28 “肖像”
──一月十二日、昼。コグニティア郊外。
「小僧、お前は何を信じる?」
おそらくはコグニティアの都市圏内に入ったであろう僕らは、腹ごしらえのため街道沿いの大衆食堂へ入った。バヤル行きつけだというその店に入った途端、店主から謎かけめいた一言を投げかけられる。どうにも返答に困り立ち尽くしてしまうが、やはり班長であり先頭に立ってる僕が答えねばならないのだろう。
正教の信徒じゃない僕は神の存在を信じていない。ついでに、人間も信じていない。それは自分をはじめとしたすべての人間、という意味だ。
魔道士は魔素を操る。人間の・・・他人の体内を循環する魔素を操るということは、その人そのものを操るということに他ならない。そして、魔素操作の極致においては、人の完全な支配などという大それた“法術”が、かつて存在したそうだ。
・・・人を人たらしめる上で最も重要な器官である“脳”は、有機体で構成された巨大な魔素回路といえる。そこに干渉することで、“行動”のみならず、理論上は“人格”や“意識”、“記憶”までもが操作可能なんだそうだ。──まあ、これはグシュタール教授の著書にあった仮説の受け売りではあるが。
極めて短く、簡素に語られていたその説は、盤石だと思い込んでいた僕の人間観に
「・・・おい、おい小僧。なんだいきなりぼーっとして、大丈夫か?」
あっ。しまった。つい考え込んでしまった。
「えーと、そうだな。僕は世に遍在する法則を信じるよ」
「おっ、なんだ、そんなナリで学者さんか?ならいいや、そこの席に座ってくんな。横のテーブルから椅子を一脚使ってくれ」
あの答えで“学者か”と訊いてくるとはな。案内された席へ真っ先に座るバヤルが、済まなさそうな顔をして僕に謝る。
「先に言っときゃよかったな。ここの店、数代前に異端審問受けてから、正教を敵視していてね・・・正教徒お断りなんだ」
「ああ、つまり神を信じてるって言ったら追い出されてたわけか。飯屋で異端審問ってのもおかしな話だけど」
近場のできるだけ背の高い椅子を引っ張る僕に、バヤルは声をひそめて言う。
「百年前は
ああ、そういうことか。だからって正教徒を追い出したら、それこそ疑いは深まりそうな気がするけどな。
「正教に公然と対立している店があれば、そういう客が集まるってワケよ。正教とそれ以外の街、コグニティアへようこそ。ご注文は?」
若い店員が僕らの席へ来る。なかなかの地獄耳だ。僕らは曖昧な笑みでごまかしながら品書きを見た。
──────────
「やあ。あの質問に、私と似た答えをする者がいるとはね」
皿を半分ほど空けたあたりで、見知らぬ初老の男が僕らの席に近付いてきた。本来の目の大きさがわからないほどに強い度の入った丸眼鏡、広い額に、火事現場から焼け出されたようなチリチリの髪。胡散臭いという言葉を人の形に成形したような男の肩には、くすんだ魔導院の紋章が辛うじてくっついている。おそらく、壁に掛けた僕の外套についている紋章にも気がついているのだろう。
「本院の研究者か?」
「魔導院本院、第三研究室の主任研究員、ヴィルシュタインだ。主に魔素の
「僕は研究者じゃなく、ただの学院の卒業生だけど・・・王都で認定ヴィジルをやっている者だ」
彼が何を目的に話しかけてきたのかはわからないので、少しだけ内容をぼかす。
「珍しい経歴だね。王都のヴィジルがこんなところで何を?」
「私用だよ。グシュタール教授の足跡を探してここまで来た」
今回の特務について話すことはできないが、有用な情報は引き出せるかも知れない。僕がそう言うと、ヴィルシュタイン主任は、ただでさえ眼鏡で大きく見える目をさらに見開いてにやける。
「興味深いね。あの教授について知る人は少ない。彼と同時期に本院に在籍していた者は、みな後ろめたさからその話をしたがらないからね」
「ある人からそのへんの事情は聞いたよ」
そりゃなあ。寄ってたかって食い物にした挙げ句の失踪だ。話したがる人などいるはずはなかろう。教授の実績を使って地位を得たものであれば、話ひとつすることで、これまで築いてきた自己の経歴に傷がつく恐れすらある。
「西の外れにある、小さな教会に行ってみなさい。面白い話が聞けるかも知れないよ。旅ならば、寝床も貸してくれるかもしれない」
教会?僕がフォークを持つ手を止めて怪訝な表情をすると、主任は楽しげに笑った。まあ、なんにせよ、今夜の宿が確保出来るのならば有り難い。初めて訪れる地の宿屋というのは、どうにも僕は警戒心を抱いてしまう。
「助かるよ」
「ああ、礼には及ばない。教授の“遺産”、見つかるといいね」
主任はそう言い残し、店をあとにした。“遺産”。教授が魔導院を離れた後に遺した実験結果のことだろうか。教授が失踪したところまでを知っている人からすると、僕らがそれを探しているように見えるのだろう。実際、当たらずとも遠からずといったところだが。
なんともいえない気分で食事を終えると、若い店員が僕らの分の会計が済んでいることを告げてくる。主任が払ってくれたのか。あの人が僕らに良くしてくれる理由がいまいちわからないが、悪い人ではないのかも知れない。
──────────
──二時間後。
正教とそれ以外の街、か。コグニティアの中心部から西にかけては未だ正教関連の施設が立ち並び、その多くは、王国が成立する以前、数百年前からの威容を留めている。街を歩く信徒も少なくはない。清貧を意味する明るい灰色のローブに、
「さすが聖都ね」
僕はこの光景を見て、バルトリア博士のことを思い出した。彼は薄灰色のローブを着て、別れ際にはアミュレットを握り“神の御加護を”と僕らに言った。元々は正教の僧院から派生した魔導院だが、実際その研究者に正教徒は少ない。魔素の発見からこのかた、魔法が“人が神より賜った聖なる力”ではなく、“手業と法則により発現させる物理現象”であると露呈してしまったことで、神学からの魔法学へのアプローチがほぼ全面的に否定されてしまったことが理由として挙げられる。
博士が正教徒でありながら魔素による魔導学の究明を続けていた理由が今になって気になるが、もうそれを彼に訊くことはできない。
「僕も西方へ来るのは初めてだ。こっちにはまだこれだけの信徒がいるんだな」
腐っても国教だ、という言葉は飲み込んでおく。
瞑想事変からのその流れだ。正教が未だに王国の国教であり続け、これほどの数の信徒を維持するだけでも、相当の努力を要したであろうことは想像に難くない。
「きれいな街だね」
ハナが周囲を見回しながらはしゃぐ。控えめな装飾の宗教建築が美しいだけではない。人々は大声で叫ばず、道端に全くごみが落ちておらず、物々しい衛兵もあまり見かけない。
「少し、息苦しいけどな」
美しい街だが、確かにそんな感じはする。僕はバヤルの言葉に頷き、街頭に立つ案内板を見た。
「ヴィルシュタイン・・・主任が言っていた教会はもう少し先だ。バヤルはどうする?」
ベラティナたる彼らもまた、独自の宗教体系を持つ。無宗教の僕らや、テキトーな多神教のフウらとは違い、教会に入るのは憚られるかも知れない。僕の配慮に、彼は訝しげに眉を吊り上げて首を傾げて応える。
「おい・・・仮釈放中の俺を放り出していいのか?そのままとんずらこくかも知れないのに」
「このまま故郷に帰って山への道を案内するだけで放免になるんだ。ここで逃げることの無意味さがわからないほどお前は愚かじゃないだろう。それに、素性がきわめてしっかりしているからな。もしそうなった時は指名手配でもかけるさ。“駆け抜ける草原の風、バータルの孫、フレルバータルの息子、バヤル”」
「物覚えのいいことだ」
バヤルは手にした紙片を少し見る。
「そのまま泊まるかもしれないんだろ?俺はこのまま行きつけの安宿にでもしけこむさ。次の待ち合わせは、明日の朝でいいか?」
「そうだな・・・それでいいか」
「街の西の果てに、三本のメープルの木と、大きな
この街には城壁がない。大征服戦争時、神聖帝国はさぞ防衛に苦心したことだろうな。・・・まあ当時のことはさておき、現代の僕らにとって、門がないというのは待ち合わせには若干不便に思える。
──────────
──コグニティア西部、ステラテネブリス教会。
こと特務においては、各地の衛兵所と同様、正教も協力してくれるそうだ。僕が機密のスタンプだらけで真っ赤な指令書を提示すると、やはり薄灰色のローブを着た修道女がにこやかに奥へと案内してくれた。
奥の応接室には見覚えのある顔の肖像画がかかっていた。・・・極めて若いが、間違いない。
「これ・・・ドナテロくんだ」
ハナが真っ先に反応する。確かに魔法使いの服装に身を包んだドナテロ・エト・バルトリアくんに見えるな。だが。
「若い頃のバルトリア博士だろう」
「それにしても、そっくりね。日付は・・・だいたい七十年前かしら」
「博士をご存知ですか?ここは、バルトリア博士とグシュタール博士のお布施により建設された、比較的新しい教会なのです」
修道女が少し嬉しげに話す。
「グシュタール・・・博士?」
「その横の肖像に描かれています」
右隣には、椅子に腰掛ける、モノクルをかけた老境に差し掛かる男の肖像がある。だが、目を引くのはその横に立つ、鳥を象った覆面をした男だ。これも描かれた日付は七十年前か。
「ジャンピエール・グシュタール教授の父親か、祖父ということか・・・?」
微妙に年齢が合わない気がする。父にしては老けすぎ、祖父にしては若すぎるような。
「ピエール・テオ・グシュタール博士です。とてもすばらしいお方で・・・模範的な正教徒でした。当時、教会の権威が底をつき、混乱の最中にある聖都において、街頭での演説を行い、教会とともに、人々を正しい信仰の道へ導こうとされました。その横に立つ青年が、ご子息のジャンピエール氏です」
・・・なんだろうな。黒い外套を纏い、手には白いドレスグローブ。鳥の覆面に鍔の広い帽子。“怪しげな術士”ってのは、まさか普段からこの格好でいたということだろうか。
全員がその格好に不審の目を向けていることに気付いたのか、修道女が解説する。
「ご子息のジャンピエール氏は、とてもお身体が弱かったようでして・・・太陽光を直接浴びることも出来ず、感染症を防ぐため、人前では常に薬草を仕込んだマスクを着用しておられたそうです」
そうか。どこかで見たことがあると思ったら、これは感染症の医師も身につけているものだ。まだ未確定だが、王国暦で一八〇年前後に亡くなっているとしたら、七十代ということになるだろう。そういった生まれにしては、かなりの長寿といえる。
・・・待てよ。“ピエール・テオ・グシュタール”?僕がベルタの方を見ると、彼女も不思議に思っているようだ。眉間に皺を寄せている。
「・・・グシュタール博士は貴族だったのか?」
「ええ、そう伺っておりますが・・・」
「子息のジャンピエール・グシュタール教授は貴族ではなかったと、王都で聞いていた」
「おかしいですね。博士のご子息であるならば、そんなことは・・・」
ベルタが僕の方を見る。
「有り得ることか?」
「どうだろう。例え二人が不仲だったとしても、家を継がせなければ家系そのものが絶えてしまう。それに、教授は家の名を捨てていない」
残念ながら、これも、ここで話していて解決する疑問ではなさそうだ。
「ここに来て謎が増えるばかりだな」
僕は肩をすくめる。
「ご苦労さまです。寝台はこれからご用意いたしますので、しばらくここで寛いでいてくださいね」
「それより、わたしはお風呂に入りたいわ。ここにはあるのかしら」
フウが修道女に訊くと、彼女は表情を明るくした。
「グシュタール博士は大のお風呂好きでしてね。それはこの教会の居住施設にも受け継がれています。ハーブや、北方の温泉から採取した塩もありますよ」
フウとハナが飛び跳ねて喜ぶ。僕はそれを見て、昔屋敷にいた犬がひどい水嫌いだったとことをふと思い出し、笑みが漏れた。
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