第6話 教育係、頂きました。
「…ということで、どうやってここに来たのかは私にはわかりません。―――あっ、でも、助けていただきありがとうございました。ルーカス王太子殿下。我が身に起こったことについて行けず、御礼を申し上げる事が遅くなりました。また、慣れない環境とは言え、数々のご無礼をいたしましたことを、重ねて深くお詫び申し上げます。力無き小娘がした戯れ言と、どうか、寛大な処置を賜りますようお願い申し上げます」
うん。それっぽいよね。
なんとなくこんな感じだろうと、これまで読んだラノベの記憶をたどって謝罪の言葉を述べてみる。この国の作法がわからないので、立ち上がって深々と頭を下げる。
そうだ、制服のスカートの端でも摘めばよかったかな?
だって、よく考えたらこの目の前にいる人は王太子で、レオも公爵と呼ばれていた。チームメイトの理央に借りた数々の異世界本で判断すると、私の態度は不敬罪に当たるような気がする。
―――タメ口聞いて、不可抗力とは言え殴ってしまった。
今更ながら、やらかした?
じわりと汗が噴き出してきた。
と、とにかく、帰る方法が解るまでは生き延びていかないといけない。この世界で通用するものはきっと何も持ち合わせていないだろし、魔力とか言っていたから、魔物もいるのかもしれない。
幸いなことにキラキライケメン殿下、もとい、ルーカス殿下もレオも人柄は良さそうだ。きっとそう。そうであって!
それが大前提!
そして、どこか王城内で下働きでもしながら置いてもらおう。
頭を下げたま考えを巡らせる。
「もういい。頭を上げろ。別に無礼を働かれたとも思っていない」
静かな落ち着いた声だ。
無礼を働かれたとも思っていない、そう言った。言ったよね?
「…本当ですか?後から、罪に問われることはないですね?」
ガバッと顔を上げた美月は、身を乗り出した。
ふふっとルーカスが笑う。
「疑り深いな。俺から言質をとるか。―――大丈夫だ、心配するな。お前のことは、しばらくここで面倒を見よう。ここに来た経緯やお前の言葉が本当なら、別の力が働いている可能性もある。少し調べてみよう」
ルーカスは鷹揚にソファーの肘掛に頬杖をつき、足を組み、にこやかに微笑んだ。
その言葉に美月は相好を崩した。
「…ありがとう、ございます!体力には自信があります!精一杯働きますのでよろしくお願いしますっ!」
やったー。これで当面は凌いでいける。
さっきまで単なるキラキライケメン殿下だと思ってたけど、今は“神”に見えるよ。
美月は嬉々として瞳を輝かせた。
ところが、美月が“イケメン神”認定した目の前のルーカスは、眉根を寄せ、表情を曇らせていた。
―――あれ?
「べつに働かなくとも良い。お前は俺の客人として迎えよう」
「えっ、嫌です」
「なっ…」
冗談じゃない。王太子の客人?そんな振る舞いできる訳がない。
だって、私は一般庶民の女子高生なんだから。それに…、
「そこまでしていただいても、私には返すものがありません」
「返してもらおうなど思ってない」
さすがはキラキライケメン殿下だ。太っ腹だね。
だけど私だって、世話になりっ放しで肩身の狭い思いをするのは嫌だ。
「では尚更お断りします」
「なんだと?」
「王太子殿下、私の国には“ただより高いものはない”という言葉があります。ただでなにかしてもらっても、お礼やら頼まれごとやらでかえって高くつくという………」
あ、なんか、まずい。例えを間違った気がする。
負のオーラが見える気がする。
幻視だろうか。
「俺がお前に対価を求めると?」
キラキライケメンのまま、その表情が硬くなる。
――恐っ!片眉上がってるし!
とは言え、こちらの趣旨をわかってもらいたい。
「あ…いや、その、“働かざる者食うべからず”という言葉もありまして、ただ与えられるだけでは私の気持ちが収まりません。まして見ず知らずの王太子殿下の客人など烏滸がましく…」
ああ――、いや、なんか、色々とまずい。
言えば言うほどド壷にはまっている気がする。だって目の前で、憤懣やるかたないといったふうに戦慄いているイケメンがひとり。
負のオーラが半端ないんですけど!
そのイケメンの後ろに控えるもうひとりのイケメンに、縋るように目を向ける。
レオ~~~。
あなただけが頼りなの~~~、というか、何とかしてっ!
すると、心得たようにレナードが軽く笑みを返してくれた。
「殿下、何を興奮しているのかしていないのか知りませんが、ミツキは右も左もわからないこの国で、自分に出来ることを見つけようとしているに過ぎません。自分の足で立ち上がろうとしている産まれたての子鹿のような彼女を、ただ擁護するだけではなく、彼女の思いを汲んで暖かく見守ることが、人を育てる上で捨て置けない事ぐらい、あなたなら十分すぎるほどにご存知だと思いますが?」
「ぐっ…」
「それと、ミツキ」
「は、はいぃ!」
ホッとしたのも束の間、私に向き直ったレオの瞳がキラーンと輝いた。
「何事にも前向きに取り組もうとする姿勢は大変好ましいのですが、余り固く考え過ぎ無いようにお願いします。知らない場所で警戒するのは致し方ないとは思いますが、ここはひとつ殿下の意向も汲んでいただき、お客人として迎えさせていただけないでしょうか。もちろん何もせずにというわけではありません。あなたの持っていた荷物の中には大変珍しいものがいくつかあるようです。異文化を知り理解を深めることは、我がハーヴェロード王国の国政にとって非常に重要な布石となるでしょう。そこで、あなたの国の話や、お持ちになっている珍しい道具のことを殿下に話していただきたいのです。ああ、そうですね、話したくないこともあろうかと思いますので、その判断はミツキにお任せします。話せる範囲で構いません。殿下の話し相手兼教育係ということで、どうでしょう。王太子殿下の教育係ともなれば、それ相応の待遇が保証されます。お客人として堂々と高尚にお過ごしいただけると思いますが、いかがですか?」
レナードは、最後に優しく微笑んだ。
クールなイケメンは、やり手だった。
「…ウェリントン公爵…」
「レオで良いと言ったでしょう。次は言いませんよ」
「うん。分かった。ありがとうレオ。私の身分まで考えてくれて。教育係なんてそれこそ烏滸がましいと思うけど、でもそのほうがいいかも。皿洗いなんかして高価なお皿割っても、弁償できないだろうしね」
物は言いようだなあと感嘆しつつも、その役割は美月の中でストンと収まる納得できる提案だった。
産まれたての小鹿っていうのはちょっとひっかかるけれど。
「お前…、皿洗いするつもりだったのか…」
ルーカスは、美月のそれとは対照的に、嘆息しつつ二人のやり取りを眺めていた。
「なんでもしますよ、無事に帰れるまでは。では、改めて根本美月、いえ、ミツキ・ネモトと申します。至らない点は多々あると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」
再び立ち上がり、深々とお辞儀をした。
「ハーヴェロード王国第一王子のルーカス・フランク・ハーヴェロードだ。よろしく頼む」
ルーカスも立ち上がり、美月に手を差し出した。美月が握手しようと重ねた手は、すっと持ち上げられ手の甲にルーカスの柔らかい唇が触れた。
―――!
「ル、ルーカス・フランク・ハーヴェロード王太子殿下、そ、それで、私は何からお話すれば…」
慣れないことに顳かみを引きつらせながら、美月が問いかける。この際、噛み噛みな事には眼を瞑ってもらおう。
「いや、今日はもう遅い。ゆっくり休むがいい。明日からよろしく頼む。ミツキ殿」
さっきまでの少し拗ねたような表情は何処へやら。ニッコリと上品に微笑む殿下は、やっぱりキラキラとしていた。
「はいっ!あっ、いや、殿なんてやめて下さい。ミツキでかまいません、王太子殿下」
私は慌てて訂正する。“殿”なんて、卒業式証書とサッカーの賞状だけで十分だ。
「じゃあ、俺のこともルークでいい。あと、そんなに畏まるな」
王太子の纏う雰囲気がふわりと柔らかくなった。
嬉しそうな笑顔に、見とれてしまう。
「分かり、ました。…じゃあ、明日からよろしく、ルーク」
キラキライケメン殿下が、ちょっと面倒くさい残念なイケメン殿下になるところだったけど…。うん、この笑顔は素敵だ。
負のオーラはやっぱり幻視だったのだろう。
それにしても、王太子殿下を呼び捨て…。
いいのかなぁ、と、ちょっとだけ気になった。
でもまあ、本人がそう言っているし、笑っているからいいみたいだね。
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