チョコレート

マツダシバコ

チョコレート

 チョコレートが好きだ。

 チョコレートには悲しい物語がある。

 

 そこは戦場だった。

 戦場には銃を持った兵士と戦争に巻き込まれた原住民がいた。

 ある日、黄色いヘルメットをかぶった兵士と赤いヘルメットをかぶった兵士が、

 北と南のビーチから上陸してきて、戦争は始まった。

 兵士たちは南から北から押し寄せてきて銃を撃ち合うものだから、原住民たちはたくさん死んでいった。

 皆、自分たちがどうして死ぬのかわからなかった。

 「お母さん!」と、最後に叫ぶものがいれば、「お父さん」と発するものもいた。

 でも、死んでしまえば、同じ死体だ。

 暑い島だったから、死体にはわんさかハエがたかった。

 死体が見えなくなるほどにたかっては、群衆で人間の形に動くものだから死者が生き返ったと見まごうほどだった。

 でも、ハエが飛び立ってしまえば、ただの白い骨しか残らなかった。

 原住民たちは白い骨を拾って、自分の住処に持ち帰った。

 その上空では大きな鳥が羽ばたくような音がした。

 見上げると、飛行機が飛んでいた。

 飛行機からは兵士たちが落ちてきた。

 赤いヘルメットをかぶった兵士は赤いパラシュートを。

 黄色いヘルメットをかぶった兵士は黄色いパラシュートを広げた。

 それはまるで空に花が咲いたようにきれいだった。

 原住民たちはぽっかりと口を開いて空を見上げた。

 そこへ銃弾の音がして、兵士たちは空中に浮いたまま死んでいった。

 子供たちは落ちてきたパラシュートに集まった。

 最初は恐る、恐る。やがて取り合いになった。

 パラシュートを引っ張って駆けずり回ると、パラシュートは風を受けて膨らんだ。

 それ目掛けて爆弾が落ちてきて、子供たちがまた死んだ。

 でも、いいこともあった。

 パラシュートは高価で売れた。

 西からくる仲買人が買ってくれたのだ。

 ヘルメットも靴も水筒も何でも買ってくれた。

 この仲買人は昔からの付き合いで親切だった。

 島で取れた果物や農作物を高価で買い取って、米やTシャツやタバコや酒など何でも好きなものと交換してくれた。

 「もっと持っておいで。何でも買い取ってあげよう」

 仲買人は大きな腹を揺らして言った。

 さて、原住民たちは大忙しだ。

 島には身ぐるみ剥がされた裸ん坊の兵士の死体がわんさか転がった。

 それが肥やしとなって木や草は生い茂ると、実った果物や木の実を仲買人はまた高価で買ってくれた。

 ジャングルが深くなると、戦争はさらに激しくなったが、原住民は大忙しでそんなこと知ったことじゃなかった。

 

 ある日、原住民たちが畑仕事をしていると、赤いヘルメットの兵士に追われた黄色いヘルメットの戦士が助けを求めてきた。

 原住民たちはジャングルの奥の秘密の洞穴に兵士たちを連れていってあげた。

 赤い兵士でも黄色い兵士でも原住民は助けを求められると、この洞穴に案内した。

 時には洞穴の中で敵同士がかち合うこともあった。

 そんな時は洞窟の中でドンパチがはじまった。

 原住民たちは洞穴に残った死体から身ぐるみ剥がして、あとは仲買人に売ればいい。

 助けたら、助けたで、生き残った兵士から褒美がもらえた。

 さて、赤い兵士たちが過ぎ去ったのを確認した原住民は、洞穴に合図を送った。

 洞穴から黄色いヘルメットかぶった兵士たちがゾロゾロと出てきた。

 兵士たちは畑まで戻ってくると平らな地面に荷物を放り投げて、原住民にやるものの物色を始めた。

 これは自分たちが食べる。

 これはまだ使える。

 これはもしもの時に必要になるかもしれない。

 でも、何か渡しておけば、彼らはずっと我々の味方だ。

 お礼の品はなかなか決まらなかった。

 「これはどうだろう?」

 一人の兵士が言った。

 それは銀紙に包まれた小さなチョコレートの欠片だった。

 仲間の兵士たちも原住民たちも、その若い兵士が掲げた銀色の三角形の欠片を目を細めて見つめた。

 さて、兵士たちを頭を寄せて審議を始めた。

 確かにそれはぺしゃんこで潰れている。それにとても小さい。しかし、チョコレートは兵士にとって重要な非常食だ。

 「しかし」と、チョコレートの持ち主である兵士は言った。

 「このチョコレートは一度洗濯されております。うっかりとチョコレートの存在を忘れ、石鹸をつけてゴシゴシと洗ってしまったのであります」

 銀紙の合間からチョコレートを覗くと、確かに白い石鹸の粉らしきものが付着しており、チョコレートの茶色も色あせていた。

 「しかし、チョコレートはチョコレートだ」誰かが声を上げた。 

 みんなは頷いた。

 原住民たちはことの行方を焦らずに見守っていた。

 爆弾でも落ちて兵士たちが死んでしまえば、彼らの持ち物はまるまる自分たちのものになる。原住民たちはそのことを知っていた。

 「恥ずかしながら」と、再びチョコレートの持ち主が声を上げた。

 「恥ずかしながら、私、腹を下し糞をした時に、このチョコレートをその糞の中に落としました」 

 辺りが重い空気になった。

 「し、しかし、チョコレートは銀紙に包まれているではないか」誰かが言った。

 「だけど、側面はむき出しのままだぞ」また誰かが言った。

 「チョコレートがむき出しになった部分に糞は触れたのか」隊長が問いただした。

 「咄嗟のことだった故、覚えておりません。瞬時に拾い上げズボンの布で拭って、ポケットに押し込んだのであります」

 辺りはしんとなった。皆、腕を組み、考えを巡らせていた。

 「そのチョコレートを食えと言ったら、食うか」隊長が再び問うた。

 「実のところ、私はこのチョコレートを食う気にはなれません。申し訳ありません!」チョコレートの持ち主は頭を下げた。

 隣の兵士がチョコレートの欠片を奪い取り、まじまじと眺めた。そして、また隣の兵士に渡した。

 そうしてチョコレートの欠片は数名の兵士の手を介して、隊長の元に届いた。

 隊長は太陽に透かすようにまじまじとチョコレートの欠片を眺めた後言った。

 「これはもはやチョコレートにして、チョコレートにあらず。よって、不要なものと判断する」

 こうしてチョコレートは原住民に与えられた。

 原住民の長はチョコレートを手に不思議そうに首を傾げた。

 隊長が口に入れる仕草を見せると、原住民は頷いてチョコレートを人数分に分けた。

 それはすでに粉と言ってもいいくらいの一粒だったが、原住民たちは大事そうにそれらを舌の上に乗せた。

 ドキンと心臓の音が鳴り響いたような気がした。

 原住民たちはチョコレートを初めて食べた。

 その味は今までの爆弾よりも衝撃的だった。

 口の中には何とも言えない甘みと香りが広がった。

 途端に原住民の顔から笑顔がこぼれた。

 「何なのだこれは!」

 長は手振り身振りで兵士に尋ねた。

 「チョコレート」チョコレートの持ち主が答えた。

 「チョコレート、、、、」

 原住民たちは目を閉じてその響きを味わった。

 物知りな兵士が畑の脇に生えているカカオの木から実をもぎ取って、この実からチョコレートを作るのだと、身振り手振りて指し示した。

 そう言えば、戦争が始まる前、原住民たちはカカオの実を栽培して生計を立てていた。

 西からくる仲買人が高価で買ってくれるのだ。

 高価と言っても、原住民たちはお金を受け取ったことは一度もない。仲買人が対価のものと何でも交換してくれるのだ。

例えば、果物10キログラムでタバコ1本。銃一丁でウイスキー1本というように。

 仲買人が持ってくるものが原住民にとって世界の全てだったが、しかしその中にチョコレートはなかった。

 原住民たちはプッと吹き出し、やがて笑い転げた。

 チョコレートがおいしかったからだ。 

 甘くて、おいしいチョコレート。

 原住民たちは笑いが止まらなかった。

 原住民たちは興奮状態にあった。カカオの成分がそうさせたのだ。

 「チョコレート!」

 「チョコレート!」

 彼らは歌い出し、踊り出した。

 そして再び笑い転げた。

 兵士たちはその様子を見て、互いに顔を合わせて首を傾げた。

 地面に転がって笑いこけていた長は急に立ち上がると、勇ましい顔つきで天を仰ぎ身体中のバネを使ってジャンプを始めた。

 「チョコレート!」

 それれを見た原住民たちは皆それにならった。

 「チョコレート!」

 「チョコレート!」

 彼らは神に感謝の儀礼を捧げているのだ。

 おいしいチョコレートが食べられたことにじゃない。

 おいしいチョコレートの原材料となるカカオを育てる重要な仕事を与えられたことにへだ。

 これは非常に名誉なことだった。

 彼らは天を貫き、地を打ち鳴らすようにジャンプを続けた。

 その集団行動は、見ているものに迫力と威圧感を与えた。

 兵士たちは怯んだ。

 真面目に儀式に取り組んでいた原住民だったが、ひとたびチョコレートの味を思い出すと頬がゆるんだ。

 体の力が抜け、その場にへたり込み、彼らは再び笑い転げた。

 チョコレートは人を幸せな気分にしてしまう。

 兵士たちはその様子を見てさらに困惑した。

 いやいや、真面目に儀式を続けなければ神に失礼だろう。

 長が気を引き締めいきり立つと、原住民の皆にもやる気みなぎった。

 彼らはさっき以上に気合を入れ、両足で地を踏みしめリズムをとった。

 地響きが轟いた。

 兵士たちは不穏を察知した。

 兵士たちは身を寄せ合い、自分たちの身を案じた。

 片や原住民たちの興奮は最高潮に達していた。

 彼らは辺りに散らばった仲間たちの骨を拾い上げ、棍棒のように使い、音を鳴らし、ダンスを捧げた。

 雄叫びのような声を張り上げ、神と交信した。

 骨を組み、いかだを作り、この幸せをもたらしてくれた兵士たちを祀り上げようとするところだった。

 それを見て兵士たちは、いよいよ自分たちが生贄にされて食われるのだと勘違いした。

 万事休す。

 やらなければやられてしまう。

 「構え!」

 隊長の一声で兵士たちは一列に並び、地面に膝をついて「構え」の姿勢をとった。

 今度は原住民たちがキョトンとする番だった。

 銃口がこちらに向けられている。

 しかしその銃口の黒い穴の様子はチョコレートを彷彿とさせた。

 思わず頬がゆるむと、体中の力がぐにゃりと抜け、原住民たちはまたケタケタと笑い出して、地面を転がりまわった。

 チョコレートはどうしたって人を幸せな気分にさせてしまうのだ。

 「撃てっ!」

 の合図とともに一斉に銃声が鳴り響いた。

 原住民たちは皆死んだ。

 でも、笑い声は消えなかった。

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チョコレート マツダシバコ @shibaco_3

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