13 “贖罪 II”
──十月十八日、午後。王都南方、盗賊団“疾風党”のアジト。
何だ、なんだあれは。あれはハナか?
ハナの姿をとる“何か”は、人間的な抑制を欠く、聞き取れない言葉を放ちながら、生気を感じさせない足取りでこちらへとゆっくり歩いてくる。何だ、何を言っている。僕は声のトーンと、口の動きで彼女が何を言っているのか、理解してしまった。
“よくも きさまら おねえちゃんを みんな ころしてやる”
──まずい!ハナには、僕の擬態が“姉を殺した奴隷商”に見えているのか!?
盗賊は行動不能を含めれば全滅している公算が高い。咄嗟に擬態を解き、声をかける。
「ハナ!僕だ!落ち着け、もう敵はいない!」
おかしい。足取りが止まらない。うそだ。恐怖が欠けた状態の人間には、擬態は通じないのだろうか?いや、そんなこといまはどうでもいい。逃げたいのに、足が震えて動かない。ハナらしきものは僕のすぐ前まで迫っている。
・・・身体に衝撃が走った。僕は自分の腹を見た。ウォーピックが、深々と突き刺さっている。
そしてそれはずるりと音を立てゆっくり引き抜かれる。足の力が抜ける。立っていられない。
ハナらしきものが、にやけた気がする。今度はとてもゆっくりと武器を両手に持ち替える。
僕は粘液を曳きながらうごめく
──こんなの、うそだ、ぼくが、こんな、きたない、げせんの、すみかで、むしけらの、ように、なかまに、ころされる、なんて。
思考は破綻し、現状を否定する言葉だけが止め処なく頭を通り過ぎる。
ハナらしきものが、ゆっくりと武器を頭の上に構えはじめる。
僕はうめきながら必死で這う。右手がびしゃっと水たまりのようなものを跳ね、指先に何かが当たる。血溜まりの上に、先程転がってきた、上半身だけの死体。僕はぐらりと強い目眩を感じ、先程食べたパンを床にぶち撒けた。
──ああ、あああ。こんな、ふうに、なるなんて、いやだ、これが、ぼくの、むくい、あがない、なんて、そんなの、だれか、だれか、ぼくを、だれか、だれかだれかだれか・・・
「ハナぁッ!!」
・・・聞き覚えのある叫び声。ベルタが走ってきた勢いのまま、ハナに体当りする。
弾き飛ばされたハナは、ゆっくりと、ゆらりと立ち上がる。
武器を振りかぶると、今度は目の前にうずくまったままの賊に振り下ろした。何度も、何度も。
その様子を見たベルタは、僕を小脇に抱え音を立てないようアジトの入口へ向かう。僕は抱えられながら、傷口を押さえていた手を見た。赤黒くぬめっている。腹からは血がぼたぼたと滴る。生まれて初めて明確に意識する“死の恐怖”が、僕の心臓を締め上げる。
「・・・ベルタ・・・ぼくは、しぬ・・・のかな・・・」
顎を震わせながら、ベルタには答えようのない問いが口から漏れる。また涙が溢れてくる。
「・・・こんな、はずじゃ・・・ごめん・・・ほんとうに・・・ごめん、なさい・・・」
「ユリエル!嗤えッ!いつものように、薄気味悪くッ!」
震える声で、なんてことを言うんだ・・・。
ベルタにはいくら謝っても謝り足りない。そのうち、口の中が乾いて声が出なくなる。
細い通路を抜け、踏み抜いた紐に連なる鳴子が大きな音を立てる。
「策があるんだろうッ!ハナを・・・私たちを、助けてくれッ!」
無茶を言わないでくれ。僕なんかには何も出来やしない。
血が足りない。視界がひどく暗い。手足の先が痺れる。
上からせり出す岩を潜り抜け、外に出る。
「死ぬな、ユリエル!私に、ハナを、殺させないでくれッ!」
悲壮なベルタの声も、耳に膜がかかったかのように聴こえる。霞む視界に、僕の惨状を見て動揺するフウの姿がかすかに映った。
・・・おそらくハナは、鳴子の音を聞いてすぐに僕らを追い、そして二人を殺そうとするだろう。ベルタは、フウを守るためそれを返り討ちにせざるを得なくなるはずだ。あの子は、もはや怒りで心のすべてを塗り潰した狂戦士に成り果てている。いくらベルタでも、手加減などを加えている余裕はないだろう。
・・・僕とハナの死体を前に、ベルタは、フウは何を思うのだろう。こんな、僕がこんな不甲斐ないばかりに。ふたりの、たいせつなともだちを、そのてに・・・
「フウ、今すぐここを、離れ・・・っ!」
入口から、ゆらりと姿を現す赤黒い影。右手にはウォーピック、左手にはおそらく人間だった何か。
「ハ・・・ナ・・・?」
絶句するフウ。
「・・・ふー・・・ちゃ・・・ああ、ああああああ!」
・・・僕にも、ベルタにも反応しなかったハナが、フウにだけ反応した。それに、さっきの言葉。ハナは“姉の死”をなぜか今だけは憶えていた。薄らぐ意識の中で、僕はついに、あるひとつの理解に達する。
ハナが聞き取れない言葉を放ちながら、真っ直ぐベルタに向かって歩いてくる。左手に持つ何かを投げ捨て、武器を振りかぶる。
僕は力を振り絞り、身体をよじり、ベルタの注意を引く。声はもう殆ど出ない。腹の底から絞り出すように、可能な限り短い単語でその内容を伝える。
「・・・“あれ”は・・・ハナじゃ、ない・・・」
ベルタは目を見開き、叫ぶ。
「ミオっ!!目を覚ませっ!!」
「ああっ、あああ、あああ!ちがう!ぼくは!ああっ!」
“ミオ”は武器を手から落とし、膝をついた。頭を抱えて泣きはじめる。僕はベルタの袖を引き、“ミオ”の背後へ誘導する。その首筋に震える手を当て、彼女を眠らせた。
──ああ、終わった。
僕の意識は、ここで途切れた。
──────────
──約一ヶ月前、九月十日。王国東方領エルシダ、領主の館。
「お暇を、いただきたいと思うのです」
小雨の降りしきる窓を背に、喪服の僕はそう言った。
眼の前には同じく喪服を纏う初老の男性。東方領主──アルフォンソ・テオ・エルシダ。
「知って、しまったのか」
瞬間的に、心の底が煮えたぎるのを感じた。
「やはりあなたは、すべてを・・・」
悲しみ、怒り、諦め。震える声が、僕の唇から漏れる。エルシダ卿は目を閉じ、残念そうに呟く。
「仕方がなかった、許してくれなどと都合の良い事を言おうとは思わない。ただ、餞別くらいは送らせてもらえないか、ユーリエル」
・・・僕は湧き上がる感情を噛み殺し、目を伏せる。
「・・・いえ、もうアルフォンソ様からは長い間、あまりにも多くのものを頂き過ぎました」
少しの沈黙。
「もし君が私の息子であったなら、どんなに良かったことだろうね・・・」
エルシダ卿の頬を涙が伝う。僕は大恩ある主人に、短絡的に怒りをぶつけそうになったことを悔いた。彼は、あくまで僕を守るために行動しただけだろう。僕だって、今までのように何事もなく暮らすことが出来たら、どんなに良かったことだろう。・・・絞り出すように、言葉を紡いだ。
「今まで・・・本当に、ありがとう、ございました・・・」
──────────
──・・・。
──夢を、見ていたのか。
目を開くと、
身体がひどく重い。ゆっくりと右手を空に伸ばす。
僕は、まだ死んでいないようだ。首を傾けると、涙をいっぱいにためたフウが僕の左手を握っていた。
「・・・よかった。本当に、よかった・・・」
「・・・お前が、応急処置を?」
そこまで言って軽く咳き込む。喉はまだ乾いたままだ。痛みは薄いが、皮膚の感覚がおかしい。フウが革袋から水を飲ませてくれた。隣には、ハナが寝かされている。装備には血の跡もなく綺麗になっている。洗ってやったのか。
彼女は指で涙を拭った。
「ベルタと協力して、傷口を消毒して包帯で巻いただけ。あとポーションを使ったわ。・・・簡単な“気”の操作による治癒促進ならわたしも使えるけど、その必要はなさそうだった」
「・・・見たのか」
僕の、“体質”を。
「環境魔素、だったっけ。周辺の“気”を取り込んで、勝手に治癒促進が始まったわ」
少しの間沈黙するフウ。訊くべきか迷っているのか。
「・・・あなた、本当に人間なの?」
やはり、直接そう言われると少し堪えるな。
「・・・その質問に対する答えは、自分の正体を疑いはじめた時から、気が狂いそうになるくらい、考え続けてきた」
僕は自分の手を見る。
「フウ。お前にとって、人間とは何だ」
答えはない。いきなりこんなことを訊かれて、淀みなく答えられる方が稀だ。
「・・・二本の足で歩き、道具をつくり、高度な言語を操り、正常なマナを持つ、やや毛の少ない猿や犬。僕はそんな生物学的なことが人間の条件ではないと思う」
やはり身体は重いまま。僕は全身の力を抜いた。そのまま空を眺め、言葉を続ける。
「人間とは、
少し訝しげだったフウの表情が、和らいだ。微笑むように言う。
「また、変なこと言って人を煙に巻こうとする。もう心配はいらないわね」
「ひでえな、真面目に答えたのに・・・」
意識が、また薄らいできた。
「少し疲れた。もうちょっとだけ眠るよ」
ああ、これってなんか、もう死ぬやつがいう言葉じゃなかったっけ。
そんなことを考えているうちに、僕はもう眠りについていた。
──────────
──約一ヶ月前、九月七日。王国東方領エルシダ、領主の館、祖母の部屋。
僕は、“祖母”の言葉に息を呑んだ。
「・・・やっぱり、そう、だったのか・・・じゃあ、おばあ・・・いや、あなたは・・・」
「ベルフェリエ家の・・・メイドをやっていたわ」
「・・・なぜ、今、僕に、それを・・・!」
僕は手を固く握りしめ立ち尽くす。やり場のない感情が燃え上がる。“祖母”・・・いや、ベルフェリエ家の元メイドは、いつもの“おばあ”のように優しく微笑み、僕の頬に手を当てる。
「・・・ごめんなさい。黙ったまま死ぬことは・・・やっぱり、出来なかったの・・・」
僕は何も言えない。大好きなおばあが死ぬ。いや、この老女は自分をずっと騙し続けてきた。相反する感情が、心をどうしようもないまでにかき乱す。僕に、どうしろと。
「泣かないで、ユーリエル・・・あなたは、力強く・・・立派に生きていかなければ・・・ならないわ・・・」
僕は“祖母”の手を握る。どうして。半生をかけて探し続けたのに、どうしても見つけられなかった事実、それは最もそうあって欲しくはない事実でしかなかった。
聞きたいことがたくさんある。多すぎるのに。
・・・“祖母”の手から、力がふっと抜けたのを感じた。
──────────
──・・・。
──もう一度目を覚ます。
夜だ。近くで焚き火の音がする。致命傷ともいえる傷を負ったはずなのに、ほんの少しだけ身体が軽くなってきている気がする。僕は・・・テントの中にいるのか。
隣を見ると、膝を抱えて座る・・・ハナ?
少しためらったが、僕は彼女に声をかけた。
「・・・“ハナ”か?もう・・・大丈夫なのか?」
びくっと僕のほうを見るハナ。目には涙が浮かぶ。
「ユリちゃん・・・ぼくは・・・なにを・・・」
その姿に“ミオ”の影はもう見えないが・・・まさか、憶えているのか?
「・・・お前が気に病むことではない。何を憶えている?」
「・・・洞窟から煙がでてきて・・・おびえた顔の、盗賊のひとがナイフを持って飛びかかってきて、ぼくはこわくなって、武器を振り回したの。そしたら・・・」
「無理に話さなくてもいい」
「・・・ううん。盗賊のひとが折れ曲がって死んじゃって・・・もっとこわくなって、叫んで・・・そこから、よくわからなくなって・・・」
やはり。暴走した“ミオ”と、今の“ハナ”は、身体を共有する別の人格と考えるのが妥当だろう。人を殺害することが、ミオに交代するスイッチか。そして、名前を呼ばれるとそれを否定して動きが止まる。そこで寝かせれば元に戻る可能性が高い。戻せる方法がわかっているならまだ大丈夫だ。僕は軽く安堵の溜息をつく。
・・・だが、それはつまり、ハナの本来の人格、ミオが既に壊れてしまっているということを意味しているのだろうか。
「そうか・・・大丈夫だ。盗賊はもうひとりもいない。全員で倒したんだ」
ただ、今はハナが僕の腹に風穴を開けたことを憶えていないのならそれで構わない。ハナがその事実に堪えられるとは到底思えない。
・・・しばらくの沈黙。焚き火の音と、風が木々とテントを揺らす音だけが耳に入る。
僕は殆ど無意識のうちに、ハナにある話をしはじめる。
「・・・ベルタが、以前
「あの、かわいそうなお話?」
・・・かわいそう、か。
僕は上半身をゆっくりと起こす。血で貼り付いた毛布が上半身に引きずられ持ち上がる。傷口がひどく痛む。
「うっ・・・あの話には続きがあってな・・・」
・・・僕は、何を言っているんだろう。
「“出来損ない”だった嫡子に、怪しい術師を頼り“
こんなこと、この子に言っても仕方がないのに。
「・・・領民は、館から出てきて対話しようとした領主とその夫人、屋敷の使用人までもを捕らえ、磔にし、火を放った。だが、肝心の“出来損ない”はどんなに館を探しても見つからない。領主の対話は時間稼ぎで、その間に使用人のひとりが“出来損ない”を連れ裏口から逃れた。そのまま縁戚関係にある東方領主のもとへと落ち延びたんだ」
話しながら、自分の顔がひどく歪んでいくのがわかる。額を脂汗が伝う。
「以来、“出来損ない”は、東方領主に匿われ、別人として生きていくことになる。名前を捨て、両親を犠牲に、屋敷の使用人を犠牲に、領地を犠牲に、二万八千六百の領民、そのほとんどを犠牲に、ただ生き存えた出来損ないは・・・」
感情と連動するように、傷が尋常ではない痛みを伴ってくる。汗がぽたぽたと毛布に落ちる。
「・・・出来損ないは・・・僕はッ・・・、どうしたら、その罪を贖えるのか・・・どうすれば、いいのか・・・」
涙がこぼれる。僕は、こんなにも弱い人間だったのか。
「・・・考えたんだ!気が狂うほど、考え続けたんだ!・・・それなのに、どうしても・・・どうしても、わからないんだ・・・!」
ハナは目に涙をため、無言のまま僕を抱きしめる。よしてくれ、人に哀れみをかけてもらえるほどの価値は、僕なんかにはない。歪む視界を少しだけ上げると、テントの入口から覗き込むフウとベルタの顔だけが映った。
「なんかいる────────────ッ!!」
思わず大声を上げる。腹の傷に響き、激痛が走る。
「いっいてぇぇええええ!死んじゃう!やばい!」
「ちょっ、ユリちゃん!?だいじょうぶ!?」
テントに入ってきながらフウが呆れた声で言う。
「こいつやっと自分の事情を話してくれたわね・・・ああ、もうそんだけ元気なら死なないわ。明日の朝には帰るわよ。あなたを病院にぶっこまないといけないし」
「ポーション!ポーションくれ!いたっ、痛い!超痛い!」
「“常習性があるから使いすぎないように”って、きみが言ったんだぞ、ユリエル」
「いい、いいから!たすっ、助けてベルタ!」
──────────
「──つまり、その“環境魔素を人間に取り込む技術を持つ怪しい術師”を探して、言い伝えの真実を聞き出したいわけね」
「・・・正直なところ、自分でもわからない。言い伝えと同じことを言われるだけのような気もする」
フウが肩をすくめる。僕は飲み干したポーションのフラスコを揺らしながら言葉を続ける。
「ヴィジルに加入する前、祖母が亡くなったんだ。・・・正確には僕が祖母と思い込んでいた、領主の館から僕を逃してくれた使用人のひとりが。彼女は病床で、僕を、“誇り高き北方領主が嫡子、ルカ・エト・ベルフェリエ”と呼んだ」
「ルカちゃんってのもかわいいね」
「うるさい」
すっかり調子を取り戻したハナが茶々を入れてくる。
「・・・以前と同じ生活には戻れなかった。僕は、巨大な領地ひとつを丸々犠牲にして生き存えた人間だ。正しい事実を知り、責任をとる必要があると感じた。・・・そうすることが、義務だと」
「考え過ぎじゃない?生まれた時に負わされた罪なんて、それを知らず育った本人に責が及ぶとは到底思えないわ」
・・・まあ、そう言われてしまうと、なあ。
「気にせずに生きていられる性格ならどれほど良かっただろうと思うよ。それに、この十歳手前で成長を止めた身体・・・その術師の技と無関係とは思えない」
「かわいいからいいと思うんだけどなあ」
まだいうか。一度なってみればわか・・・いや、ハナはなんか、鏡を見て喜びそうな気もする。
「それで」
ベルタが僕を見据える。
「“たとえ自分が地獄に落ちてでも”私達を助けること、それが贖罪になるかもしれない。きみはそう考えたわけだ」
「・・・そんなとこだ」
横で茶を淹れながら、フウが軽い溜息をつく。
「確かに、“自分のため”ね。まあ、わたしとしても、“友達だから絶対助ける”とか言われるより、“自己満足のために助けてやってる”って言ってくれた方が、その善意を受け取りやすいってのが本音よ」
そう言いながら僕の寝床の横に、真新しい金属製のカップを置く。相変わらずのひねくれた物の見方。ただ、今ならわかる。これはフウなりに配慮した“善意をありがたく受け取る”という言い回しなのだろう。微笑んでやや遠回しに言葉を返す。
「お茶をどうも」
「どういたしまして」
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