第22話 すれ違う想い 2

 ジョセフ・ノア・ハーヴェロード王の執務室に重苦しい雰囲気が漂っていた。

 ジョセフ王とルーカス王太子が向かい合わせに座っているが、その視線が合うことはなかった。今から、王と話し合う内容は、ルーカスにとって、今一番避けて通りたい話題にほかならない。剣を振り体を動かしたとて、すぐには気持ちの整理がつくものではない。自分の気持ちを悟られないため、ルーカスが顔を上げられないからだった。要は、落ち込んでいるのだが。


「ミツキ殿の事だがー」

 ルーカスの眉がぴくりと上がる。

 ふむ。


「異世界とは、なあ…」

 再びルーカスの眉がぴくりと動く。

 ふむふむ。


「お前は知っていたのか?」

「…いいえ」

 今度は眉根を寄せた。

 ふむふむふむ。


「そう、か…。ミツキ殿本人は知っていたのか?」

「そのようです」

 眉根を寄せたまま、さらに目を閉じる。

 ふむふむふーむ。


「この場合―、重要な報告を隠蔽した、あるいは、秘密裏に何かを画策した…」

「お待ちください、陛下!」

 ルーカスが慌てて顔を上げる。

 ジョセフ王は片目を閉じ、ふふんと鼻で笑った。

「やっと顔を上げたな。どうした、それほどまでにショックが大きいか?我が息子よ」

 にやりと笑う王の顔を見て、ルーカスは嘆息する。

「父上、私を揶揄うのはお止めください」

「揶揄っているわけではないぞ。お前の反応を見ていただけだ」

「それを揶揄うと…」

 抗議しようとしたルーカスの前に、ジョセフ王は右手を上げ、その言葉を制した。


「エアージョンのサミュエル殿は、随分とミツキ殿に執心しているらしいな?」

「ええ、国に連れ帰り后にするのだと。王妃にと言っておりました」

「王妃か。公式にはなっていないが、サミュエル殿が次期国王に決まったか」

「おそらく」

「まあ、妥当だな。…して、ミツキ殿はなんと?」

「呆れていました。…それから…」

 ルーカスは、ふうっと息を吐く。

「それから、こんなことをする王子の暴走を止めるものはいなかったのかと」

「ほう!それから?」

 ジョセフ王は身を乗り出し眼を輝かせる。なんだか楽しそうだ。ルーカスは全く楽しくないのに、と思いながらも苛立ちを押さえ込む。

「それから…、“僕は王子だ”と権限を振りかざすサミュエル王子に、“その称号はあなたを縛るものであって、わたしを縛るものではない”と」

 正直この言葉はルーカスにも堪えた。

「なんとまあ…、勇ましいというか、何というか。これはまた…」

 ジョセフ王は顎に手を置き、しばし考え込んだ。


「父上、どういたしますか?続きを?」

「ん?…ああ、続きがあるのか?」

「まあ、多少は。後は魔導師に詰め寄って元の異世界へ帰れるという言質を取ったところに、サミュエル王子が、元の世界に戻ればこちらには帰ってこられないと…」

 ルーカスの表情は次第に曇ってゆく。

「ああ、その話は、ウェリントン公爵に聞いたな。ミツキ殿はなんと?」

「帰る、と」

 ルーカスの表情は瞬きを忘れたかのように固まった。

「なるほど。お前のその機嫌が悪いのも、ひどい落ち込みも、それが原因か。分かり易い奴だな。それは王太子としてどうなんだ?」

「申し訳ございません」

「父親としては、見ごたえがあるがな」

 にやりと笑うジョセフ王にルーカスが嘆息する。

「話は以上です。それでは、失礼いたします」

「何を言っておる?肝心な話が出来ていないではないか」


「と、申しますと?」

 一体王は何を言っているのかと、瞬きをする。

「ここからが本題だろう」

「はあ」

「情けない声を出すな!」

「いえ、ですが、帰りたいというものを、まさかこちらの都合で止めるわけには…。もともと理不尽に連れてこられたわけですし」


「ならば、帰りたくないと言わせれば良いではないか」

「…え?」


「ミツキ殿が、自身が帰りたくないと言えば、何も問題はなかろう」

「しかし…」

 あまりに突然の提案にルーカスが狼狽える。もうここには戻ってこられないというサミュエル王子の言葉を聞いて雷に打たれたような衝撃が走った。しかし、いや確かに、美月が帰りたくないと言えば、何の問題もない事だったのだ。だが、帰りたいと言ったではないか。


「何だ、煮え切らん奴だ。…ならば聞くが、ルーカス。お前はどうしたいのだ?」


「私は、…ミツキと共にあることを望んでいます」


 ジョセフ王は目を細め、姿勢を正し真っ直ぐに見つめてくるルーカスと、視線を合わせた。

「良い。ならば己の望みを自分で掴み取れ!」

 鷹揚に告げる王の言葉に、ルーカスは気持ちを引き締めた。

「はい。ありがとうございます、国王陛下」

 ルーカスは胸に手を当て腰を折る敬礼をして退室する。


「やれやれ、世話の焼ける」

 ふうっと息を吐き、ソファーの背もたれに体を預けた。

「お疲れ様でございますわ、陛下。いえ、ジョセフ」

 執務室のソファーの横壁、そこにある扉を開けて王妃が入ってくる。王の執務室には、警備のための小部屋や、給仕のための部屋が続いている。王妃はソファーに近い給仕用の部屋で、二人の会話をやきもきしながら聞いていたのだ。

「素敵よ、ジョセフ。ふふっ、それでこそわたくしの愛するジョセフだわ」

ソファーにもたれる王の後ろから、腰をかがめてするりと腕を回し抱きしめる。

「ありがとう、ソフィア。君の言葉は、いつも私に勇気を与えてくれるよ」

 王妃の方に振り仰ぎながら、伸ばしてきたその腕を引き寄せ、唇を重ねた。


「ミツキさんは本当に、稀有な方だわ。まだほんの数日しか滞在していないのに、城中の話題を独り占めしているもの。何よりあのルークが、あんなに熱い眼差しを注いでいるのですもの。」

「ミツキは頭もいいし勇気もある。何より自分の意見をしっかり持っている。逃してはならん逸材だ」

「上手くいくといいですわね」

「ああ、間違ってもエアージョンの小僧に渡してはならんからな」




 ルーカスは急いでいた。

 翡翠の間に行ったものの、美月がまだ帰っていないとアイラから報告を受けたからだ。


 まさかまだ応接室か?それともどこか…。護衛の騎士をつけているから、滅多なことにならないと思うが、あのサミュエル王子が滞在しているのだ。なにか強引な手段に出ないとは限らない。しかも、自分の心の乱れを抑えることが出来ずに美月を一人残して応接室を出てきてしまった。

 美月自身もショックが大きかったかもしれないのに、自分のことしか頭になかった。

 後悔と、はやる気持ちに、足取りはさらに早くなった。


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