に声を届けるためのものです。

 それを抜いてしまったということは――

 もうぼくはいらないのでしょうか。泣きたくて泣きたくてたまりません。

 リリリリリリリ、とおばあちゃんに電話がかかってきたことを伝えたいのに。

 こうたくんやはるきくんとの電話の時間を作りたいのに。

 おばあちゃんは、ぼくを両手にもって外に出ました。

 玄関を出て、階段をしんちょうに下りていきます。

 おばあちゃんは、ひざの痛みに顔をしかめながら、一歩一歩歩き出しました。


 どれくらい歩いたでしょうか。

 太陽がじりじりとてらす道を、ふうふう言いながら歩いてきたおばあちゃんのおでこには、いっぱいの汗が浮かんでいます。

 ようやく立ち止まって、何度も深呼吸をしたおばあちゃんは、汗をぬぐって小さな電気屋さんに入りました。

 炊飯器や扇風機、季節外れのストーブなど、いろいろなものがかべぎわに並んでいます。

 おばあちゃんは、店の奥に向かって言いました。

「ヒロシさん、ちょっとお願いや」

 すると、つるりとした頭の、めがねをかけたおじさんが出てきました。五十さいくらいでしょうか。

 短いあごのひげが、ちくちくしていて痛そうです。

「どうしたの?」

「この子、直してもらえんやろか」

 ぼくは飛び上がりたくなりました。

 おばあちゃんは、調子の悪いぼくを直してくれるつもりだったのです。

 けれど、嬉しい気持ちは、ヒロシさんの一言ですぐに消えてしまいました。

「古い電話やなあ。もう買いかえた方がいいんちゃう?」

「そう? 直らん?」

「直らんことはないけど、今はもっと軽いのあるし、声もはっきり聞こえるで。お孫さんの声も聞きやすいと思う」

 ヒロシさんは、「こんなのあるで」と棚から小さなダンボールを下ろしました。

 中をあけると、小ぶりな白い電話が出てきました。ぼくよりとても小さくて軽そうです。とてもきれいな白い体が、まるで光っているようです。

 おどろいたことに、受話器からくるくるまいたコードものびていません。

 おばあちゃんは「へええ」と目をまあるくしました。

 電話を両手に持ち、「軽い」とびっくりしています。

「どうする?」

 ヒロシさんは、おばあちゃんを見つめて返事を待っています。

 とうとう、おばあちゃんは言いました。

「買うわ」


 幸いなことに、ぼくはすぐに捨てられませんでした。

 ヒロシさんが、「その黒電話、こっちで捨てよか?」と聞いたときに、おばあちゃんが首をふってくれたのです。

 ぼくと新しく買われた白い電話は、おばあちゃんと一緒にヒロシさんの車で送ってもらえることになりました。

 ヒロシさんはなれた手つきで、壁に白い電話のコードをさし、ぼくは少し離れた台にぽつんと置かれることになりました。

 なんと悲しいことでしょうか。

 ぼくはもう、おばあちゃんのために電話をつなぐことができなくなったのです。


 三日が経ちました。

 おばあちゃんは、白い電話をがんばって使おうとしています。

 ぼくの輪を回すのとはちがって、電話をかけるときには、大きなボタンを押して使うようです。コードもないから、こんがらがることもないように見えます。

 こうたくんやはるきくんの声は聞きやすかったのでしょうか。

 ぼくは、あきらめはじめました。

 泣きたくてたまらなかったけれど、おばあちゃんが使いやすいのなら、ぼくのお仕事は白い電話にゆずってあげるべきなのかもしれません。

 そう思った日の夕方のことです。

 しずかにねむっていたぼくは、おばあちゃんに持ち上げられて目を覚ましました。

 目の前で、おばあちゃんが申し訳なさそうな顔をしていました。

「起こしてごめんね。やっぱり、あんたじゃないといかんのや」

 おばあちゃんは、ぼくを胸にかかえました。

「はるきが言うとった。くろでん、くろでんって。ずっと心残りやったんや。こうたとおんなじように、大きくなったあの子にも、あんたをさわらせてやらなって思たんよ」

 おばあちゃんが、ぼくを台の上にそっとおいて、白い電話の受話器を手に取りました。

「それに、やっぱり新しいのは使いにくいんよ」

 おばあちゃんは小さな声でつぶやき、白い電話のボタンをおしました。

 その電話は、ぼくの修理をヒロシさんにおねがいするものだったのです。



「もったいないなあ」

 ヒロシさんが腕をくんで言いました。

「サチにでもあげるから。それより、これで直ったんかい?」

「もちろん。ちょっと部品を変えたからもう大丈夫」

「ありがとう」

 おばあちゃんは、深く腰をまげてお礼を言いました。

「さっそくかけてみよか」

 おばあちゃんが、細い指先を五の穴に入れて、なれた動きでくるりと右に回しました。

 ジーコロコロコロコロコロ。

 ぼくははずんだ音でこたえました。

 おばあちゃんがうれしそうに話す声が、いつまでもぼくの中でひびきました。

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おばあちゃんとくろでん 深田くれと @fukadaKU

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