マツダシバコ

「光の中に雪が見えるのさ」

「どこに?」

「こうやるとさ」

 僕は両手で望遠鏡のような筒を作って、目に当ててみせた。

 その子は僕の真似をして、手で作った円の中を覗き込んだ。

 「ほんとうだ」

 その子は僕を見上げ、にっこりと笑った。

 「君は街灯にたかった羽虫を見ているのさ」

 僕は道の片隅につっ立った古びた街灯を指差した。

 「ちがう。僕は雪を見ているんだ」

 その子は言った。

 「さあ、じゃあ、次は何が見える?」

 僕は意地悪をして彼の小さな望遠鏡を、手のひらで覆ってやった。

 「さてね。あれは何だろう?海の底かな?宇宙かな?」

 「君は暗闇の中に理想を見ているのさ。君が見ているのはただの黒い闇さ」

 「まって、でも、一筋の光が見える」

 「それはね、僕の手のしわだよ。労働でくたびれきったごわごわの手に、深いしわが寄ったのさ」

 「それにいい匂いもする」

 「そりゃ、そうだろ。僕はパン職人だからね」

 「くんくん。食べたいな。くんくん、大好きなパン」

 その子は鼻をひくつかせて、僕の手の匂いを嗅いだ。

 「パンなんてもううんざりだ。毎日、毎日、手でこねて、もう見るのも嫌だ」

 「僕は毎日、毎日、食べたってあきない。木や家や海や鳥や猫や世界中のものがぜーんぶパンでできていたって、ぜったいにあきない」

 「どうしてそんなことがわかる?」

 僕はすごんでみせた。

 「パパの子だから。パパの作るパンが大好きだから」

 僕はその子をすくい上げて抱きしめた。

 この子は僕の子供。この子は僕の子供。

 赤い毛糸の帽子をかぶった僕の子供。

 僕は子供を天高く持ち上げた。

 その子は笑った。

 「君がパンでできていたら、僕はきっと君を食べちゃうだろうな」

 僕はその子の頬ずりをした。

 「パパ。僕は将来パンになるの。パパが作ったおいしいパンになるのが夢なの」

 なんて、かわいい!

 僕は踊り出したい気分だった。

 いや、実際に踊っていた。

 僕は子供を腕に抱いて、くるくる回った。

 酔っ払ったみたいに、最高に素敵な気分だった。

 月も星も微笑ましく僕らを見守っていた。

 


 暗闇の中で理想を見ていたのは僕。

 僕は夢の中で、夢を見ていた。

 パンは僕が食べてしまったのだ。


 そこには、ただ、雪が降っているだけ。

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マツダシバコ @shibaco_3

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