15 “たのしい入院生活 II”

──十月二十三日、午前。王都学術区、魔導学院、大図書室。



「あなたが、グシュタールさんの事を調べているという子かしら?」


 教授の著書を読む僕に、銀縁の眼鏡をかけた年配の女性が声をかけてきた。細身でしゃれた服装が、大変知的に見える。


「ええ。失礼、どちら様で・・・」

「魔導錬金学教授、エーリカ・エメ・ルクセンハイザー。よろしく」

「まさか・・・マーヴェ・・・ルキウスくんの・・・」


 いや、それどころの話ではない。なぜ僕は忘れていたのか。“エーリカ・エメ・ルクセンハイザー”。バルトリア博士が言っていた、教授と伝書鳩を通じやり取りしていた“もう一人”だ!


「そうだ!あなたは、グシュタール教授の・・・」

「・・・ええ。“友人”の一人。あなた、お名前は?」

「あっ、失礼。僕はユーリエル・テス・エルシダシアです。よろしくお願いします」


 慌てて自己紹介をし、握手する。


「数年前に学院であなたを見かけた覚えがあるわ・・・。テス・エルシダシア。あなた、東方領主の?」


 覚えられやすい風体ってのはこういう時にちょっとだけ便利だ。僕もこの教授を見かけた覚えだけはあるが、錬金学には興味があまりなく、履修もしていなかったので、どういう方だかは存じ上げない。


「かつてそうでした、今は違います」


 いささか飽きのきたやりとりを受け流すが、表情は崩さない。僕はルクセンハイザー教授に順を追って話した。自分の出生、僕の名が“被後見人”である理由、グシュタール教授が“出来損ないに大地のマナを注ぎ込んだ怪しい術師”である可能性があること。こうして事情を話すこと自体がそれなりの危険を伴うが、短時間で信用を得るためには仕方がない。

 だがそれでも、“ハナ”と“ミオ”の話だけは避けておく。彼女のことこそ、可能な限り知る人を少なくとどめておくべきだろう。

 教授は驚いたような顔つきで、真剣に聞き入ってくれる。


「北方の“言い伝え”、まさか事実だったとは、驚きね」

「僕も確信が持てたのはひと月ほど前です。当時のから直接聞きました」

「確かに、そんな大それたことが出来るのは、あの人くらいしか思い当たらないわ・・・魔導院を去った時期とも、一致する」

「バルトリア博士も、そう仰っていました」


 ルクセンハイザー教授は目を閉じ、残念そうに言う。


「博士は最後まで、グシュタールさんに一言、謝りたがっていたわ」

「そうですか・・・」

「・・・それで、あなたは何を調べているの?」

「“カルデラ湖畔の研究所”。グシュタール教授が最後にいたとされる場所です」


 教授は残念そうに首を振った。


「十八年前に届いた最後の手紙まで、それ以上の具体的な場所についての話は書かれていなかったわ」


 少しだけ教授の声のトーンが落ちる。僕は少し机に身を乗り出した。


「グシュタールさんには身寄りがなくてね。彼のご遺体が研究成果と一緒に朽ちて無に帰す前になんとかしたかったんだけど、何らの手掛かりも見つからなかったわ。・・・不自然なほどにね」


 ・・・最後の一言で俄然、きな臭くなってきた。


「何者かが、教授の“失踪”に関与していると?」

「なんとも言えないわ。グシュタールさんが、私の想像以上に、病的にプライバシーを気にする人だったというだけかも知れない」

「お二人にも居場所を知らせないくらいですからね」

「・・・最後の弟子なら、何か知っているかも。でも簡単に話しに行ける相手ではないわ」


 “最後の弟子”?


「グシュタールさんがいなくなる直前、彼は王太子クラウンプリンスベルトラムIV世殿下の個人指導をしていたの」

「王太子殿下ですか・・・。即位式を終えられたら陛下ですね。確かに気軽に話を聞きに行ける相手では・・・」

「謁見できる機会でもあればいいのだけれどね」


 結局のところ、ほぼ進展はなし、か。ついでだ、気になっていたことを訊いておこう。


「そういえば、グシュタール教授にはミドルネームがありませんね。貴族の出ではなかったということですか」

「そうね。魔導院が彼の功績を過小評価している一因でもあるわ」

「五年間魔導学院でご指導に与りましたが、グシュタール教授の話は一度も聞いたことがありませんでした。殿下への個人指導なんて、名誉そのものにも思えるのに」

「・・・それも含めて、彼の名声は殆どが風化してしまっている。今残っているのは、わずかな著書だけ。私は、この貴族主義が蔓延る魔導院を変えようと努力しているわ。もう、残された時間はあまり長くはないけれどね」


 僕はハナの言葉を思い出す。“ぼくもユリちゃんと一緒にお勉強したかったな”と彼女は言った。


「・・・貴族ではなくとも実績が正しく評価され、アシハラの人でも学ぶことの出来る、そんな魔導院になる日は来るのでしょうか」


 ルクセンハイザー教授は目を丸くする。そして楽しそうに笑った。


「あなた面白いこと言う子ね。“異人”に教育を受ける権利を、なんて訴える人は見たことがないわ」


 一瞬冗談と受け取られてしまったと勘違いしかけたが、教授は優しげな目をして、話を続ける。


「まさか、私と同じ意見を持つ人に会うことが出来るとはね。そう、教育というのは、誰でも受けることが出来ていいはずなのよ」


 それを聞いた僕の顔には、自然と笑みが浮かんだ。


「一朝一夕には無理だと思うけれど、変えてみようとする努力を続けることはできる。ありがとう。あなたと話が出来て良かった」


 僕はルクセンハイザー教授と握手を交わす。


「こちらこそ、大変有意義な時間でした」


 直後、教授の顔つきが豹変する。視線の先を追うと、本棚の影から覗き込むマーヴェリックと二名の手下がいた。・・・ずっと見てたのか。


「ルキウス!あんたもちゃんと挨拶しいや!お世話になっとるんやろ!」


 ・・・ああ、間違いない。血縁者だ。別に彼を世話した記憶はないが・・・


「はいッ、お祖母ばあ様ァ!ユリエル大先輩ィ!お疲れ様でしたァ!」

「あ、ああ、うん、ありがとうマーヴェリックくん。お祖母様を呼んでくれたんだね。とても助かったよ」


 彼も、よくわからない序列意識を持っている以外は、存外良い人そうだ。教授がお孫さんをどやしつけながら図書室を出ていくのを見送ってから、僕は笑顔のまま本に目を落とした。



──────────



──三日後。十月二十六日、午後。王都学術区、魔導院、魔導医学部、特別病棟。



 結局のところ、グシュタール教授の著書からも大した情報は得られずじまいだった。面白くはあるので、読み進めてはいるが・・・ずっと本ばかり読んでいるのも、だいぶ飽きてきた。


「ユーリちゃん!」


 僕が暇で死にそうにしていると、見舞いが訪れる。ハナと会うのがこんなに待ち遠しくなるなんて、入院前は想像だにしていなかった。


「差し入れだ。この前タイトルを聞いておいた本を見繕ってきたぞ」

「本当にありがたい・・・いくらなんでも出来ることがなさ過ぎるからな」


 とは言うが、既に本はだいぶお腹一杯な感がある。


「エロ本は入ってないわよ」

「・・・そうか、それは残念だ」


 相変わらずの掛け合い。これだけでもだいぶ気が晴れる。


「仕事はどうだ?」


 ベルタが顎に手を当てながら答える。


「他のヴィジルと話をすることが増えたんだが、どうやら認定ヴィジルというのは、普段巡視パトロールをこなして日銭を稼ぎ、入用な時に報酬の大きな任務に手を出す、というスタイルが一般的らしい。今はそれに合わせている」

「なるほどな・・・巡視だけで百ミナ、途中で事件を処理する度に手当分をプラス、か。確かに暮らしていくには全く困らない稼ぎにはなる」

「それだけでも面白くないと思って、組合の書類整理手伝いなんてのもやってみた。結構面白かったぞ」

「ちょっとベルタ、フランツさんと組んで受けた依頼もあるでしょ」

「なんだって?」


 聞き捨てならない言葉がフウから出てきた。


「ああ。きみに言うと気にするかと思ってな。フランツに声をかけられて、彼と四人で山賊退治にも行ったんだ。四十年に及ぶ実戦経験で練り上げられたフランツの剣筋・・・素晴らしかった、ユリエルにも見せてやりたかったよ」


 遠い目で語るベルタ。やばい、これ僕がいらなくなるやつじゃないか。嫌な汗が頭から流れてくる。


「でも、やはり付け焼き刃では難しいな。私達ではハナとフウの存在を有効に活用できず、六人いた山賊の二人を逃してしまって、報酬は三分の二しか出なかった」


 よ、よかった・・・いや、厳密には報酬満額ではないからいいことではないのだが・・・。ともかく、フランツの作戦で普段よりラクに完全勝利とかされたら、僕の立つ瀬がない。


「ふっ、やっぱり、僕がいないとダメみたいだな」

「そうだよ、フランツさんもかっこよかったけど、やっぱりユリちゃんがいないと!」

「汗だくの上こわばった表情で言うセリフじゃないわね・・・」


 その時、控えめにドアをノックする音が会話を途切れさせた。


「ユリエル・・・さんの病室で、よろしいですか?」


 初めて聞く声だ。ユーリエルではなく、か。


「はい、どうぞ」


 入ってきたのは、十代後半に見える眼鏡をかけた若い男。学院の制服だ。ハナやフウより少し歳上といったところか。


「お初にお目にかかります。ドナテロ・エト・バルトリアと申します」


 ・・・バルトリア?


「もしかして、バルトリア博士の・・・?」

「そうです、デナリオの曾孫にあたります」


 みんながしげしげとドナテロを眺める。彼はあまり女性慣れしていないのか、顔を真っ赤にして俯く。


「あまり近くで眺めるな。失礼だろ」

「あらごめんなさい。あまり博士に似てないとか思っちゃって」


 フウはそう言いながら椅子に腰掛ける。ハナは近いまま彼を指さす。


「まゆげも長くないよ」

「お前ら・・・」


 ドナテロは顔を赤らめたまま鞄から一通の封筒を出す。


「曽祖父が亡くなる直前に、“ユリエル”さんにこれを渡せとだけ申しておりまして・・・名前以外がわからなかったもので、探すのに手間取って、遅くなってしまいました」

「もしかして、ルクセンハイザー教授が?」

「ええ、最近曽祖父と話をした“ユーリエル”さんという似た名前の人がいるから、もしかしたら、と」

「えっ、ちょっと待ちなさいよ!ユリエル!博士が亡くなったなんて聞いてないわよ!」


 焦りの表情を見せるフウが割り込んできた。ハナとベルタの二人は事態が飲み込めていないのか、固まっている。そうだ、まだ伝えていなかった。


「すまない、この子たちはまだ博士が亡くなったことを知らないんだ」


 最初に言っておくべきだったか・・・。僕は彼女らの方を向き今更ながら伝える。


「十月十一日・・・今から半月前に、バルトリア博士が亡くなっていた」

「・・・なんだって」

「わたし達が会ったすぐ後じゃない・・・なんで言わないのよ」

「この後で言おうと思ってたんだ。僕もこの前知ったばかりで・・・」

「おじいちゃん・・・」


 合わせて数十分話しただけだったが、僕らにとってバルトリア博士の存在はとても大きい。博士の依頼で、初めて自警団らしい仕事をこなすことができ、大きな自信を得た。それにグシュタール教授の存在を教えてくれたこと、それは大きな目標となった。

 僕はドナテロから封筒を受け取る。


「・・・開けていいか?」

「ええ、もちろん」


 封蝋を外す。中からは二通の手紙が出てくる。一通はバルトリア博士の直筆。もう一通は・・・


「・・・ジャンピエール・グシュタール。教授の手紙だ」


 ベルタがベッドに身を乗り出し覗き込む。


「王国暦一八一年・・・十八年前か」


 ルクセンハイザー教授の言っていた通りだ。とりあえず教授の手紙を置いておき、僕はバルトリア博士の手紙から読み始めた。


 “私の最後の教え子たちへ。済まないが、時間があまりなさそうだ。長い挨拶は抜きにするよ。君との話の後、私はすぐに自宅でグシュタール君と交わした手紙を探した。一通だけ、最後に彼から送られてきたものが見つかったので、同封して送る。四人の旅の乙女に、幸運がありますように。──おそらく最も高齢な君たちの友人、デナリオより”


「博士・・・僕は男だって言ったじゃないですか・・・」

「えっ・・・?」


 何故か反応したドナテロくんはとりあえず置いておく。僕は少し涙ぐみ、バルトリア博士の手紙をベルタたちに渡す。そして教授の手紙を見た。


 ・・・内容の殆どは魔素を使った実験に関するものだ。だが、二点だけ見逃せない箇所がある。


 “以前、子供を救った際に施したものと同じ刻印”という文章。

 “西方の死火山”という単語。


「・・・西方の死火山。わかるのは、方角だけか・・・」


 ベルタとフウが鋭く反応する。やはりもう少し詳しい情報が欲しい。


「・・・ありがとう、ドナテロくん。本当に助かった」

「どういたしまして。曽祖父の遺言を無事に果たせて、僕もほっとしています」

「ありがとうねっ!」


 ハナがお礼を言いながらドナテロの手をにぎる。多分こいつはナチュラルにやっているんだろうが、ドナテロは今にも倒れんばかりの赤面ぶりでにやけている。・・・女性なら種族とか関係ないってこの子、いくらなんでも耐性がなさすぎでは。


「で、では僕は失礼します。ユリエルさん、魔導学院の卒業生なんですよね。僕はいま在学中なので、機会があれば、ゆっくりお話しましょう」

「そうなんだ。後輩だったんだね」


 マーヴェリックのことを思い出したが、やはりあの序列関係は彼ら以外には通用していないようだ。

 僕はハナの方へ振り向き、満面の笑顔で言う。


「ハナ、病棟の玄関まで送ってさしあげたらどうだ?」

「けぇっ結構ですよ、そんな!」


 凄い声の裏返り方だ。ちょっとおもしろい。


「りょうかいです班長!」


 ハナがビシッと敬礼してドナテロを連行する。僕がけしかけたんだが・・・哀れなドナテロくん。がんばってね。


 ・・・二人が出ていくのを見送り、僕は口を開く。


「三日前に学院の方で、グシュタール教授と親しくしていた人に話を聞いてきたんだ。その人も調べていたようだけど、結局、彼の最後の足取りはわからなかったらしい。不自然なほど、何も手掛かりがないそうだ」


 フウが杖の上に顎を乗せながら言う。


「なにそれ、誰かに連れ去られでもしたってこと?」

「そこも含めわからない。ただ、最後に何をしていたか、だけがわかった。今度即位するベルトラムIV世。彼の個人指導をしていたそうだ」

「・・・一気に話がこの国の頂上に行き着いてしまったか」


 ベルタの言葉に、肩をすくめ、少し自嘲気味に笑って返す。


「新王に詰問でもしてみろってことか。国家反逆罪で首吊りとかは勘弁だな・・・」


 手詰まり、とは考えたくないな。なんとか、機会を作り出すしかないだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る