21 “ユーリネアの憂鬱 III”

──潜入二日目。十二月二日、午後。王都中央区、ベラン物産。



 僕が今日のノルマを果たし、ボルドのところへ行くと、彼は「しっ!」と指を立てて、僕を倉庫の隅へ案内する。


「今日バヤルが来るんだ。秘密の話がここで聞けるんだぜ!」


 小僧が小声で自慢げに言う。バヤル・・・誰だろう。今日の入庫分を持ってくる運び屋か?


 僕の予想は当たったようだ。ほどなく倉庫に、一杯に貨物を積んだ荷馬車が入ってくる。御者台から降りてきた二十代半ばの男は、“人相書きの二人目”によく似ている。男は社長、デンスの二人と肩を叩きながら再会を喜んでいるが・・・心なしか、社長の表情が固い。

 彼らは連れ立って事務室へと入っていった。扉の鍵がかかる音が倉庫に響く。


 僕はボルドと例の壁の近くへ行く。彼に倣い、壁の穴に耳を近づけると、三人の会話がかなりはっきりと漏れ聞こえてくる。・・・穏やかな口調ではない。


「──明日の朝までにはここへ戻ってこなければならないんだ。おやじさんも脱出を手伝って・・・」

「私は反対だと言っているだろう。これ以上面倒事を持ち込まれてはかなわん」

「あんたは黙って見ているつもりなのか!あの子らは俺の目の前で、衛兵どもに踏みつけにされ引きずられていった!今頃どんな拷問を受けているかわからないんだぞ!」


 ・・・これはデンスの声か。

 多分、あの子らってのは僕らが捕まえたベラティナの売人のことだろうな。やべ、本当にあの場にいたんだ。フウの言う通りだ。女装しといてよかった・・・

 彼らは今、売り子たちを救いに行く算段を立てているのか。売り子には偽名を伝えていたっていうから、てっきりいざという時に切り捨てるのかと思っていたが、違ったのか。芋づる式に逮捕されないように手を打っていたってことかな。それにしてもまあ、あんな若い連中を使って違法なクスリを売りさばいておいて、すごい被害者意識だな・・・。


 しかし、これはまずいな。“明日の朝までには”売り子を全員王城の地下牢から掻っ攫って、ここへ連れてくるつもりなのか。予定の大幅な変更が必要だ。


「そもそもお前たちが始めたことの後始末だろう!私は場所を貸しているだけだ!これ以上巻き込まないでくれッ!」


 おや。社長は密輸、密売には直接関わっていないのか。倉庫に置いてある在庫も“デンスの私物”という表現だったそうだし。若い連中が、小遣い稼ぎと同時に郷土愛を感じられる割の良い商売として始めたってあたりかな。


「・・・わかった。あんたには失望したが、それでも大きな恩がある。これ以上迷惑はかけないさ。バヤル!」

「わかってる。そのためにここまで準備してきたんだ。取り返しに行くぞ、デンス。俺たちでな」


 なるほど・・・王城に運び屋が二人して捕まりに来てくれるというのは悪い話ではない。だが、二週間は準備期間があったわけだし、生半可な計画ではない可能性もある。なるべく早くオズボーンに伝えて、牢の警備を厳重にする以外にも、僕らが何かしら手を打たねばならないだろう。

 僕がふと視線を上げると、拳を震わせ使命感に燃えた目をしたボルドが事務所へ走っていく。咄嗟にそれを止めようとしたが、間に合わない。小僧はドアを叩きながら叫ぶ。


「デンスの兄貴!おれも連れて行ってくれ!あいつらを救い出したいんだ!」


 あちゃー。そういう話をこんなところで大声で・・・

 すぐにドアが開かれ、ボルドと・・・すぐ横にいた僕は事務室に引っ張り込まれた。しかし、ボルドも救出に行きたいのか・・・こいつらと一緒に捕まると、多分不法侵入あたりで結構くらうだろうな。どうしよう。



──────────



「話を聞けボルド!お前はまだ子供だ!この二人についていくなど、私が許すわけがないだろう!」


 社長による必死の説得。だが、この場合、子供に対して“子供だから駄目”というまっとうな意見はだいたい逆効果だ。


「父上は同じベラティナがひどい目に遭っているのを見捨てろと言うのか!今捕まってる中には、俺と遊んだことのあるやつもいるんだぞ!」

「あれはこの二人に唆された結果だ!お前を同じ目に遭わせるわけにはいかないんだ!なぜ判らない!」


 この規模の会社だ。社長はおそらく長年、もしかするとベランで過ごしたよりも長く王都で商売人としてやってきたのだろう。どちらかというと王国人に近い意識を持っているようだ。民族としての誇りよりも自分の生活や家族が大切。当たり前だ。僕だってそうだ。しかし、若い連中、特に“民族の誇り”くらいしか持てるもののない者はそうはいかない。


「確かに、ボルドを連れて行くのは・・・」


 逡巡するバヤルに、デンスが力強い口調で言う。


「いや、バヤル。志を持つのに子供も大人も関係ない。これは民族のための闘争なんだ!」


 ・・・いやそこは思いとどまれよ。十二の子供だよ?


「ユーリネアちゃん、君はどう思う」


 げ、こっちに振ってきた。僕が少し言葉に迷っていると、バヤルが口を開いた。


「無関係な王国の子に俺たちの事情を話しても仕方がないだろう。それより、お前が言っていたこの子の姉、ヴィジルじゃなかったか?」

「俺も一時期登録していたことがあるけど、ヴィジルなんて殆どはただの日雇いだ。認定に至って衛兵の真似事をしている連中なんて、ほんの一握りだよ」


 ほう。よくご存知のようだ。僕らがその一握りなんだけど。


 ・・・さて、ここからは、うまいこと会話を舵取りしなければ。

 デンスらによる王城への潜入は、むしろさせるべきだろう。第三者に影響を与えないよう、こいつら二人だけを拘束するチャンスだ。同時に、ボルドの同行だけは可能な限り避けさせなければ。この子を不法侵入のかどで逮捕して社長と奥さんを悲しませるのは、些か寝覚めが悪い。

 本で読んだ知識を活用するのは今だな。


「王国とベランの間に、昔からがあるのは理解しています。わたしの父はベランの文化に興味を持ち、そのことをよくわたし達姉妹に話してくれました。異なる文化の間にあるのは差異だけだ、優劣ではない、と。羊乳で煮出したベランのお茶に、少しのシナモンを入れながら・・・」

「・・・ベルカくんからも少し聞いていたが、本当に素晴らしい父上をお持ちのようだ。きみたち姉妹がこれほど良い子に育ったのもよくわかる・・・」


 ずっと不機嫌そうだった社長の表情が少しだけ和らぎ、しみじみと言ってくれる。社長ごめん、僕はだいぶゲスだし、なによりウソなんだこれ・・・

 一方、期待通りの反応だったのか、デンスは輝く目で僕を見始める。よし、これなら僕の発言は彼に相当の影響を与えられるだろう。


「わたしには難しいことはよくわかりません。ですが、“仲間を助ける”、というのは、正しいことであるように思えます」

「そうだろう、なら・・・!」

「でも!それはこうなった責任を負う人たちの手によるものでなければならないと思うんです!」


 深刻な表情を作り、正論でまくしたてる。今回の件に責のないボルドを連れて行くのには同意しないという意図を汲めないほど、こいつらも愚かではあるまい。

 さらに、こう攻めよう。


「・・・そして、この件に関しては、わたしの父をはじめとした王国の人間にも責の一端があります。わたしの父は王都でそれなりの地位にありましたが、ベラン解放を訴えた結果、罷免され失脚、失意の死を遂げました。父の無念を晴らすために、わたしを連れていってください!」

「ユーリネアちゃん・・・!」


 僕がついていって、そのままとっ捕まえてやれ。王城への侵入ルートを割り出せば、今後の警備強化にも繋げられる。

 あとこの発言は“ベルカ”がヴィジルであるという点への不信感への対処も兼ねた内容にしてある。“父親がベランを擁護して失脚し、落ちぶれた”という設定は、それを拭うに足りるものだろう。即席で作ったでまかせにしてはよく出来ているんじゃないかな。


「くそッ!どうして、おれだけ連れて行ってくれないんだ!」


 ボルドが半泣きで机を叩く。もうひと押しだな。


「ボルド。あなたはこの会社の跡取りなんでしょう。あなたにしかできないベランへの奉仕はいくらでもあるわ。わたしより素敵な女性を見つけて、立派な社長になるのよ・・・」


 そう言って小僧の手を取る。・・・ノリノリだな僕。今ならどんな作り話だってできそうだ。

 ボルドは袖で涙を拭い、無言で部屋を走り去った。やったぜ。


「・・・息子を説得してくれたのはありがたい、だが、ユーリネアちゃん。きみが彼らと王城に行くというのは・・・」

「ご心配には及びません。もとより、父の無念を晴らす方法をずっと思い悩んでいたのです。王城の中のことなら、たぶんみなさんよりずっと存じ上げていますわ」


 これはウソではない。王城へはエルシダ卿に同伴して何度か入っている。当然、地下牢なんかには入ったことがないので、そのへんの構造はわからないが・・・

 デンスとバヤルは互いを見合わせ、頷いた。


「決まりだな。侵入路は確保してある。これ以上ない案内人も味方にできた。成功は確実に近い。今日の深夜に行動を開始する」

「ああ。俺も荷卸が終わり次第、すぐに準備を始める。明日の朝には、空いた荷車に全員乗せてベラン行きだ」

「わたしは姉と話してきます。彼女も協力してくれると思います」



──────────



──十二月二日、深夜。王都中央区、城壁付近。



 城壁に沿い、二人の歩哨が歩いている。デンスとバヤルは示し合わせることなく同時に動き、背後から二人を襲い、首を締め気絶させた。なかなかの動きだ。遵法意識さえしっかりしていれば腰紐としてもやっていけそうだな、この二人。

 彼らが歩哨の装備を奪い、軽鎧を着込んでいる時に背後から物音がする。


「誰だッ!」


 鎧を着ている最中という絶妙なポージングで、小声で凄むデンス。茂みから恐る恐る現れたのはボルド少年だった。


「あなた・・・ついてきちゃったの?」


 僕の問いかけに、視線を逸らしたまま口ごもるボルド。やがて、胸のうちを絞り出すように吐露した。


「ユーリネア、お前まで仲間を助けに行くってのに・・・おれだけが一人、家でじっとしてなんかいられるか・・・!」


 あー。僕のせいか?惚れた女が死地へ飛び込むのに同伴したいということかな。

 色恋の熱病に冒された人間というものは、おそらくこの世で最も厄介な人種のひとつだと僕は思っている。僕自身が他者とのそういった関係を持ち得ないような出自と見た目なので、その考え自体がやっかみや僻みの一種かもしれない。だが実際、本能の支配下にある人間には理屈も道理も、ことすると道徳や常識すら通じない。さらには大局を見誤り、一時の自己満足のために多くの人間の不幸や、破滅的な結果を呼び込むことも少なくはない。彼も今、そんな熱狂の只中にいるのだろう。この僕が演出した“ユーリネアちゃん”と一緒なら、地獄の劫火の中にでも喜んで飛び込むに違いない。


「デンス、どうするよ・・・」


 バヤルは悩んでいるが、直情型のデンスに訊くのは間違いだ。


「ボルドの思いを止めることは、もはや誰にも出来ないだろう。みんなで行くぞ」


 ・・・こう言うに決まってる。隠密潜入の場合、人数、しかも素人なんかは増えるだけ邪魔でしかないことは、デンスならわかりそうなもんだけどな。“行き過ぎた郷土愛”という熱病も、色恋と同じか。

 仕方ない、連れて行って、逮捕される前に僕らで保護するか。



──────────



──十五分後。王都地下水道。



「ベルカに俺の勇姿を見せられないことだけは残念だな」

「姉には地上の退路を確保してもらってますので、そこはご容赦を」

「はは、冗談だよ」


 やはり、彼らはここ二週間でそれなりにプランを立てていたようだ。王都の地下水道に詳しい盗賊の知り合いに協力を仰ぎ、王城地下の牢まで限りなく接近できるルートを選んだ。実際に二度ほど近い場所まで侵入して警備状況などを確かめるところまでやっていたそうだ。運び屋の仕事の合間にそれをこなしていたというのだから恐れ入る。普通に実行してたら、成功はしないまでも、いいところまではいったかもしれない。

 水路の脇から、不意に小さな声が聞こえる。


「今日の鼠は」

「十七匹だ」


 きわめて簡素な合言葉で、件の盗賊と合流する。デンスとバヤルは兜を脱いで、彼と軽く挨拶を交わした。面白いな、物語の一節みたいだ。僕が彼らを陥れる悪役みたいに思えてきた。あながち、間違いでもないか。


「念の為言っておくが、俺は抜け道の鍵を開けるだけだからな。囚人の救出は手伝えんぞ」

「ああ。これ以上お前に借りを作れないよ」


 “王都地下水道を拠点とする盗賊団”か。依頼リストで見た覚えがあるな。こいつも一員じゃないのか?まあ、今回はこいつらを捕まえに来た訳じゃない。


 しばらく歩くと、明らかに他と違う雰囲気を放つ、厳重に鎖が巻かれた鉄格子が姿を現す。


「ここからが本番だ」


 デンスが呟くと、盗賊は音もなく扉へ近づく。二十秒ほどしただろうか。耳触りの良い金属音が鳴り、錠前が外れる。ピッキングというのを初めて見たが、見事なものだ。


「・・・手伝えはしないが、成功を祈るくらいはしてやる。気をつけろよ」

「ああ、任せろ」


 二人の言葉の端に見え隠れする友情のようなものに、僕の心がほんの少し痛む。すまない盗賊の人。僕はこの企みを全部ぶち壊すために動いてるんだ・・・


 僕らが鉄格子を通り抜けると、盗賊がふたたび錠前を下ろす。そのかすかな金属音が地下水道に響いた。



──────────



──王城、地下連絡通路。



 鉄格子を外して頭を出し、周辺の安全を確認するデンス。彼がさっと上に飛び出し、バヤルとボルド、最後に僕が続く。地下水道は王城のどこかの通路の床に繋がっていたらしいが、僕にとっては見覚えのある場所ではない。

 もっとも、僕がよく覚えているホールや謁見の間なんてところはまず通らないから、今回の潜入にその知識は役に立たないだろうし、そもそもはじめから使う気もない。


「ここは城壁と城内をつなぐ地下の連絡通路だ。城内の方へ進めば、地下牢と地上階の分岐が見えてくる」

「衛兵が来たら?」

「麻薬の売り子を投獄しに来たと言う。うまくいけば鍵を借りられるかもしれない」


 デンスが小声で軽く説明し、音を立てずに歩き始める。ふむ、悪くない計画だが惜しいな。彼らは軽鎧の肩にある部隊章に気づいていない。外回りの警邏隊が城内にいる時点で尋問対象だ。

 僕は適当にでっち上げた嘘を並べる。


「城壁側の通路に姉が退路を作っています。救出が成功したら、この通路をそのまま戻りましょう」


 頷いて先に進むデンスとバヤル。彼らが分岐に差し掛かったその時、足が止まる。

 愕然としたかおで固まるデンス。わけがわからぬといった表情で戸惑うバヤル。二人を見て狼狽えるボルド。


「ベ・・・ベルカ?な、なぜきみがここに・・・?」

「・・・騙していてすまなかった、デンス」

「“腰紐”。そんな、馬鹿な」


 青ざめるデンスの前に立ち塞がるのは、礼服の腰に赤黒の紐を下げ、刀を差した“ベルタ”。もう片方の通路はハナとフウが塞いでいる。デンスは咄嗟に僕の方を振り向く。僕は腰のポーチに折りたたんでしまっておいたキャスケット帽を被った。


「こうすれば、東門近くの倉庫で一部始終を見ていたデンスにはわかるかな。僕たちのことが」


 彼はわなわなと震えだす。通路の先からは、既に何人もの衛兵が迫ってきている。その先頭はオズボーンだ。


「お前ッ・・・倉庫であいつらを・・・ベラティナの誇りを踏み躙った・・・!」

「デンス。バヤル。国王陛下の御代理たる王太子殿下の御名において、お前たちを拘束する。罪状は違法薬物の越境所持、密売容疑。不法侵入の現行犯と、脱獄幇助の未遂犯だ」

「きっ貴様ァッ!!」


 デンスは僕に飛びかかろうとするが、衛兵に阻止されもがく。バヤルは最早抵抗するでもなく捕縛される。状況を全く飲み込めていないボルドだけが、ただ茫然とその光景を眺めていた。彼を捕縛しようとした衛兵を、僕は手で制止する。


「・・・ユーリネア・・・これは、なんだ・・・お前は、一体・・・」


 僕は今更になって、無邪気な少年の心を弄んだ事実に少しだけ良心の呵責を覚えた。


「僕らはヴィジル。法の番犬だ。ベランから来る違法薬物の件で、お前の父親の会社に対し捜査を行っていた」


 ふっと口の端を緩め、肩をすくめながら、もっとも残酷な事実を伝える。


「・・・あと、僕は男なんだ」


 この告白で、少年が特殊な性的嗜好に目覚めたりしないといいが。


「全部・・・全部、嘘だったのか・・・」

「そうだ。信用を得るためお前を利用し、社長に近づいた」


 逆上したボルドが叫び声をあげ、僕を殴る。まあ、そうするしかないだろう。決して懺悔づいたわけではないが、それを僕は甘んじて受け止める。だから、連れて来たくなかったんだ。子供にこういった事実は残酷過ぎる。

 僕は微動だにしないまま、少年に伝える。これだけ嘘を並べ立てたあとでは伝わらないと思うが、言うしかない。


「・・・お前には立派な父親と、継ぐべき家業がある。クスリを売って得る、郷土に貢献したような錯覚で満足する人間になるべきじゃない」

「ちくしょう!黙れッ!この嘘吐きがッ!」


 ・・・やるせないな。本当にやるせない。ヴィジルってのは、どこまでいっても因果な商売だ。



──────────



──翌日。十二月三日、朝。王都中央区、ベラン物産。



「息子を無事に連れ帰ってきたことには礼を言おう。だが、とても心から感謝する気には・・・」

「それで構わない。僕らはあなた方を騙し、ベラン物産への捜査を行っていたんだから。物を投げつけられないだけでも有り難い」


 社長にボルドを引き渡し、僕らは最後の仕事を終えた。その後ろでは、倉庫内を知るベルタが指揮をとり、数名の衛兵が赤い印のついた“デンスの私物”を荷車に運んでいる。


「全部、嘘だったのかね」

「ほとんどは」

「・・・そうか」


 息子と同じことを訊かれる。昨日の社長の救われたような笑顔が思い出され、思わず釈明めいた言葉が僕の口から漏れる。


「“異なる文化の間にあるのは差異だけだ”・・・」


 呟きを聞いて、社長は伏していた視線を少し上げて僕を見た。


「“優劣ではない”。これだけは嘘じゃない。父ではなく、アシハラの親友を持つ、僕の持論だ」

「そうか」

「それに、ベランの茶。あれにシナモンを入れると実際おいしい。王国の人間にも受けると思うよ」


 少しだけ緩んだ社長の表情を見て確信する。やはり僕は、巻き込まれただけのこの人に、デンスらのとばっちりで罪を負わせたくはない。


 二日目の作業の合間にベルタが確認していた通り、“デンスの私物”の中身は、大量の“黒塩”と“ベラニエの蕾”。そして、僕の作ったリストと商会が実際に取り扱う品の間には齟齬は見られなかった。つまり、社長は密輸と密売に関してはシロと見做せる。だが所有する倉庫に、彼らの物資を置かせていたことは事実だ。そのことについての尋問は行われるだろう。こと麻薬に関する罰則は厳しい。受け答えによっては実刑もありうる。


「・・・あなたはデンスとバヤルの“副業”を知らなかった。赤い印の箱はあくまで彼らの“私物”だ。当然、中身を見ていないから、それがなんだかわからないし、なぜ衛兵が押収しているのかもわからない」


 こう言えば罪を免れるか、そうでなくとも実刑は避けられるだろう。僕からもオズボーンにそう報告すれば、間違いない。彼は駆け引きに長けた商売人だ、すぐ意図を察したのか、肩をすくめ微笑った。


「何も、聞こえなかったな」

「そうだろうね。では、僕はこれで」

「・・・ありがとう、“ユーリネア”くん」

「その名も嘘でね、僕は“ユリエル”だ」


 もっとも、それですらただの“登録名”だ。嘘ばっかりだな、僕らは。

 潜入捜査の後味の悪さを、ひとつの家庭の崩壊を救ったような錯覚で誤魔化し満足する、か。僕はベルタに声をかけ、ベラン物産をあとにした。

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