第24話 すれ違う想い 4

「牽制ですか。それならば、納得できますね。少々単純な気もしますが」

 レナードが嘆息する。

「ああ、なるほどな。サミュエル王子が、やけに和平交渉にからめて意味ありげに念を押したと思ったが…」

 ルーカスは、左手で握り締めていたままの書類を手放した。クシャクシャになった書類が、机の上に落ちる。レナードがルーカスを横目で一瞥し、軽く息を吐きながら、その書類を拾い上げた。


「そうです。あの、交渉の時の我が国の施策、それを今回はエアージョン側が行うと。ですが…」

「なんだ?」

「もしかしたら、いえ、おそらく、国の内情をここまで出してくる予定ではなかったと思われます」

「そうでしょうね」

 レナードがクシャクシャになった書類のシワを伸ばしながら相槌を打つ。


「はい。今回の、「ミツキ様と殿下の婚約」は、エアージョンにとって、まさに想定外だったようです。サミュエル王子が陛下と謁見している最中、城内での噂を聞きつけた王子側近の補佐官が、ひどく慌てていたようですから」

「フッ…、詰めが甘いからな。サミュエル王子は」


 レナードは、柳眉を釣り上げ、細めた目でルーカスを見据えた。


「ルーク…。取り敢えず、第一段階が上手くいっただけです。あまり舐めてかかると足元を掬われますよ。まあ、サミュエル王子の場合は、あまり暴走するとミツキに一刀両断にされそうですけれどもね。それから…、そうですね。物を大事に扱わない王太子もミツキに裁いてもらいましょうか」

「えっ…いや、それは…」

 整え直した書類を渡しながら、レナードがにっこり笑う。

「冗談ですよ、ルーカス王太子殿下。…ご安心ください。たとえ本日の殿下の行動が、王太子らしからぬものであろうとも、その上衣も、訓練用の剣も、クシャクシャになった書類も、そして、わたくしも、この溢れんばかりの殿下への忠誠心は、一点の曇りもない揺るぎないものでございますゆえ」


 ルーカスは両手を軽く上げ、短く息を吐いた。

「…分かった。…悪かった、降参だ、レオ。いや、ウェリントン公爵。すまなかった」

「いいえ、私も今日ぐらいはと言いましたから。ですが、ルークはミツキが絡むと感情が面に出やすくなりますからね、サミュエル王子がハーヴェロードにいる間は、特に気をつけてください。あちらも相当の覚悟でミツキを迎えに来ているようですし」

「わかった。善処する…」

 

「そういえば、陛下とのお話はいかがでしたか?」

レナードがトマスにチラッと目をやると、心得たようにトマスは退室した。

「ああ、陛下には自分の想いを伝えてきたよ」

「それで、陛下はなんと?」

「己の望みは自分で掴み取れ、と」

「そうですか…。では、しっかり頑張ってください」

「言われなくとも、だ」

 ルーカスの力強い眼差しに、レナードは柔らかく目を細めた。




 小腹を満たした美月は、少し休むとアイラに告げ、寝室に籠っていた。先程、アイラを抱きしめた時の女官たちの黄色い悲鳴と、懇願する瞳に、ハグ大会になっていたことを思い出し、思わず笑みが零れる。と、同時に泪も溢れてきた。

 さっきあれだけ泣いたのにと思うと、少し可笑しくなって笑った。そして、

「少し…、期待してたんだけどなぁ。そんなに都合良くは行かないか…」

と独りごちる。


 元の世界に帰れるかどうかの恐怖もありながら、いつか見た漫画のように、ひょっとしたら行き来できるんじゃないかとも、心のどこかで思っていた。だが、その望みは、サミュエル王子の一言でかき消されてしまった。


 それにしても…。

 魔導師メイソンが、くしゃみをしたからここに落ちたと言っていたが、そうでなければ、美月はエアージョン帝国に招かれていたということになる。望まれてのことなので、もちろん槍やら刀を突きつけられることはなかったかもしれないが、あの、思い込みの激しいサミュエル王子の妃にされていたかもしれないと考えると、ゾッとする。

 何が嫌かと聞かれて、すぐには答えられないが、とにかく、合わない!嫌なものは嫌だ。これが“生理的に受け付けない”ということなのかと実感する。

ハーヴェロードではそんなふうに感じた人はいなかった。国民性?なのかな?

わからないが、異世界に連れてこられた事は納得できなくとも、落ちたのがここで良かったと、心の底から思った。


 ベッドに端座位になっていたが、そのまま後ろにゴロンと転がる。窓から差し込む日差しが茜色に変わっていた。山の稜線が浮き上がり、豊かな緑をオレンジ色に染め上げる。紅葉の進んだ山々は、燃えるように赤い色を深めていく。逢魔ヶ刻までのひと時。美月は、このハーヴェロードの王城から見る夕焼けが、とても好きだった。こうしていても、その美しい風景が脳裏に浮かぶが、今日は起き上がって見る気力はなかった。


 今頃、チームの皆はどうしているんだろう。私がいないなら、ボランチは花凛が入ってくれているんだろうか。…時間の流れって同じ?向こうも4日経ってるのかな…。お母さん…、心配してるだろうな…。

 取り留めもなく、次々と浮かんでくる想いをボーッと考えていると、時折、きゅっと胸が締め付けられた。

 差し込む夕焼けの眩しさに、額に乗せていた手で影を作る。目を閉じると、いつの間にか眠りに落ちていた。


 ―夢を見ていた。みんなでサッカーをしている夢だ。

 団長は随分上達していた。騎士団の面々も。チームメイトの理央も玲奈も皆いる。アイラはベンチから応援してくれていた。レオはその横で、監督に話しかけながら何やら記録している。レオらしい、と思わず笑う。

 でも、あれ?ルークは?夢の中でも忙しいの?

 あ、居た!

「ルー…」

 声を掛けようとして、誰かに腕を掴まれる。振り返るとその手はサミュエル王子だった。

「ひっ…」

 やめてー。ちょっと、勝手に抱き寄せないで!夢の中まで変態かっ!


「ミツキ?大丈夫か?…ミツキ?」

「いやぁぁっ、触らないで!この変態!」


 美月が必死で伸ばした手は、心配そうに覗き込んでいたであろうルーカスの、その顔を押しのけていた。


「きゃあぁぁぁぁー、なんでルークが居るの?!」

「…その前に手をのけろ、ミツキ」


「…ごめん」

 伸ばしていた手の力を抜くと、パサっと音を立て、両手が顔の横に落ちる。

「一度ならず二度までも…」

 ルーカスは、その美月の手首をそれぞれ掴んだ。

「王太子を殴るとは悪い手だ」

「ごめっ…」

 掴んだ美月の両手首を引き寄せ、その手首に食むように口づけ、ツーっと舐め上げた。

「お仕置きだ」

「………っ」

 美月は声にならない悲鳴を上げる。顔が、全身が熱くなっているのを、嫌というほど自覚する。

 ルーカスは、美月の手首をそれぞれベッドに縫い付けると、熱を帯びた眼差しで見つめた。


 ちょ、ちょっと待って、いろいろ待って!


 昨夜の、甘い口づけが、ルーカスの柔らかい唇の感触が蘇り、居ても立ってもいられない。思わず固く目を瞑る。


「馬鹿…、誰が変態だ」

 美月の鼻先にちょん、と口づけ、ルーカスは離れていった。


「ほら、食事の準備ができたぞ、起きろ」

 差し伸べられた手に手を重ねると、ふわりとした暖かさに包まれたような錯覚に陥った。


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