3-4 たったえらいこ

 サワサワと、頭上のケヤキ白樫シラカシが揺れる。皆本は静かにまばたきをみっつ重ねた。

「と、憑い……え?」

「フフッ、合ってるよ。『とり憑いてる』って言ったんだ」

「ど、どこに? 見えてる? 真志進くんには見えてる?」

「ううん、姿は見えない。ライナルトは普段、僕の『精神世界』に居着いていて、僕の視覚と聴覚を共有してる状態なんだ」

「へ……?」

 わぁ、明らかに呑み込めてなさそう。けど、困惑の皆本がアワアワしていて、なんとも可愛らしい。

「ごめんね。だからこの会話も、実は全部ライナルトにも聴こえてるんだ。皆本の姿も、声も、お弁当も、全部見えてるし聴こえてる状態でさ」

「ええっと、えっと。なん、なんでそんな、ことに」

「僕の感電体質が原因。この前バチッとやったとき、たまたまライナルトにとり憑かれちゃったんだ」

「待って、まずそこっ」

 細い左手五指が掌と共に僕に向く。遮られた。うん、そろそろかと思ってはいました。

「『とり憑いた』って? じゃ、真志進くんの言う『ライナルトさん』は、その、もう生身の人間じゃあないって意味?」

「うん。幽体なんだって。本人は『死神だ』って言ってたけど、言葉を間違えて覚えてたみたい」

 きゅんと眉間を詰めた皆本は、やはりまばたきが多い。懸命に情報を整理しつつ、受け入れようとしてくれているんだ。

「あのォ、ライナルトさんはオーストリア在住じゃなかった?」

「生前はオーストリアにいたみたいだよ」

「えっ、その、日本語堪能なの? それとも翻訳して聴こえる、とか、そういう都合いい感じ?」

「ううん。幽体になってから渡ってきたのがたまたま日本で、静電気を利用して転々としながら日本語をリスニングだけで学習したんだって。ペラペラだよ、北陸弁だけど」

「……北陸弁」

[なんわいね。ええやんけ、ホクリクベン]

「『ええやんけ』って言ってる」

「副音声?!」

「プフッ! 確かに」

 吹き出す僕につられて、皆本の表情がわずかに緩んだ。フゥと肩の力を抜いて目を伏せる。

「いつも真面目で正直な真志進くんが、訳もなくこんな壮大に嘘つくとは、到底思えないもんなぁ」

 そんな評価だったなんて。うう、嬉し恥ずかし。

 いくらか思案したか、皆本はピタリと数十秒間動きを止めた。息が詰まりそうになる頃にふと顔を上げて、姿勢を改め僕へ向く。

「ライナルトさんは、本当に真志進くんの中に居るんだね?」

「うん。突然非科学的なこと言い出して驚かせたと思うけど。ライナルトが僕にとり憑いているのは、本当だよ」

「そっか」

 プラスチックスプーンをオムライスへ刺す。それも気が付けば、残り三分の一になっている。

「幽体、か。ライナルトさん、亡くなってたんだね」

「うん、そうだね……」

「けど、魂だけでまだ留まってるんだね。どうして? 真志進くん知ってる?」

「僕には調べものをしてるって言ってたけど、いま本人に訊いてみようか」

「あはは、うん」

[ダラボケ、聞こえとんがいぜ。……やから、調べもの解決したいからやー言うとるやん]

「調べもの解決したいから、だそうです」

「その調べものって?」

[思い出せんが]

「思い出せんって。……ていうかライナルト、交代して直接話したら?」

[は?]

 ライナルトのみならず皆本もハテナになる。

「僕が通訳で入るより、直接話してあげたらいいよ。いまのライナルトなら、昨日みたいにはちゃめちゃなことしたり、誰にもいじわるしないよね?」

 わざと問えば、ライナルトは苦い顔をして従うはずだ。言われたライナルトは僕の中で小さく「フン」と悪態づいて、「わーった」と了承してくれた。

「皆本、ちょっとごめん。僕じゃなくてライナルトに代わるね」

「えっ? 真志、え?!」

 まるで電話の話手を交代するかのようだ。皆本に告げた途端、身体にビビビと電気が走ったような衝撃があって、フッと辺りが暗くなった。目の前には、ぼんわりとスクリーンのような映像が。精神交代が無事成ったらしい。

[ま、真志進くん?! 大丈夫?!]

 皆本の焦る声。首がガクンガクンなって脱力して、すぐにまたシャキンとなるのは、やはり傍目からは怖いのだろう。

[平気や、ヘーキ。マシンと交代しただけやでな]

 いつもの僕の声より、少しだけ低くてだらしなさそうな印象のそれだ。僕はスクリーン様の視界に張り付く。

[ワシが、ネーちゃんの知りたがっとるライナルトや。ばーさんの話、マシン中からちゃあんと全部聞いとったぜ]

[真志進くん……じゃないの? 本当に?]

[ほんまやて。ワシ箸使えんもん。マシンの昼飯食えんわいや]

 言いながら、ライナルトは箸を持とうとトライするも、見様見真似らしきグズグズの手先で案の定上手くいかない。

[だっクソ。これ、ったー、いじかしまどろっこしいわー! んなもんやってられん!]

 ブス、と串刺しになる卵焼き。わああ、行儀は悪いし卵焼きが無惨なことに! 酷い!

[しゃーねーやんけぇ、使えんもん。あとワシ死神やで食事せんでええから、こんなん久々ひっさびさげんて]

 串刺しにした卵焼きを口へ詰め込んだらしい。咀嚼そしゃくする音がンチャンチャと響く。うう、僕が食べてる間もこんな感じに聴こえるのだろうか。

[あ、その喋り方。昨日の体育の真志進くん!]

[お、そーやじィ? 昨日の蹴るやつ、ワシがマシンに代わって活躍したったんやぁ]

[ええっ?! じゃあ、あのときだけ真志進くんが元気だったのって、いまみたいに入れ替わってたからだったの?!]

[なんやちゃ、気ィ付いとらんだんけ?]

[てっきり、本当に練習した成果なのかと……]

 あぁそうか、なるほど。あのとき皆本が息を呑むようにしていたのは、『僕』の敏捷びんしょうさやテンションに驚いていたのではなくて、単に僕が言った「ライナルト」のその一言に驚いていただけだったんだ。な、なんだぁ。冷や汗をかいて損したというか、墓穴だったというか。なんだか、素直に喜べない複雑な気持ち。

[あれカッコよかったやろ、ミナモトォ。おん? なぁ?]

[そっ、ええっとォ、そそそそれよりっ!]

 そ、らされた……。ぐぬ、千載一遇の「真志進くんカッコよかったよ」チャンスだったのに。まぁどのみちカッコよかったと言われたところで、あれは『僕』じゃあないんですけど!

[あの、ライナルトさん]

[あーあーミナモトもかいや。いいげんいいげん、ワシに『さん』要らん。『ライナルト』でよろしィく]

 僕にも言ったやつだ。本当に誰にでもこうなんだなぁと改まる。

[じ、じゃあライナルト。いままでのわたしの話が聞こえていたなら、おばあちゃんのこと、ずっと聞いてましたよね?]

[おん]

[おばあちゃんのこと、心当たりありましたか?]

[すまん]

 間髪を容れず返された三音が、無情に期待を打ち砕く。やっぱり、忘れてしまって思い出せない記憶か、まったくの別人だったのだろうか。

[ワシ、リタにほんま、すまんことした]

[……え]

 驚きのあまり目が点になる。と、いうことは、つまり?

[や、やっぱり、おばあちゃんの言う『ライナルト』が、あなたですか? ほんとに?]

 上ずり、少し震えが混ざる皆本の声。ドキドキし始めた僕の心臓。きっと皆本の方が、数段ドキドキしているだろうけど。

 ライナルトはかすれた声で小さく肯定した。

[リタになんも言えんと先に死んでしまったからな。きっと、リタどうしたらいいんかわからんまんまやったと思うげん。しかもあれから六〇年経っとんやて? 放っときすぎやわいね、ワシ。ほんっま悪い男やちゃ]

 落ち着いた声色だ。ライナルトがさっきまで無言だったこともよくわかる。

 皆本の話を聞きながら、ライナルトは忘れてしまっていた部分を順番に思い出すことが出来たのかもしれない。それを整理したり、受け入れたりして、生前の記憶を組み上げていたのだろう。まるでパズルの完成を目指して熱中するかのように。

[孫のお前が見て苦しなるくらい、リタはまだワシんこと気にしてくれとんやね?]

 ライナルトに顔を覗かれた皆本は、随分と間を空けてからクシャと表情を歪ませた。その目尻に涙粒を溜めて、小さく首肯を返す。

[そーか。うん。ほんねやったら、どう考えてもやっぱりワシが悪いわな。かなり気苦労させてしまったと思うわ。それなんに、よう今日まで生きててくれた。がんこ凄く聡明なリタらしいちゃ]

 ライナルトは、決してみずからをさげすんでいるわけではない。リタさんを想うあまり、六〇年前のみずからを叱るような言葉になっているだけだ。

 ライナルトは、いままで聞いたこともないような優しい声で皆本へ話す。

[お前の姿な、あん頃のリタによう似とんげん。やで、初めて見たとき『リタがおる』ゥ思てハッとしたんやぜ]

[初めて、見たとき?]

[マシンにあげたこれにおったんや、ワシ。買うてくれたやろ? これ]

 左手首を差し出すライナルト。静電気避けブレスレットが陽光にチラチラと反射する。

[こっからマシンにとり憑いて、いまのこん状態ねん。わかるか?]

[な、なんとなく、話筋は]

[ほんまオリコーさんやなー。お前ら三人、がんこ凄くオリコーさんやわいね! なァ、名前なんちゅーねん]

[ゆ、柚姫です]

[ほしたらユズキ。ええか? ユズキがリタに似てくれたお陰で、ワシは初め、お前に憑いてかんなん思えたんやぜ]

 そういう理由で、皆本にとり憑く計画へと発展したのか。

 なぜかリタさんの主たる部分は忘れてしまっていたけれど、最後に焼き付いていたであろうその容姿だけは、無意識の領域で痛烈に覚えていたんだろう。『直感が働いた』というものに近いのかもしれない。

[ユズキがワシを、リタんとこに連れ帰してくれる一番の助けになってくれとったんや? これはほんま、すんごいこっちゃで。ほぼほぼ有り得ん。もはや奇跡やがいね]

 ふわり、ライナルトは僕の左手で皆本の頭頂に触れる。

[例えばそこまでは偶然やったかもしれんけど、そゆのに頼らんと、ユズキは諦めんでよう捜してくれたんやね。たったえらいとても凄いォやで、マジで。ほんまアリガトーな]

[ふ、ふぇ……]

 やわやわと撫でて、すると皆本の涙粒がホロリホロリと頬へ転がる。

[リタがワシんこと見えんでも、ちょっこし話しゃ絶対わかるやろしな。ワシももっかい、リタとちゃあんと話したいげん]

 涙を拭う皆本。その目元が赤くなる。

[やでな、ユズキ、マシン]

 びく、と僕は瞼を上げた。そっと眼鏡の位置を正す。

[最後ン頼み聞いてくれんけ]


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