初恋次第。

天霧

第1話 おれと姪っ子

 吐く息が白くなってきた頃。いつもの駅ビルの地下スーパーで、見慣れた姿を見かけた。一回り年上の兄の、一回り違う姪っ子。それも一人。


 駅ビル併設のため、スーパーは二十三時まで営業している。貧乏一人暮らしで閉店間際の値引き惣菜しか買えない自分にとって、歩いてすぐのコンビニより、使用頻度は高い。


 姪っ子は見慣れた高校の制服を着て、スーパー隣のパン屋にあるイートインでノートを広げていた。今年受験だから、その姿は自然に見える。


 しかし、いま、時間は二十一時半を超えている。 


「おまえ、なにこんなとこいんだ?」


「そっちこそ。なんで自宅にいないのよ」


 出たのは憎まれ口。生まれたときこそかわいいかわいい姪っ子だったが、年々生意気になった。俺は三十路を迎えて、フリーター半分の作家業を生業としている。


「俺は夜食の買い出し! っつーかお前、補導されるだろ! 内申書に変なこと書かれるぞ!」


「夜食? 今の時間になって食べたら太るよ?」


「もう太ってるわ!」


 この際、自分のたるみきった腹は置いておく。あんなにかわいく「こーくん」といった彼女はどこへやら。仕方なし、ため息をついて、パイプ椅子がおしゃれになった程度の椅子に腰掛ける。まあ、これで補導はないだろう。……おれが職務質問されて、困るのは俺だけだ。


「邪魔だし」


「なら、家に帰れ。なんだよ、また家出か」


「当たり前だし。こーすけの存在意義なんてそれだけじゃん」


 そう、こいつの家出は今に始まったことじゃない。タンスの一角を占めるようになった私服のストックがそれを物語っている。こーすけーって、呼び捨てにする小憎らしい姪っ子も、女子高生なのだ。保護者が適切に守るべきだし、なんだかんだ、好かれている自覚はある。


 ただ、ここで時間を潰しているのはいつものことじゃない。俺の家に入れなかったら自宅にすぐ帰る――それが、暗黙のルールだったはずだ。俺のマンションから徒歩五分の場所に位置する兄のマイホームは、その立地だけで二年前の兄夫婦の気持ちを射止めた。ちなみにその前の家の立地は俺の家から徒歩十分。


「はやく家帰れ。でねぇと、兄貴に電話するぞ」


 携帯電話のアドレス帳を開くと、


「お父さんだけは、絶対イヤ!!」


 姪っ子が、声を荒立てた。


「珍しい、親子ゲンカか?」


 兄夫婦はすこぶる夫婦仲がよく、親子仲も一般的な部類と思われる。自分の両親は、子供が大学卒業すると同時に離婚する程度に冷え切っていたので、比較に自信はない。


「理由、話したら、今日泊めてくれる?」


「それでお前の頭が冷えるんならな」


 奥さんに連絡しようかとも思ったが、時間が時間なだけに、兄ならまだしも、その嫁の携帯を鳴らすのは躊躇われた。世間的にいえば兄嫁と自分は幼なじみと呼べるような仲だが、いまは人妻だ。


「赤ちゃんが、できたの……」


「……」


 気持ち、走馬燈であれこれと巡りつつ。


「お前に?!」


「違うに決まってるでしょ!! お母さんよ!!」


 そうか。


「あ、ああ……そっちか……しっかし、兄貴。いまいくつだ?」


 自分の年齢に十二を足す。最近の晩婚化を考えれば、珍しい齢でもないだろう。なにしろ、姪っ子が生まれたときに二十四だったのだ。


「ほんと無理!! 気持ち悪い!!」


「はぁ~ん? それが理由で兄貴は嫌か?」


 たしかに、年頃になってしまうと、自分の生まれるまでの過程を知るだろうし、この年齢ならばまだ、そういう行為に生理的な嫌悪感があっても不思議ではない。


 とはいえ、こんな反応するくらいなんだから、男なんていないんだろうな、と思うと、叔父として少し安心する。


 いや別に、こっちに彼女がいなくなって久しいからではなく。最近の子は早熟っていうから……なんていったら、今時セクハラだろう。姪が相手だとはいえ。


「生理的なもんだろう? 悪いことは言わんから、早く謝って、お母さんにおめでとうっていっておけ。言えなくなるぞ」


 兄だって、その気持ちは理解できるはずだ。なんといっても、俺自身が生まれたときに、兄は多感な小学校六年生だったのだ。難しいお年頃だったに違いない。相談はむしろ兄にしてくれと思わなくもない。


 だが、こういう反応、思春期――というほどでもないかもしれない、もう受験を終えれば大学生になるんだから――の初々しさを感じないでもない。


 納得していない、引けない雰囲気を察すると、仕方なし、助け舟をだす。


「お母さんに電話して、謝って、おめでとうって言えたら今日だけ泊めてやるよ」


「ほんと?」


 ってかこの場合、確実に俺は男としての範疇に入ってないから、泊まれるんだろうなぁ。


 そんな俺の複雑なオトコゴコロは軽やかに無視をして、目の前にいる女子高生はポチポチと携帯の番号を押していく。その横顔は、兄嫁に似ていて、制服姿の彼女はいろいろな思い出を彷彿とさせる。


「お母さん? わたし。今日は、……あ、わかった?」


 目を閉じると、声がそっくりだ。


「ごめんね。……妊娠おめでとう。今日と明日だけ、浩介の家に泊まらせてもらう。」


 終話ボタンがおされる。手早く広げていたノートをしまい、学生鞄を肩からかける。


「電話、終わったか?」


「うん、終わった~。お母さんから、いつもご迷惑をおかけします、お世話になりますって」


 たしかに、なにかあるたびに我が家が避難所だ。今回が特別でも何でもなく、高校に入ってからは減ったものの、反抗期らしき時期には毎日籠城された。たまったもんじゃない、といえなくもないが。


 ――初恋の人に、頼まれたら断れないよなぁ。


 ひとりごちていると、面差しの似た少女が年々、女になっていく。


「こーすけ、お腹空いた~」


「こんな時間に食べたら、太るぞ」


「私はまだ若いから平気ですぅ~」


 席を立つと、当たり前のように隣に立つ。どうやら惣菜コーナーをみてから帰りたいらしい。腕を引っ張られ、ぐいぐいと店内を進んでいく。


 抵抗を諦めると、レジかごを渡され、あいてる方の腕に自分の腕を絡めてくる。これは、デザートにアイスもせびってくるコースだ。明日も泊まるといっていたから、明日の朝飯も買うに違いない。


 飯代は後で兄貴に請求するしかない。なんといっても俺の生業は売れない作家だ。半分フリーター。そんなため息をつきながら、女子高生を見下ろす。


 俺の、かわいい――銘子めいこは俺の、姪っ子なのだ。

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