N+1

アリクイ

 片想いの相手と放課後に2人きり。そんな世の男子達が泣いて喜ぶシチュエーションがこれから訪れるというのにも関わらず、僕の心は全く躍らない。原因はこのどんよりした空模様のせいだろうか?それとも……いや、これ以上考えるのはやめよう。

 指定されていた空き教室のドアを開けると、上原さんはいつものように教卓に座って足をぶらつかせていた。


「ごめん、遅くなった」

「何してたの?」

「ちょっと急用が入っちゃってさ」


 本当は午後の授業が終わってすぐにここに来るつもりだったのだが、途中でばったり出くわした教員に委員会の雑用を申し付けられてしまい、最終的に待ち合わせの時間に遅れてしまったのだ。

 突発的な出来事のせいではあるし、遅れたのも5分かそこらなのだけれど、なんだか申し訳ない。改めてごめん、と軽く頭を下げる。


「いいよ、それより稲葉くんも座って?立ちっぱなしじゃ疲れちゃうよ」

「あぁ、うん」


 彼女に勧められるままに、僕は最前列のど真ん中、つまり彼女の真正面の机に腰を降ろした。ふたりの距離は約2メートル。お互いに手を伸ばしたら届きそうで微妙に届かない、それくらいの距離。


「そういえば、美術の課題ってどこまで進んだ?」


 最初に話題を振ったのは僕だった。


「だいたいの形は仕上がったから、あとは色塗りかな」

「マジで?僕まだ3割も終わってないんだけど」

「えぇっ!?大丈夫なのそれ!?」

「たぶん大丈夫ではないかな……」


 それからしばらくの間、僕と上原さんは雑談を続けた。今日あった授業のこと、最近流行ってるドラマのこと、真偽も不確かなクラスメイトに関する噂話、それから……とにかく他愛もない話をたくさんした。

 いつも女子達の会話を『全く中身がない無駄なもの』と内心で馬鹿にしている僕だが、上原さんとはこうして話すのは全く苦にならない。むしろ普段はそういう話をほとんどしない分、彼女とこうして会っている時はいつもより饒舌ですらある。それはきっと、彼女に対して好意を抱いているからだろう。僕が言ったことに対して彼女が何か返事を返す。あるいはその逆をする。ただそれだけの行為が、僕にとっては幸福だった。

 しかし同時に、これがずっと続くものではないという事も僕は知っていた。上原さん度々こうして僕を呼び出すのは理由があってのことで、別に仲良く雑談するためではない。だからそのうち適当な話題が尽きれば、いつものように彼女は本題を切り出すだろう。

 そしてその時は、思っていたより幾らか早く訪れた。


「へぇ、それは楽しみだね」

「うん」

「……」

「……稲葉くん、あのね」


 二人の間に一瞬の沈黙が流れたのを契機に、上原さんが声のトーンを変える。さらに彼女の眼差しは先程までとは異なる妙に真剣なもので、これからきっと起きるであろう事態を僕も意識せざるを得なかった。


「うん。何?」


 再び室内を静寂が支配する。それから永遠のような一瞬が過ぎ去った後に彼女が発した言葉は、完全に僕の予想通りのものだった。



「私ね、実はいま好きな人がいるの」

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