4-3 胸張ってくれ
ふるふるっと薄ら寒いものが僕を抜けていく。胸に巨大なしこりでも生えてきたようだ。
「ごめん、無神経なこと……」
「なんやちゃ。気にしなや」
とは言われたけれど、僕はしばらくの間、なにも言えなくなってしまった。大変なことに気が付いてしまった自分が恥ずかしくて、ライナルトに申し訳なくて、胸を掻きむしりたくなるほど羞恥に染まる。
「あの、ライナルト」
「なんけ」
「僕なりに、もうライナルトの大概のことをわかってるつもりだから、これは有り得ないっていう
正座の膝に置いた手を、それぞれ拳に握り変える。
「皆本のことも、リタさんのことも。いまでも命奪いたいと思うほど憎い……わけじゃないよね?」
自分が訊ねた言葉を自分の耳で聞いた、たったそれだけで泣き出してしまいそうになる。本当にライナルトが彼女たちを憎んでいたとしたら、つらすぎる。
顔を上げて、ライナルトを直視。横顔も綺麗だ、作り物のように整っている。
「マシンのダラボケ」
その綺麗な横顔から汚い暴言が飛び出して、スンと涙が引っ込んだ。まるで夢から醒めた心地だ、僕のさっきの感情を返してくれ。
「ほやったら、昼間にユズキと直接喋ったときにちゃっちゃと手にかけとるわいね。憎くて憎くてしゃーない相手ならのォ」
「そ、そうか。そうだよね!」
そうだよねというのは、自分で言っておきながらいささか違う気がするけれど。
「そん逆や。逆なが」
「え、逆?」
「ほーや。やってェんね、孫が残っとるいうことは、リタもそん子どもも健康やったっちゅうことやしな。それわかっただけでも、ワシの気持ちがちょっこしだけ報われとんや」
達観的境地の考えだと思えた。愛した人が、自分の居ない世界でもなお健康的に暮らせているなら良い、ということなのだろうか。
「そういうもの?」
「ワシはそう思たっちゅーだけやけどな」
難しいな。僕にはまだわかり得ないことだ。そんな風に広い視野で人を愛することが、大人になったら自然と出来るものなのだろうか。まぁ僕の場合、ただでさえ目に見えないものを考えるのは得意ではないから、人様よりも輪をかけてわからないだけだと思うけれど。
例えば皆本が剣と上手くいったとして、そのときに僕が「二人を心の底から祝福できる。二人が健康であればそれでいい!」と胸を張るようなものだろうか?
うーん、昼間までは純粋に皆本の笑顔さえ守れるならなんて思っていたけれど、正直複雑な気持ちだ。いまの僕には出来るだろうか。いや出来ない、あぁいや、う、うーん……どうだろう。
「ライナルトは、やっぱり大人なんだなぁ」
考えあぐねて、はぁと大きく溜め息をついてしまう。
「いま、僕が例えば同じように皆本や剣を祝福したり健康であることを喜んだり出来るかを考えてみたけど、正直全然わかんなかった」
「ワシには今までたっくさんの時間があったんや。状況やって全然ちゃうやんけ。第一、ヒトにはそれぞれ得手不得手いうががあるんやし」
そんなものだろうか。ライナルトが急に上の遠くの方へ行ってしまった感覚だ。
「ライナルトは、リタさんと笑って会えそう?」
「ワハハ、そっちはわからんな。さすがにキレ散らかすことはないやろけど」
「会ったら、まず何を言うつもりでいるの?」
「んー、やっぱりあンときのこと訊くことから始めるやろねぇ」
ライナルトは悠々と頬杖をつく。
「リタの親父さんがなんで拘束されたんかとか。リタはあンときどうしてたんかとか。ワシの親父やら弟たちが結局どうなったんかも訊きたいしな」
拘束されて以降の真実は、リタさん側の体験談も聞いて開示し、擦り合わせなければいけない。たとえどんな事情があったとしても、現在のようにモヤついたままではライナルトの成仏は叶わない。当人同士のためにも、偏った情報のままではいられない。
「あとは、どうしてリタは日本に来たんか、やな」
ライナルトは、外れていた黒いフードを被り直す。
「日本に来て、リタの人生はそれからどうやったんか。ワシはそれも知りたい」
「そっか、そうだね」
遠くを眺める
「たくさん話したいことあるね」
柔く笑む。ライナルトも僕に視線を戻して「ほやな」といたずらそうに笑む。
「生きとった頃のほとんどを忘れてでも、ワシがずうっと調べたかったことやしな。それらがようやっとわかるかもしらん。死んでしまっとんがに変なこっちゃけど、『希望』っちゅうんがなんやわかる気がするちゃ」
「うん。なんか、不思議とよかったって思えてる、僕も」
「ちゅーか、まずはマジに本人なんかを確かめんことには話ンならんのやけど!」
ぶゎっハハハ、で笑い飛ばされる。確かに、初手のそれが一番肝心なことだ。ここまではいまのところ『捕らぬ狸の皮算用』や『机上の空論』のそれなんだった。
わぁ、僕一人で突っ走ってしまった。再び舞い戻る羞恥心に身を小さくする。
「なに小さなっとんけェ。全部マシンがワシを導いてきてくれたことやねか。凄いこっちゃで、革新やぜ?」
「い、いや。きっかけは皆本だよ、僕じゃない」
「なんでけェ。マシンがユズキと話してるがん聞いてて、ようやくじわーじわー思い出したがいちゃ。マシンのお陰やって」
「ううん、皆本が宿主だった方がもっとずっとスムーズだったと思うもの。だって皆本を宿主にしていたら、今頃ライナルトはもうリタさんと会えたり本人かどうかまで確かめら――」
「――それは違う」
どこかふてくされたように並べてしまった言葉を、ライナルトは真っ向否定で打ち返した。端正な真顔が僕を見据えている。
「あのまま、リタに近い人間を宿主ンしとったら、ワシ、リタと話したいとか昔ンこと精査しようとか、まして最期のときの話なんてせんままやったと思うげん」
「え? ど、どうして?」
「どうしたって感情に偏りが出てまうやん。血縁やと、真実がどうあっても確実にリタの味方になるからな」
「まぁ、同居してるし、皆本自身がリタさんのこと凄く気にかけてるもんね」
もしも皆本がさっきの話を聞いたとしたら、その過酷さに涙を流させてしまったり、心に深く傷を負うかもしれないもんなぁ。それでは誰も幸せにはなれない。
「あ、勘違いしんでな? ワシの味方になってくれるヒトが欲しかったっちゅうことでも、ユズキがダメいうことでもないげん」
注釈を挟むライナルトは、目の前で右手を左右にパタパタさせる。
「いつも物事を公平な目線で見て、その上でワシの力になってくれるヒトがよかったんや? ほやなかったら、こん調べもんは破綻すんがいぜ」
恐らく『今までもそうだったように』だろう。日本に渡ってから今日までの間ほぼ話が進まなかったのは、憑依先で思うように調査出来なかったからに他ならない。
「のう、マシン。そやってあんま自分のこと否定しんでくれ。陳腐な言い方やけど、マシンは今までのどの宿主とも違ったんやから。な?」
トン、と僕の右肩にライナルトの手が置かれる。大きく広い掌だ。厚みがある。家具を作っていた職人の掌だ。
「マシンは頭いいがだけやない。特に分析力に長けとる。ずうっと二日間マシンの思考読んでたワシが、そう思とんがや」
強いライナルトの言葉に、心が揺らされる。
「マシン。お前はほんま
「それは……」
剣や皆本が僕に優しいから、僕も真似て出来るようになったことだ。けど、言葉として出せなかった。丸呑みして、するとライナルトに引き込まれる。
「ワシがマシンに最期のときン話したい思たんはな、マシンなら客観的な目線と公平な考えで物事を見て、事実に基づいた意見をワシにくれるンやないかと思たからやぜ。きちーんと受け止めて、忖度しんと、ワシが見えんとこまで気付かせてくれるんやないかな思たんや?」
不思議と、素直にありがたいと思えた。ライナルトの言葉を邪推せず、真っ直ぐに受け取ることができた。まるで胸の中に凝り固まっていたものが、ボロボロと崩れて取れていくかのようだ。
初めはまったく期待されていなかったライナルトから、いまは重く思えるほどの期待をかけられている。重圧だと感じる反面、嬉しい気持ちになった自分にただ驚く。
しかし何と返していいかと戸惑い、口を
「まぁ。ワシが話したかったことはこんで
「ううん、そんなこと。話してもらえて嬉しかったよ」
「フハッ、
話が終わったら『僕だけに伝える』ことについて反論してやろうと思っていたのに、聞き終えたいまは逆にその特別感に感謝しているだなんて。嬉しいような、怖いような。
自分が特別だと思えたことは、ネガティブな面でしか意識をしたことがなかったがために、ポジティブで推されると受け入れに時間がかかってしまう。素直ではない自分が、せっかく褒めてもらえたことを台無しにしていくようだった。
「マシンもそろそろ寝んなんやね。いま戻したるけェ」
「ライナルトっ」
「ん?」
腰を上げたライナルトを咄嗟に呼び止める。切れ長の目尻が僕を向く。
「あの、僕。ライナルトの力になれた自覚がなくて、実は、結構不安に思ってた。二日間しか関わってないのもあるけど」
僕もそっと立ち上がる。
「でもライナルトがいま言ってくれたこと……僕に向けてくれてる感謝とか、在り方とか。僕のそういうところを見てくれたこと、僕も感謝してる」
息を呑むように、ライナルトは
「結果的に『見えないもの』に関してはよくわかんないままなんだけど、ライナルトが僕に感謝する気持ちって、僕がライナルトに感謝する気持ちとニアイコールなのかな? とは思えてきてて。これが自惚れじゃなければ、なんか嬉しいと思えたりしてて」
「マシン……なんやよう喋るな? どしたん?」
「い、いいでしょ。思ったことはすぐ調べたり共有したい性分なんだもの」
「ほぉーん? ほーけ、ほーけ」
ニッタァ、と粘着質の笑み。黒いローブをカサカサいわせて腕組みをする。
「ほいだら、近々ユズキにも、ちゃあんとマシンの『想ったこと』共有しんなんダメやなァ?」
げ、墓穴だったかもしれない。
「マシンはな、自分の気持ちも大事にせんなんといけん。ユズキとツルギの気持ち大事にするがんみたいに、やよ?」
「うう、優先順位……」
「ブハ。まあ、ワシはマシンのそん気持ち嬉しい思たわいね。アリガトーな」
「う、うん」
あっさりと言えてしまうライナルトが、やっぱり羨ましい。これが大人の余裕なのだろうか。……まぁ、僕らからしてみたらライナルトは充分大人、それもおじいちゃんクラスの齢だもんな。見た目に惑わされるけれど。
やがて僕にない爽やかさで、ライナルトは「おやすみ、マシン」と優しく笑んで、僕の意識を現実世界へと戻してくれた。
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