ヴィジル 王都自警団奮戦記

犬丸

第一章

00 “プロローグ”

「・・・こんなに・・・とは・・・」


 男は知らない子供の声を遠くに聞いた。


「・・・は書類を確・・て・・・」


 昨日の蒸留酒アクアヴィタが抜けていないのか、頭が回らない。瞼がひどく重い。


「・・・ユ・・ル、ヒゲが起きたわ」


 男がなんとか開いた目に、自分の顔を覗き込む黒髪の少女が映る。人というよりは、犬のような顔。“異人ゼノ”か。歳の頃は十五前後だろうか。少女はその眠たげな瞳を横に向ける。

 その視線の先にはもっと幼い人間の子供が一人。十歳にも満たないように見える。魔導院の制服、臙脂の外套に身を包み、大きなキャスケット帽の似合う中性的な顔立ちだ。子供が振り返り、モノクルのチェーンが揺れる。


「こんな状況で呑気な奴だ」


 まるで少女の声だが、口調からかろうじて子供が少年であるとわかる。“こんな状況”。男は少年の後ろで、自らが率いる傭兵団の根城が燃え上がってることに気付き、一気に覚醒する。

 だが身体が動かない。後ろ手に足首とまとめて縛り上げられ、地面に転がされている。

 ──一体なにが、なにが起こっている。


「あなたの催眠が効きすぎたんじゃないかしら」


 黒髪の少女がそう呟く。こいつらの仕業か、と、ようやく男は察し声を上げた。


手前てめェら!何モンだ!こんなことをしてタダで済むと──」

「さすがに、タダじゃないな。でも、お前ら十五人の首で合わせて三千。一人頭二百か。鹿五頭分とは、やっすい首だ」


 少年は男の目前にしゃがみ込み、言葉を遮り答えた。男の頭に血が昇る。


「ガキが!ふざけるなァッ!!」


 奥から長い金髪の女が歩いてくる。歳は二十前後、王国の礼服、腰には南東様式の、長さの違う刀を二本差している。彼女は少年に紙片を差し出し、涼やかに声をかける。


「これを」


 男は考えた。

 ──この子供ら相手に全滅。少年は先に「十五人の首」と言った。自分はなぜ生きたまま捕らえられたのか。何らかの価値があるからか。生き残るためには、無様だがこうするしかあるまい。


「いいか手前ェら、俺らの背後バックには王国貴族が──」

「タイレル卿か?」


 紙片を読みながら再度言葉を遮る少年。図星であった。男は目を見開き、額を汗が伝う。少年は視線を男へ移し、頬を釣り上げいやらしくにやけた。


「ああ哀れに、ご主人様に捨てられたんだな」


 少年が紙をちらつかせながら言う。

 ──まさか、タイレル様が。何か、何か切り抜ける方法はないか。


「良い事を教えてくれて大変ありがたい・・・が、卿は全員の首をご所望だ。正確には左耳を持って帰るんだが、まあそんなことはいいか。ハナ!」


 少年が男の背後に声を掛ける。男が首を無理やり捻ってそちらを見ると、震える手に粗雑な斧を握る、翠緑の髪の少女が立っていた。その頭には大きな耳・・・またも“異人ゼノ”だ。怯えた目をして男と少年を交互に見ている。少年は金髪の女と一言二言を交わし、少女の方を見据える。


「ユリちゃん、やっぱり、やらなきゃ駄目・・・?」

「ユリちゃんって言うな。それにこれは必要なことだ。練習できる機会なんてそうそうないぞ」


 ──必要なこと?練習?

 男はすぐに何のことか思い浮かぶが、そう考えたくはない。


「何だ、何をする気だ!」

「悪いけど、うちのお姫様の練習台になってもらいたくてね」


 ──やはり、この少年は翠緑の髪の少女に殺しの練習をさせる気だ。自分を使って。


「おいやめろ!やめてくれ!お願いだ!」

「あまり動くな。死にそびれると苦しいぞ、たぶん」


 少年はにやけながら燃え上がる根城の方を向く。

 ──狂ってる。いや、自らも傭兵団に新人が入ってきたときにはそうさせた。だがこいつらは子供だ。なぜこんなことが許──


「やれ。目は閉じるなよ」


 少女は斧を振りかぶる。そうだ、と思い出したように少年が呟く。


「ああ。そういえば、さっきの何者かって質問、答えてなかったな」


 男の首をめがけて、斧が振り下ろされた。


「“ヴィジル登録自警団員”だ」

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