6-2 マリーゴールド

 一分もしないうちに、皆本が玄関から文字どおり飛び出してきた。慌てて門扉を開けて、声を潜めて「ま、真志進くん?」と確認してくる。その様もかわいい、爆裂かわいい。

 なにより、皆本の私服姿はまた格別だ。

 落ち着きのある白いワンピースは、ところどころに施された綿レースによってとてもお上品かつ清々しい印象だ。ノースリーブのデザインは涼しげで爽やかだし、初夏と彼女の良さがいいバランスで引き出されているように見える。

[よぉ、ユズキ。ワシやワシや]

[やっぱりライナルト! もう、危ないじゃないですか。誰に見られてるかわからないのに、普段の真志進くんがやらないようなことしちゃダメッ]

[誰も見とらんし気付かんわいね。細かいのー、ユズキは]

「む、失礼な。僕のみならともかく皆本にまでそんな口をきくなんて!」

[細かいのは血筋ですぅ。それで、真志進くんはどうしたんですか? もしかして、今度こそ本当に体調悪かったりとか?]

なん違うなん違う。マシンな、なんやらガッタガタ震えよるからやね、たったとてもいじっかしまどろっこしくなって代わったったんやァ?]

[ガタガタ震えて、って?]

[緊張しとんげんて]

[へ? どうして? いま、わたしとおばあちゃんしか家にいないのに]

 コテンと首を傾ぐ皆本。「それはやなぁ」とニタニタで続きを言おうとするライナルト。

「お願いだからライナルト本当に皆本に余計なこと言わないでよ頼む頼むお願いいたしますお客さまこれ以上は困ります」

 まるで呪文のように、そうしてぶつくさとライナルトへ語りかけ続ける。

 意気地無しを皆本にまで見せるわけにはいかない。格好いいと思われることはなくとも、せめて地に落ちるような評価だけは与えたくない。それにライナルトの言い方が災いして、どことなく淫靡いんびな意味にもとれてしまうじゃあないか。それだけは避けなければ!

[知らァん、わっからァん。なんやら玄関前ここから全ー然進まんかってんもォん]

 フゥ、危ない。なんとかシラをきってくれた。全身から力が抜ける。誤解を招かずに済んで一安心、かな。

[お、ほやほや。ユズキこれな、マシンからやて]

[わあ、お持たせまで! なんだか気ィ遣わせちゃったなぁ。ありがとうね真志進くん]

「えへへへへ。あの、全然ですって伝えてぇ。えへへへ」

[全然ですやて。ついでになんやらエヘエヘ言うとるわ]

「ちょっ、そんなのわざわざ言わないでよ!」

[え、エヘエヘ? そ、そう、なんだ?]

 酷く怪しまれてしまった……。僕はその場にガクーンと膝を付き、両手を付き、頭まで垂れ下げる。ううう、ライナルトめ。余計なことばかり皆本に吹き込んでくれちゃって。

[あと、ユズキ。よう似とるぜ、今日のカッコ]

[え?]

 見上げた皆本へ『僕』の右手が伸びていくのが見える。まるでスローモーションで見えるのは、右手の指先が彼女の肩よりも少し長い黒茶の髪の毛を一束摘まみ上げ、その指にくるりと柔く巻きつけたところだった。

たったとてもかいらし可愛らしいおジョーさんやね]

 ぬゎっ……。

「ぬゎんだっとぅうぇー?!」

 とんだうわ言だ! 僕はスクリーン様の視界を両拳でドンドンと殴る。

「やめてやめて、恥ずかしい! 僕が言いそうにないこと勝手に言わないでぇえー!」

[なんでけぇ、ただ褒めただけやん。女の子褒めん男はダメ男やぜ?]

「ライナルトはそれでいいかもしれないけど、僕の顔と僕の声を使って女の子に、それも一方的片想い相手に色めいたキザ台詞を投げつけるのはいただけないって!」

 そんな僕の忠告もむなしく、ライナルトは指に巻きつけた髪の毛に、触れたか触れぬかわからない程度のキスを落とした。

[ひゃっ]

「わあーっ?! ぬゎっ、ぬわっ、ぬゎんてことをぉお!」

[うるっさいのー。なんけェ、こんなんただのスキンシップやねか]

「すきんしっぷぅ?! 日本の高校生にやることじゃあないって! ほら、皆本だって固まっちゃってるじゃないかぁ!」

[ん? どしたん、ユズキもこういうがん慣れとらんが?]

 ホロリと離される、皆本の髪の毛一束。まるで呪いが解けたかのように、ハタと皆本は意識を取り戻しまばたきを重ねて頭を振った。

[べっ! 別、別にっ、なんでもないもん!]

 ふいっと向こうを向いてしまう皆本。

 まさか、皆本は『僕が』髪の毛に触れたような錯覚をして、多少なりとも嫌な想いしたんじゃあないだろうか……なぁんて邪推にさいなまれていく。

なァん何でもない、気にしすぎやちゃ。こんくらいやらんなん他人の印象に残らんぜ?]

「けどいくらなんでもキキキキキスはやり過ぎっ。そ、それに、僕が触れると静電気が」

[そんための、そんブレスレットやんけ]

 まぁ、確かにそうだ。昨日剣に咄嗟に抱き付いたときでさえ、なんともなかったし。

[こんなんあれやぜ、飯の前の『いただきます』と一緒やと思われ。マシンもこんくらいずつ距離縮めたれや]

 簡単に言ってくれる! そんなことが出来ていたら一八年間対人関係で苦労してないよ。

 でも、突っぱね過ぎるのも成長がなくていけない、よね。万事折を見てだな。折を見て、うん。ま、まぁ、いくらなんでも髪の毛にキキキキキスなんて、しないけれども。

[とと、と、とにかく上がってください。おばあちゃんが待ってるよ]

[おん。邪魔するちゃ]

 皆本家は、和洋折衷の一般的な二階建て家屋だ。周囲に似通った建物が並んでいるところから察するに、建て売りのうちの一戸らしい。しかし『住宅街に一際輝く一戸』として僕には見える。好きなの自宅という付加価値は、どうも僕に幻想を見せがちだ。

 皆本に促されて、短距離の玄関アプローチを進む。左手側には駐車スペース、右手側には小さくかわいらしい庭があり、いずれもよく手入れされている。

[おん、マリーゴールドや]

[おばあちゃんが好きなの。黄色いのが特にって。目が見えてた頃はよく自分で手入れしてたんです]

[ほーん、いまは?]

[いまはわたしと、マ――お母さんで、引き継いでます]

[ほうねんや]

 ふふふ、かわいいなぁ皆本。普段はお母さん呼びじゃなくてママ呼びなんだ。密やかにそんなところにでさえ僕はほっこりとした。

 玄関で僕の靴を脱ぐのに手間取るライナルトに向けて、僕は「脱いだ靴は揃えて、靴箱側にかかとを向けておいて」と繰り返し告げた。ウルサイだのなんだのとぼやきながら実行する傍らで、皆本はそれをそっと見守っていた。

[あのね、ライナルト]

[なんけ]

[わたし、おばあちゃんに前もってライナルトのこといろいろ訊いてみたかったんだけど、実は全然詳しいこと訊けてないの]

 シュンと頭を俯ける皆本。靴を脱ぎ終え、ライナルトは小上がりに立つ。

[おばあちゃん、なんだか詳しく話したがらなくて。すぐ話題転換されちゃったり、煙に巻かれちゃったりして……ま、まぁわたしの訊き出し方も上手じゃないからなんだろうけど]

 きっと上手い下手の問題じゃあない、話しにくい理由があるからなのだろう。そもそも人の生死に関わることだ、話しにくくて当然だ。

[でもね、『向こうオーストリアにいたときの話を訊きたいって人がいるんだ』って伝えたら、OK貰えたの。そこから切り込んでけば、いろいろ訊けるんじゃないかなって]

[ほーけ]

[ごめんなさい。あれだけ息巻いてたわりに、何の力にもなれなくて]

なんやちゃとんでもない。ユズキなりにたったとても頑張ってくれたやわいね]

 そうして、またライナルトは僕の右掌で皆本の頭頂部をポンポンとする。

[充分やぜ、ありがとーな]

[……うん]

 かつてライナルトは、いまと同じようにリタさんにも触れてきたのだろう。曖昧に笑んでいる皆本は、ゆっくりとひとつ呼吸をして目を伏せた。

[なんだかんだ言って、ライナルトにしてみたらもう目の前だもんねっ。元気出してかなきゃ!]

[ほやほや。じゃ、リタんとこまで案内頼むぜ?]

[うん。こっちだよ]

 玄関を左に曲がり、奥の一室が皆本のおばあさんであるリタさんの自室だという。その扉が近付くにつれ、さすがにライナルトも深呼吸が増えていった。どうやら何かしらを思案しているようで、モヤモヤゴニョゴニョと言葉が聴こえてくる。はっきりはしないけれど、不安な気持ちは充分に伝わる。

[おばあちゃん、入るよ]

 半開きになっている洋扉を、そう一声かけてから押し開ける皆本。緊張感最大級の僕とライナルトは、思わず背筋が伸びきる。

[ユズキちゃん?]

 わずかに辿々しい日本語。壮年らしきその女声は、穏やかで落ち着いている。

[うん、柚姫だよ。いまね、この前言ってた友達に来てもらったの]

[あらあら、そうなのね]

[入っていい?]

[ええ、どうぞ]

 扉が開けられ、皆本に目配せをもらう。ライナルトは短く強い息をひとつ吐いた。


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