四章 思ひわび さてはいのちもあるものを 2—1
2
ビードロの柩がならんでいる。
部屋中にたくさん。
柩のなかには、すべて人間が入っている。
だが、よくは見えない。
室内の薄青い光が、柩の表面に反射していたからだ。
そうとうに広い部屋だが、間口がせまく、見なれない形の変なカラクリが、ところせましと置かれていた。あるいは天井や壁に張りついている。それらがエレキテルの光を放ち、奥まで見通せなくさせている。
静寂のなかに、ブーンとうなるよう音がしている。
そこに、ときおり、人の話し声がまざる。
かすかな匂いは薬品だろうか。
「脳波、安定しました。いつでも覚醒できます」
「血圧、心拍数、異常なし」
「すべて正常値です」
夢のなかのような景色。
春はぼんやりと、ならぶ柩のなかをながめた。そして、息を飲む。
これは……なんだろうか?
なんで、こんなものが……?
おどろいて、となりの柩をのぞく。
すると、なかには、また“ソレ”が入っていた。
信じられない。
そのとなりも、さらにそのとなりも、見れば全部、同じものが……。
「せ……」
先生——?
やっぱり、先生は、あのとき死んでしもたんやろか?
川田さまが庭に埋めたて言うてはったけど、誰かがほりおこして、ここに運んできたんやろか?
だが、そうだとしても、死体は一体だけのはずだ。
なぜ、こんなにたくさんの“先生”が?
ビードロの柩のなかに入っていたのは、竜羽先生の死体だ。少なくとも十体くらいの先生の死体がならんでいた。
春の知っている二十代なかばくらいの先生。
ハタチくらいの先生。
十五、六くらいの先生。
一番下は二さいぐらい。
年の順にならんでいるので、同じ人間の成長過程の各段階だと、ひとめでわかる。
(なんで? なんで、センセが、こない、ぎょうさん……)
立ちつくしていると、柩のなかの子どもが目をひらいた。古渡りの
春は思わず悲鳴をあげた。
死体だと思っていたのに、これは生きているのだ。
おこぼの音をひびかせて、艶珠さまが近づいてくる。
「意識は覚醒してないから、こっちのことは見えてない。彼らは眠ってるんだ。まだ記憶処理もされていない。生きているというだけの人形さ」
「こ、こ、こ……これ……」
春が言いたいことは解しているらしく、艶珠さまは説明した。
「これは人工培養した兄上のクローン体だ。生理食塩水のなかで眠らせ、母胎にいるのと同じ状態に保っている。不思議だろう? 我々のDNAをコピーすると、なぜか、ただの人間ができあがるんだ。
私みたいに生まれつき完全な人型をしている者だけでなく、オデュッセウスのような半精霊型や、まったくの精霊型の者までな。
人間のあみだしたバイオテクノロジーの限界と言えるかな。我々のスピリチュアルな部分までは、その遺伝情報を読みとれない。複写できない。だから、我々の使う魔法に太刀打ちできない」
例のごとく、春には、さっぱり意味がわからない。でも、一つだけわかったことがある。
「ええと……つまり、ここにあるのんは、ほんまのセンセに似せて作ったニセモンっちゅうことでっしゃろか?」
「まあ、そういうこと。でも、これだって、人間としては完全体だ」
わからないので、そこは無視だ。
「ええと……前に、うちのために殺されてしもたセンセは、ここにあるんと同じ、ニセモンのセンセやったんどす?」
「へえ。意外とバカじゃないんだ。そうだよね。ドンクサイ上にバカじゃ救いがないよね」と言いつつ、小バカにした顔つきなのだが。
「本物の兄上が、人間なんかに殺されるわけないだろう? あれはクローンさ」
殺されたのは偽物だと聞いて少し安堵したが、偽物とは言え、春のせいで一人、死なせてしまった。心が痛む。
それに、なんだって、こんなにたくさんの偽物を作っておかなければならないのだろうか?
たずねたかったが、そのとき奥から声がした。
「本体、クローン体、ともに覚醒します」
艶珠さまは走って、そっちへ行ってしまった。
(あ、まだ、聞きたいこと、あってんけど……)
さっき、艶珠さまは、たしかに、こう言った。
私のように生まれつき完全な人型——と。
春が最初に見た出門さまは、どうやら本物ではないらしい。あんどろ、とかいうもので、カラクリだと言う。
でも、今日、五条あたりで見た出門さまは本物だ。人狩りをして人間を食べていた。生身の出門さまだ。
あのときの出門さまたちは、野獣と人をかけあわせたような姿だった。
(センセは、どないやろ……?)
先生も艶珠さまみたいに、完全な人型というものなのだろうか?
それとも……?
もし先生の本当の姿が、あの野獣の出門さまのようなものだったら……。
私のことが恐ろしくはないのかと、夢のなかで先生は言った。金緑に輝く目をしていた。
先生の本性は人ではないのかもしれない。
春は柩のなかの幼子の先生を見つめた。
「兄上——!」
艶珠さまの声で、春は我に返った。
奥のほうに管やら何やら、わやくちゃにとりつけられた台がある。そこに大勢が集まっている。
二人の先生が同時に起きあがるところだ。どちらかが本物で、どちらか一方は、くろんとか言う偽物なのだろう。
正直、春には、どちらが本物か見わけがつかない。
けれど、艶珠さまには、ひとめでわかるらしい。着物のそでから白い腕をひじまで出して、一方の先生に抱きついた。
「兄上! 会いたかった!」
先生は艶珠さまを吸いこんでしまいそうな目で見ている。存在をたしかめるように、艶珠さまの頰をくりかえし、なでる。
そして夢ではないと確信すると、とつぜん情熱を抑えかねたように、荒々しく、くちびるをかさねた。
(センセ……あんな顔、しはるんや)
春の前では、いつも能面のような先生。
でも、今は違う。
艶珠さまを抱きしめる先生の切なげなよこ顔が、春のところからよく見えた。
不覚にも、この瞬間まで、春は気づかなかった。先生の恋しい人が、艶珠さまなのだということに。
そう。艶珠さまは、まるで、ショウビの花のよう。
とびっきりに美しくて、トゲがあって、むせるように甘い色香で、まわりじゅうの男を惹きよせて。
ぽろり。ぽろり。
涙がこぼれる。
先生は春に気づきもしなかった。
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