第5話 ナン・クローニャ
路地裏の暗く、細い道の端で黒髪の少女が一人で立ち尽くしていた。
彼女の名は、ナン・クローニャ。
空中都市『ゼウス』の諜報機関『ケルベロス』に所属する10歳の少女だ。
背中まである墨色の髪に、闇のような漆黒の瞳——。
彼女の華奢な細い体を包むのは、現在、地上都市『フロンティア』の若い女性の間で人気のワンピースだ。
——純白な色をしており、腰に巻いてある小さな桜色のリボンは、彼女の細い腰を更に細く強調していた。
その様は、どこかの東洋のお嬢様のようであった。
が、彼女の正体はスパイ組織の一員である。
彼女は耳に手を当て、耳に掛けてある小さな機械——『拡張機』にスイッチを入れる。
彼女の目は、愛らしい幼女の瞳から、冷徹で静謐せいひつなスパイの瞳へと変わっていく。
「こちら、シークレットネーム【ヴァンパイア】。ターゲットと関係性のあると思われる人物と遭遇した。場所は地点1Cと地点1Bと中間。常峰丘高校の生徒である事を確認。データを送ります」
ウチは魔力と『拡張機』を操作して、先程盗撮した黒髪ストレートの生徒の写真を送る。
拡張機の奥から太く、地獄の番犬のような、地の底から聞こえてきそうな声が耳に入ってきた。
私の上司である【ロキ】(この名もコードネームだ。本名は知らない)だ。
『確認した。引き続き作戦を続行してくれ。何か分かった事があったら逐一連絡するように』
「了解しております」
『この作戦は極秘任務なのだからな。『あれ』の居場所特定、確保するまでが今回のお前の任務だ。『あれ』は本国の運命を左右する代物だ。例えそれが、元々『ボリス』で造られた兵器だとしてもだ。能力者の謎を我々は知らなくてはいけない。彼らに世界の実験を渡す訳にはいかないのだからな』
「ええ。充分に承知しております。大佐殿」
『頼んだぞ。ヴァンパイア』
「はい」
拡張機のスイッチを切る。
「ふぅ。ヴァンパイアか」
虚空を見つめる。
自分の血塗られた両手を眺める。
闇と血の色に染められたウチの手――
私の心身はもう祖国に捧げているのだ。
祖国の為に忠義を尽くし、任務を何としてでも成功させる。
命に替えても。
それが我々スパイの役割だとウチは思う。
国が全てであり、ウチはその手足に他ならない。
国の家畜、国の犬とウチらが呼ばれている所以はそこにあるのかもしれない。
所詮、ウチは裏の世界でしか生き抜くことの出来ない人間だ。
暗殺家業しか、男を魅了する事しか、変装をすることしか出来ない人間だ。
深く沈みすぎたこの闇からは、決して抜け出すことは出来ない。
どれだけ足掻いても、逃げても、地獄の底から伸びてくる手に永遠と追いかけられる。
故に、ウチはこの闇家業をせざるを得ないのだ。
「まぁ、もう慣れたけどね」
クローニャはその幼女のような容姿とは裏腹に、木材で作られたパイプを取り出して火を付ける。
どうもこれがないと落ち着かない。
白い煙が暗闇に溶け込む。
最初こそは苦労をしたが、慣れてしまえばこっちのものだ。
自分の容姿、魔術の才能、隠蔽工作の技術等々——
ウチの天職はこの仕事だとつくづく思う。
感情を殺して任務に没頭する。
感情なんぞは、人にとって不要なものだ。
ましてや、ウチのような人間には仕事の邪魔でしかない。
「さて、行くか」
あの常峰丘高校の男子を追跡しないといけない。
発信機は既に付けてある。
あとは、尾行をするだけ。
『キー』——
別に恨みはないが、国からの指示となれば逆らうわけにもいかない。
国の家畜——。
国の番犬——。
ヴァンパイア——。
その異名とコードネームの名に相応しい仕事ぶりをして見せよう。
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