鉄味の水を飲む

酔臥宵桜

鉄味の水を飲む


撃鉄が降りる。炸薬が炸裂し、10gない鉛の塊を前方に押しやり弾頭を回転させながら銃口は噴炎をあげた。

やがてそれは頭に着弾し、鮮血を瀉出する。排莢された空薬莢はカランという軽い音で余韻を残し、人だったソレの意識を刈り取りただの物質としてその場で身を伏せさせた。


倒れた肉塊を仰向けになるように足で転がす。人であったソレの顔など彼女にとってどうでもいいことで、彼女が見るのはソレにまだ命があるのか否かとその数だけ。

一、二、三、四···

そうやって彼女は転がるソレ全てに意識がないことと数が合う事を確認すると溜息をひとつ零す。

そして彼女は弾倉を抜き、薬室内の弾薬を排莢。弾倉を再び差し込み銃をホルスターに収めた後、その場を去っていた。

死体と、空薬莢と、血溜まりを残して。


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「···もしもし。涼月ですが。」


「はいは〜い、Ташкентですよ〜って涼月さんでしたか〜お仕事終わりました?」


日を跨ぎ眠気を誘うような澄んだ深い夜にも関わらず電話越しに聞こえてくる間延びする敬語。外国人にしてはヤケに流暢に、戯けたような口調で話してくる中性的な声でТашкентと名乗る者は彼女に問い返す。


「えぇ、白露会直系村雨組系の吹雪一家全構成員の死亡を確認しました。」

この街に拠点のひとつを置く白露会。全国的な影響を及ぼす反社会的勢力組織。村雨組は白露会の直系組でこの街を基点とし活動している。

今回の仕事もその吹雪一家が許可していない地域に手を出そうとしたということで村雨組から全構成員殺害の依頼を受けた訳だ。わざわざ自分の組を使わずにこうやって依頼してくるということは正当な大義名分があるというわけでも無さそうだが···。


Ташкент「今回も早かったですね〜いつも助かります。」


「どうも」


Ташкент「ではいつものお店で待ってますね〜」


「はい、後程伺います。」


そんな短い業務連絡を終え、携帯をしまう。

彼女の名は涼月 神鷹。名前を変え、容姿を変え、様々な人を騙りながら与えられた仕事をこなす。俗にいう暗殺者や諜報員といった所だろうか。

闇に溶けるような瞳は彼女の腰に掛かっている銃と同じ黒鉄色を呈し、染めたくすんだ銀髪を高めの位置で結っている。


楽な仕事だったとちょっとした喜びを見出し、彼女はТашкентの待つ店に向かう。

その姿は夕方に見るOLが仕事から帰る姿と、何ら変わりなかった。






ドアを開けるとカランカランというクラシカルな音が鳴り、客の来訪を伝える。電球色が照らす店内にはどこでも聞くようなボサノバ曲が天井設置のスピーカーではなくジュークボックスから流れている。カマーベストを着た男性とカウンター奥の酒がバーであることを示しているがそれが無ければ喫茶店と間違えても無理もないような内装だった。

ドアベルの音を聞き、カウンターに居るカマーベストを着た男性と複数人の客がこちらを一瞥したが、涼月であることを確認するとそのまま視線を戻した。

唯一カウンターの男性が「いらっしゃいませ」とだけ反応したが、特に何か返すわけでもなく彼女は一番奥のテーブル席に向かう。

一番奥のテーブルに向かうとテーブルにブロンドの髪を広げ机に突っ伏して動かないものが一つ。


「Ташкентさん、起きてください」


そう呼びかけられるとそれは一度ピクっと痙攣したかと思うと意外にもすんなりと起き上がった。

肩にギリギリ届かぬ程のブロンド髪を軽く整える仕草は中性的な見た目をしているТашкентだとむしろ女性らしく見えたが、彼女は次にウォッカを一瓶頼んだため女性らしいというよりただの蟒蛇であることが印象に残る。


Ташкент「やっぱりマスターのいれるお酒は美味しいですね〜。」


「ありがとうございます。」


マスターと呼ばれるカマーベストを着た男性が涼月に飲み物を差し出して言う。

差し出されたのは氷に色を呈さない液体が入ったショットグラス。なんてことは無いただの水だ。

しかし彼女はそれに手をつける訳でもなく、ただТашкентの方に向かって座っている。


Ташкент「えーっと〜?お仕事終わったんでしたっけ?」


「はい、吹雪一家構成員総員を射殺しました。」


Ташкент「素人十数人と言えども随分と早く片付きましたね〜。涼月さん獲物なんでしたっけ?」


「確かドイツの銃器会社の9mm口径の物です。」


Ташкент「あぁ〜USPですね〜そんな物も仕入れたような気がします。」


そうТашкентは自分のショットグラスにウォッカを注いで口に含む。

Ташкентはこの街で活動している裏方の万事屋のようなもので武器、麻薬や情報を取り扱う他暗殺等の仕事の受付もしている。このバーもТашкентの仕事場のようなもので昼は喫茶店を普通に営んでいるが、夜は一定の面子しか入ってこないたまり場のようになっている。

Ташкентはただの仲介者で実際に仕事をこなすのは涼月等の所謂本業がこなす。今回の仕事もТашкентが仲介したものだ。

そして、断続的に続く会話を数十分ほどした頃だろうか。Ташкентの携帯が鳴った。


Ташкент「は〜い、もしもし〜Ташкентですよ〜。

はい。はいは〜い、了解しました〜。明日にでも持ってきてくださ〜い」


Ташкент「吹雪一家構成員全員の死亡を確認したようです〜お仕事完了ですね〜お疲れ様でした〜。これ約束のお金ですね〜」

そう言うとТашкентは数cmの厚さを持った和封筒を投げ渡した。


「ありがとうございました、ではこれで失礼します。」


Ташкент「あ〜、そうだ。涼月さん、明日空いてます〜?」


「そうですね、特にすることはないかと。」


Ташкент「ならお仕事を頼みたいのですよ〜。拷問官。」

拷問官、浦風 那智。そう呼ばれたのは彼女にとって少し久しぶりのことだった。反社会勢力に属する者やそれに関係する者達というのは何かと二つ名をつけたがる傾向にあり、拷問官もそのひとつだ。彼女が活動するにあたって偽名と言うものは必ずあるものであるし、なんなら彼女の涼月という名前すら殺しの仕事に使うひとつの偽名だ。そういう意味では二つ名というのは便利なものであるのかもしれない。


「···分かりました。住所は?」


Ташкент「三合会支部ですよ〜、あらん限りの苦痛を以て。だそうです。」


「···はい、承りました。明日ですね。」


Ташкент「お願いしますね〜」


彼女は出されたショットグラスに入った水を飲み干し席を立つ。無味無臭の冷やされた液体は仄かに嗅ぎなれた鉄の臭いを伴っていた。それが彼女の舌がそう感じただけなのか本当に鉄分を多く含んだ水だったのかは分からないが、彼女は気に留める事は無く、飲み干したショットグラスをカウンターに置き店を出ていった。


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「お待ちしておりました。Ms'浦風。」

浦風 那智として仕事を引き受け、彼女はここ、三合会支部に来ている。

香港に本拠地を置く三合会。その世界的な影響力はあらゆるマフィアの知るところである。

応対するのはスーツ姿の白人。背の高さは彼女の1.5倍程と言っても差し支えない程だろう。何より目を引くのがその顔。

右目上前頭部から首にかけ走る熱傷痕が痛々しく、顔を見て真っ先に抱く言葉が醜悪さだった。


「お久しぶりです、Mr.colossus。本日は仕事のご依頼ありがとうございます。」


colossus「あなたの仕事ぶりには感心させられますから。」


「そう言って貰えると嬉しいです。本日はよろしくお願いします。」


colossus「はい、よろしくお願いします。」


「今回の尋問対象は?」


colossus「はい、うちの麻薬の売人だった男です。販売を許可していない地域にまで手を出した後うちの構成員を射殺。危うく国外に逃がすとこでしたよ。見せしめという意味合いもありますが、国外逃亡の手引きをしたものについても知りたいです。」


「ふむ···とゆうことは最終的には殺すのですね?」


colossus「はい、そういうことになります。男は今そちらの部屋で縛っています。着替えはこちらで済ませてください」


「分かりました」

彼女はそう言って通された部屋に入り、カゴに入っていた手術着に着替える。エメラルドグリーンだった手術着は色褪せ、色ムラが生じている上に漂白剤の匂いが鼻につく。強引に血を落としたのだろう、どれだけの量を使えばここまで臭いが残るのかと彼女はふと疑問に思ったがそれはすぐに掻き消される。

こんな日常生活で抱く疑問も道徳的な感情も生きている意味も。仕事には必要ないから。

無駄な思考だったと思い着替えを済まし部屋を出る。


「お待たせしました」


colossus「ありがとうございます、こちらへどうぞ」


続いて案内された部屋は四方がコンクリート張りで部屋の隅に水道があるだけの簡素な部屋だった。

天井から吊り下がった裸電球に照らされているのは台の上に並ぶ工具や金具に加え薬や注射器に及ぶまで様々なもの。そして部屋の中心に居る椅子に拘束された男性だった。

男性は顔に黒いビニール袋のようなものを被せられ、手を後ろ手で拘束されており、手術着を着ている。


「お、おい!誰か来たのか!?」

手袋をつけ、台に乗せられた器具を手に取ってみる。

医療用の鋏、骨切り鋸、ペンチ、鎮痛剤に止血剤等と色々なものが置いてある。


「おい!誰かいるのか!?」

物を取っては置いているとカタカタとトレーが鳴るからだろうか、縛られた男が叫んでいる。長時間水分を摂取していないのかその声はガラガラと耳障りだ。


colossus「準備、出来ましたか?」


「はい、大丈夫です」


colossus「分かりました。那珂さん、入っきてください」


「ど、どうもっす···」

那珂と呼ばれて入ってきたのはスーツ姿の青年だった。体格、顔立ちも特記することの無いような極めてどこにでもいるような青年。


colossus「こちらは次にそこの男の代わりに売人をしてもらう人です。まだまだこの界隈には慣れていないようですので見学させてもらいます。今回は私も。」


「わかりました、では始めます。」


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男は嗚咽を混じらせバシャバシャと水音を立てる。彼が吐くのはもう何回目かも分からず端の水道が一度詰まりかけた程だった。


彼女の目の前の男は喘鳴を響かせるだけで痛みに呻くこともしなかった。


colossus「那珂、まだだ。しっかり見ろ。」

そして、この男も大概だ。彼が吐く度に吐くのを止めることはしないが一通り吐くとすぐに見せることを強要する。


「喉を切った覚えはありません。最期に聞きます。国外逃亡の手引きをした連中は?答えれば命だけは助けましょう。」


「ソルン···ツェフ···スカヤ······ブラ···トワ」


「···聞こえましたか?Mr.colossus」


colossus「えぇ、間違いなく。検討は粗方着くので納得です。もういいですよ。私は本部に伝えきましょう。面倒なことになりそうです。お先に失礼します。那珂、Ms.浦風を御見送りしてくださいね。本日はありがとうございました。報酬は後ほどТашкентさんを通じてお支払いします」


「ありがとうございました」


そうやってcolossusは部屋を出る。部屋を出たのを確認した後適当な刃物を手に取る。


「あなたも長時間辛かったでしょうでしょう、お疲れ様です。」

そう彼女はなんの変調なく、報告の常套句のように告げる。

彼女は黒鉄色の刃物を手に取り、鞘にしまうようにして彼自身の心臓を刺した。


「これにて私の業務は終了です。お疲れ様でした。」


那珂「なっ···」


「···どうかしましたか?」


那珂「なんで殺したんだよ!?」


「···?なんでって仕事が終わったからですが···」


那珂「そんな···仕事が終わったら助けるってあんたは···」


「あぁ···方便ですよ。方便。」


那珂「その言葉を信じてこいつは···」


「だから言ってるじゃないですか、方便ですよ。」


「化け物め···人の心のない化け物め···」


「化け物···ですか。」

返り血で汚れた手術着を身に纏う彼女は佇む。

彼女は血にまみれた両手でマスクを外し嗤う。


「こんな汚れきった仕事に人の心なんて必要ないですから。」


あくまでも人の心は道具と定義する彼女に誰しも物云うことはなく、彼女は水道の蛇口を捻り水を口にする。

鉄の臭いが蔓延したこの部屋では水の味すら鉄の味がする。

しかしとて、彼女は気に留めることはない。




彼女は希薄な水。無味で、無臭で、無個性な水。そこに何かを加えど何者になろうとも厭わない。いくら飾ろうとも、似せようとも。水が水であることを惜しむ者はいないから。


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鉄味の水を飲む 酔臥宵桜 @Suiga-yoiZakura

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