2-2 代わっちゃる

 その次の二時間目が数さんの授業で助かった。ライナルトはその一ミリもわからなかったようで、開始三〇秒もしないうちに「つまらんのー」と吐いて、すっかり黙ってくれた。

「まーしー、マシで体調ダイジョブかよ?」

 授業終わりに、剣は再び僕の席へやってきた。やっぱり心配そうに眉間を詰めている。

「うん、それは大丈夫。数Ⅲで頭のネジ締められた感じ」

「ハハ、まーしーらしいなぁ。次サッカーだけどマジ平気?」

「うっ、うーん……うん」

「んじゃ、外行こーぜーい」

 渋々な苦笑いを作って立ち上がる。あぁ、気が重いなぁ。

 そう。この日の三時限目は体育。僕にとってもっとも忌まわしくて苦痛に感じる時間だ。え? 『テンプレートすぎる』だって? えぇえぇそうなんですよ。瓶底眼鏡ボーイでインドアな僕は、そのイメージのとおり汗水垂らすような運動がもっとも苦手です!

「ひさびさだよなぁ、外でなんかすんの!」

「そ、そだね……」

 反して、廊下を行く剣の声は弾んでいる。剣は昔から正真正銘の文武両道だ。

「大丈夫だって! まーしーマラソンは得意じゃん。マラソンだと思えばいいって。ただ走るだけ!」

「走るだけねぇ」

「そしたらバチバチやらないし、平気だろ? な?」

 天候によく似合う爽やかな剣の笑み。うう、体育が苦手かつ僕の静電気のことまで気遣ってくれる。優しい。カッコいい。

 昨日まで雨が降っていたお陰でグラウンドはすっかり湿っているだろうと踏んでいたのに、天候がそれをカラリと渇かした。既に走り回っても問題ない土壌になっていて、つまり湿度がどんどん下がっているということ。

 予定どおり男女に分かれてそれぞれがサッカーを始めさせられたので、僕はフィールドの端の誰の邪魔にもならなさそうなところで立ちすくんで全体を俯瞰視していた。剣に言われたとおり走ろうかなと思ったんだけど、何となく、気乗りしなくて。

「キャー、成村くぅーん! 頑張ってぇー!」

「ヤバいー、眩しすぎて目がやられるぅ!」

 耳を突くような黄色い声援。飛び跳ねるような幻想のハートマーク。剣がモテるのも頷ける。だって男の僕から見たって、身体をキレキレに動かして輝く剣はカッコいいもん。

 課題の競技がなんであろうとそつなく器用にこなす。加えて自分ばかりが輝くわけじゃなくて、場全体を読むのが抜群に上手い。それは視野が広いし、技術だってきちんとある証拠だ。

 あんなに目映まばゆい剣の親友が、こんなに冴えない僕でいいんだろうか――そんな不安はさすがに中学生の頃までに捨て去ったけれど、僕の片想いの相手すら剣に黄色い声援を送っているところを目撃してしまうと、胸が苦しいというか切ないというか虚しいというか。

「ナイスー、成村くん!」

 あぁ……皆本の笑顔やっぱりかわいい。でもあれは、剣のカッコよさがあるから咲くわけだ。そう結び付けが成るだけで、どうにもこう、ジェラってなるよね……。心が狭いなぁ、僕。

 わあ、皆本へ向けて、剣もチラチラと手を振った。わああ、皆本の周辺にいた女の子たちが「自分に手を振った」と張り合いながら、再びキャアキャアとなっていく。

[マシンよ]

 なに。

[お前もミナモトにキャーキャー言われたいがやな?]

 否定はしないけど言われることはないから望んでも仕方ないだろ、あと別に『大歓声でキャーキャー言われたい』って乞い願っているわけじゃないから。あと女子側だっていまはサッカーやってるんだし!

[なんけェ。そんな長ぁいセリフを一息で言わんでもやな。ちょお怖いじィ? 落ち着かれまっし]

 悪かったね、機嫌が悪くって。

 あぁ、早くこの試合ゲーム終わってくれないかな。そもそも僕は、脚でも静電気が発生してビリッときちゃうから、本音を言うとボールにあまり触りたくはない。大体、団体競技で上手く立ち回れたことなんて一度もないし。

[代わっちゃるか、ワシが]

「は?」

[マシンの代わりに、ワシがあン試合やっちゃるか、言うとんが]

 どうやって。

 僕が眉間にシワを寄せていると、顔を見ているわけではないのにライナルトがニチャアと粘着質に笑んだ気がした。

[こーすンげん]

 その瞬間、フッと僕の意識が飛んだ。

「なっ?! わっ! ええっ?!」

 真っ暗な世界――ここは僕の精神世界だと瞬時にさとる。目の前にはぼんやりと楕円形に景色が映っている。

 楕円の横の直径は、二メートルはくだらない。縦も悠に一メートルはあって、まるでホームシアターのようだ。ライナルトには僕の視界がこうやって見えていたのか。

「って!」

 ライナルトが『ここに』いない!

[ブワッハハハ! こんなことも出来るんやー、ワシ。わやくむちゃくちゃやろー!]

「ちょっと、冗談じゃないよ! 今すぐ交代して! ライナルトが僕に成り代わるなんて無理に決まってる!」

[ダーイジョーブ、ダイジョーブ。丁度体動かしたい思てたとこやでな。まぁまぁ、任しとかれ]

「なにがどうなるから大丈夫なんだよ!」

[おぉん? マシンお前、あんまり筋肉ないのォ。鍛えんといけんがやちゃ。今後のためにも、ちゃーんと筋トレしんなんやぜ?]

「やだあー、頼むよぉー! これ以上変に目立つことしないでぇー! いままで大人しくしてくれてたじゃない!」

 景色がズンズン前方向に動く。走りだしたな、ライナルトめ!

[うるっさいのー。そんな心配しンと、ミナモトのキャーキャーはきっちりマシンにやるわいね]

 バチーン、と右半分の楕円が一瞬暗くなる。まさか、ウィンクでもした? うううキツい! 僕の顔でウィンクはキツいよー! お願い神様死神ライナルト様、どうかこのグラウンド近辺の誰にも見られていませんように!

[おっしゃー、やったるわいね! いままで黙って見とったしィんね、いろんなやり方も完璧じゃい!]

「お願いなにもしないでただ端の方に立っててぇー!」

 わ、どんどんボールの取り合いをしている中心に分けってしまう! 悪目立ちしてしまう、泣きたい。猛烈に泣きたい!

[こん競技、つまりは脚使やえーねんろ。ぅおりゃー!]

 こともあろうか、ボールがこっち――ライナルトに身体を乗っ取られた僕の元へ低く飛んでくる。ぎゃあ、ムリ! 僕はボールをホールド出来ないです!

 反射的に目を瞑ったけれど、なぜか身体への衝撃音がしなかった。代わりに「おっしゃあー!」という活気に満ちた『僕の声』がその場にボワワンと響き渡る。

「へ?」

 そっと目を開けば、見たことのないスピードで景色が動いていた。これがスポーツが出来る人――ライナルトの動き?!

[いっくでぇー! オラオラァ、ワシが球ァ持っとんがいぜ! かかってこんかい、ダラボケェ!]

 どうやらボールを所持しているらしく、ライナルトは華麗に人と人の合間を抜ける。

[オイコラ、一旦戻せェて! ちゃうて、そっちゃないわいや! こっちやこっち!]

 都度パスを繰り出すようで、「ヘイ!」とか「こっちや!」の『僕の声』も織り混ざる。わあ、こんなのまったく本来の僕ではありませーん!

[ちゃうげん、上がれや! だーっ、いじっかしまどろっこしいなっ。ワシがやったるわいね!]

[か、神田、今日どうした?]

[なんか妙に元気すぎ……]

[つーかなんか、言葉違くねぇ?]

 ううー、周りの反応が痛い、痛すぎる! 『僕』が急にドリブルを駆使してゲームを扇動しまくってるのが呑み込めないんだろう。こうして見ているだけでよく伝わる。

 本来の僕はチームプレーが苦手で、体育のこういう競技はいつも全然ダメだ。それなのにいまは人が違ったように動いているから、そりゃあ困惑するよね。うん、だって文字どおり人が違うんだもん! 

 あははは! もうやけくそだよこんなの! 笑うしかない! 景色を見ていたってめまぐるしくてよくわかんないし!

[がら空きやちゃっ]

 あ、でも個人技は団体競技よりもちょっとだけマシなんだ。自分一人の努力や力量の結果だし、気に病む必要性が薄まるから。

[いくでぇ。ラーイーナールート、シューット!]

 ボン、と鈍い音。その後で、ゴールネットにボールが突き刺さったのを目撃。シーンとなった、男子側グラウンド。

[…………]

 え? 『シュート』?! いま『シュート』って言った? まさかライナルト、ゴール決めちゃったの?!

[おーいおいおい審判よ。いまワシ、点数決めてんけど?]

 ライナルトの視線が捕らえた男子みんなの表情が、まるでハニワみたいにポカーンとなってしまっている。キーパーが足元に転がってきたサッカーボールを捕まえると、しかし途端に雄叫びみたいな歓声と悲鳴みたいな黄色い興奮がわき起こった。

[神田どうしちまったんだよ、いつからあんなに動けた?!]

[待って、神田くんなんかカッコよくない?]

[神田くんヤバいー、身軽すぎぃ!]

[すげー動けんじゃん! もっかいやってくれー、神田ぁ!]

 ぎゃあ、ごめんなさいごめんなさい! あれ本当は僕じゃあないんです。みんなごめぇん!

 ちょっとライナルトっ、いくらなんでもやりすぎだよ。本当に控えめにしてよ!

[うっさいわい。んなことより、よう見とれ]

 僕の訴えも虚しく、ホームシアター様の視界が突然ぐるんと動いて、その焦点が皆本にロックオン。

[ミィーナァモトォー! いまン見とったけーェ?! がんこわやくやったとてもスゴかったやんなぁ!]

 わああ?! なん、なんでそんな大声でっ! 皆本にバレてしまうじゃあないか! やめてやめて、ライナルト本当に大声はやめてぇ!

[えーやんけ別にィ。せっかくマシンの恋愛後押ししとんがやぜ。ほれほれ、見てみられ。ミナモト感動しとんぜェ!]

「あ……」

 女子側のサッカーは中断するかたちになっていて、皆本は手で口元を覆っていた。それはまるで息を呑んだ後のような格好で、僕のきもがヒュンと冷える。

「感動、してるか?」

 半信半疑の僕は、ゆっくりと首をひねる。

 あれは、僕ではないとバレてしまった顔なんじゃあないだろうか。じゃあ四六時中一緒にいる剣だって、もしかしたら僕の異変に気が付いてしまったんじゃあないだろうか?

[おぉほれ見てみィ、マシン。ワシの点数入ったわいや!]

 得点板に一点が加わった。ライナルトが奇襲でさらった一点だ。

 そうこうしているうちにホイッスルが鳴って、試合が再開してしまう。ライナルトがまた僕の声で「まだまだ取ったるわいね!」と楽しそうに叫ぶ傍らで、僕は苦い顔でやっぱり授業が早く終わればいいのにと願っていた。

 今度は『体育が嫌』という理由ではなく、皆本と剣の反応についてが心配のタネになったから。


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