第36話 中央突破

 コの字形の戦線の中央部、合衆国軍五千人が見たものは、来るはずのない・・・・・・・敵であった。

 夜闇からサーチライトの中へ津波のように次々入り込んでくるグローサー・パンター中戦車とプーマ装甲兵員輸送車、優に一五〇両以上。マンシュタイン元帥が、敵を一日かけて油断させ、切り札として投入したこのザイトリッツ隊は、狙い通り、登場の衝撃だけで敵中央を崩壊させた。

 炎と咆哮を上げて突進してくる鋼鉄の黒豹の群れから、合衆国兵士が狂ったように逃げ惑う。最低限の武器だけ持って、迫り来る戦車に背を向けて。まだシャーク中戦車は何両も無事であるのに、誰も動かさない。戦車兵も一目散に逃げだしたのだ。対戦車砲も兵が逃げ出し、微動だにしない。

 グローサー・パンターの後ろから着いてきていたプーマが、敵陣深く入り込んだところで停車する。後ろ扉を開け放つと、各車よりわらわらと装甲擲弾兵が湧いてきた。そして、錯乱して逃げ回る合衆国兵に、冷静に突撃銃でとどめを刺していく。

 連合軍側中央部は、五分と経たず、秩序の崩壊に陥った。

 ザイトリッツ大佐が時速60キロで走る戦車のキューポラから顔を出し、敵の惨状を目の当たりにして嘆息する。

「目論見通りで結構なことだけど、これほど未熟な兵を相手にしているのかと思うと、いささか戦いがいにかけるね……」

 戦車内から他のクルー四人の苦笑が漏れる。操縦手が続けて問うてきた。

「どうしますか? まだこの中央の敵を掃討しますか?」

 ザイトリッツは双眼鏡を覗いて、合衆国兵の様子を観察する。どこを見ても、彼らは全員背を向け全力で戦場の外へ駆けだしており、その背中に次々と突撃銃の銃弾が命中し、血しぶきが上がっている……。壊走状態の敵がもはや脅威でないことは明らかであった。双眼鏡を下ろすと、大佐はすぐさま次の命令を発した。

「中央は装甲擲弾兵に任せよう。ここはグローサー・パンターが必要な戦場では、もはやないようだからね。グローサー・パンター隊は、十時方向の町へ突入する。合衆国軍・ガーリー軍からなる敵主力を、ブリュッヒャー隊と挟撃するぞ! Alleアレ Panzerパンツェル. „Seidザイト Sturmシュトゥルム!“(全車。“風になれ!”)」

 “疾風”のザイトリッツの号令一下、黒豹たちはトップスピードのまま南の町の方へと舵を切る。


 敵の注意と戦力を中央から左右へ存分に引き付けた後、ザイトリッツ隊が、敵のど真ん中を大胆不敵に突進、油断した敵中央に夜襲を仕掛けて蹴散らし、連合軍を左右に分断した上で、続けざまにグローサー・パンターで右翼の敵主力背後を脅かす――マンシュタイン元帥の朝の閃きと、それを見事完成させたザイトリッツの完璧な機動が、激闘の10月20日を終わらせようとしている。




 マンシュタイン元帥の狙いは連合軍右翼の突破にあると、見事にミスリードした、いや、させられたアンダーソン元帥は、相変わらず大真面目に正面のブリュッヒャー隊と砲火を交えていたが、突如背後から鳴り響いた8.8センチ砲アハト・アハトの甲高い砲声に飛びあがった。思わずコーラの瓶を取り落とす。

「What the f*ck!!!! 奴ら、どうして背後に!?!?」

 瓶が石畳に当たって粉々に砕け散る。黒いドロッとした液体が流れ出し、アンダーソンの軍靴を濡らす。

 参謀の一人が動揺して後ろを振り向く。

「み、味方シャークの音では……? 中央から応援に来たとか……」

「いや、違う! 聞き間違いようがない! 今のは8.8センチ砲エイティ・エイトだ! 中央は何をやっとるんだ!?」

「元帥! 中央との連絡が一切取れません!」

「What!?」

 激しく驚愕し目を見開き、目玉が飛び出そうになる。

「な、何だ一体! 何だと言うんだ!? 左右に七万を超える部隊がいるのに、その間を突破したっちゅうのか?! だ、だとしたら、なぜ誰も気づかなかった!!」

 左右の拳を握りしめる。そのまま吠えて、簡易的な机に振り下ろす。机は、まるで役に立たなかった作戦地図とともに粉砕され、コーラ瓶の破片の横に散らばった。




 七万五千の連合軍将兵が、敵が自分たちの間を平然と通過するのに全く気が付かなかったトリックは簡単・・だ。

 まず、マンシュタイン元帥があえて戦場中央を避けて左右の戦線で終日攻撃を展開し、敵の注意と戦力を中央からそらしたこと。アンダーソン元帥はまさにこれに引っかかり、マンシュタイン元帥の真の狙いを見誤った上、中央の戦力を四万から五千までに減らしていた。マンシュタインが朝閃いた勝利の方程式Fallファル Schwarzシュヴァルツ(黒の件)――中央突破による敵の分断と敵主力背後への機動による挟撃――にそもそも全く気が付いていなかったアンダーソン元帥が、敵の中央突破を十分に警戒できるはずがない。ガーリー軍の司令部は、そんなアンダーソンの能力に疑念を抱いていたものの、マンシュタインの作戦にどれほどの人間が気付いていたのだろうか。まあ仮に察知していても、横柄で愚鈍な合衆国軍に逆らうことはできなかっただろう。

 唯一マンシュタインを苛つかせたのが、鉄公爵アイアン・デュークだった。彼だけは自由軍が中央突破を切り札にすると明らかに理解して動いていた。だから、巡航戦車隊が全滅しようとも、斜面下からの執拗な誘いを袖にし続け、中央の平原を警戒できる丘上に留まり続けたのだ。それも最後は、無視か死かと力技で元帥に攻め込まれ、連合王国軍の全戦力でスコーピオンを先頭とする突進に対応する他なくなった。この時ついに、中央を見る者がいなくなったのだ。

 だが、視界は奪ったが、聴覚はどうか。いくら夜闇にまぎれ、かつ、誰も注意して見ていない状況とは言え、戦車と装甲車一六〇両の大行進は、普通耐え難い騒音だ。しかし、誰もザイトリッツ隊が目の前に現れるまで、あまりに堂々とした敵中の縦断に気が付かなかった。

 仮に自由軍の車両が、他国同様ガソリンエンジンやディーゼルエンジンを搭載していたなら、けたたましいエンジン音の大合唱により途中でバレていたかもしれない。ところが、実際は、マリア・ピエヒ技師の世紀の発明品、バウムバッテリーを電源とする電気モーターを搭載しているのだ。内燃機関とは比較にならないほど静かで、走行音は履帯の軋むかすかな音以外ほとんどない。各所で銃砲撃が轟く戦場では、たとえ一五〇両以上が集団暴走をしても、目と鼻の先に迫るまで、聞こえる音量ではないのである。


 敵の意識を操り、目を奪い、聞き取ることも許さない。“見せたいものを見せ、見せたくないものを見させない”という敵の誘導を得意とするマンシュタイン元帥の指揮信条の一つが、見事にシュトゥルムガルトでも実を結んだ。

 そして、彼が戦中部下に乞われて語った七つの信条は、四番目に誘導方法の極意を簡潔に説いた後、苛烈にこう続く。


 ――敵を疲弊させ、一網打尽にせよ。


 ――一度引いた引き金は、敵が降伏するか、全滅するまで引き続けよ。


 欺瞞で敵を罠へ誘導し、誘導過程で敵が暴れ疲れたところに、温存していた味方火力を集中して叩きつける、敵が敵でなくなるまで一切の容赦なく全力で……。マンシュタイン元帥の思惑通り、連合軍最高司令官は、まんまと騙され、知らぬ内に町という罠にはまっていた。しかも、一日暴れて疲弊色濃い連合軍主力は、力あり余るザイトリッツ隊と、まだまだ暴れ足りないブリュッヒャー隊とに挟撃され、絶体絶命の窮地に陥った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る