第11話 スミレとアトリエ

<福耳 屋根裏 (菫のアトリエ)>



杜萌菫は煮詰まっていた。


菫「ん~…」


中華居酒屋<福耳>の屋根裏が、菫の秘密基地兼アトリエだ。


シクシクと痛む脇腹の痛みに耐えながら、画板に向かい、うんうんと唸ってはパレットの絵の具をこねていた。


先程の実現会襲撃の折、失くしてしまった能面型ボイスチェンジャーの、新たなデザインを練っていた。


菫「デザインも浮かばないけど、それよりも…」


対馬亮太。


あの存在を排除せねば。

その思いは日に日に強くなっていく。


菫「あいつは必ず、事を起こす。晶悟さんに取り入ったのだって…」


そのXデーを止める為に、わざわざ忘れたい過去…抜けたはずの平和クラブにも戻った。


鍵和田はよく福耳で亮太と通話をしている。

毎回見張りをつけて警戒しているようだったが、彼も福耳の住人である菫にまでは警戒していないようだった。


菫「対馬亮太…奪いにきた。今度は、私が守る…大事な人達、場所、壊させない」


私は、強くなった。

そう菫は自分に言い聞かせ続けていた。


扉がノックされる。


鍵和田「菫ちゃん、大丈夫?」


菫「っ!?晶悟さん!?」


鍵和田「ママに怪我したって聞いたからさ。入っていいかな?」


菫「えっ?ええっとね、」


菫は、自分の中に邪な心が芽生えるのを感じた。

先程交戦したカルト団体だったら、不純は懲罰ものかもしれない。


菫「ど、どうぞ。散らかってるけど」


鍵和田はアトリエに足を踏み入れる。


身体の大きい鍵和田には、天井の低い屋根裏は窮屈そうに菫の目には映る。


鍵和田「久々に入ったなあ。…相変わらず前衛的で良いね、最新作?」


鍵和田の眼前には、顔の半分が分離した浮世絵風の女性から、さらに同じ女性がお面を付けて這い出て来ているという構図の絵が広がっていた。


菫「もぉ、馬鹿にしてるー?」


鍵和田「いやいや、すげえ作画だよ、アイジーのオシマモ作品みたいだ、うん。はっはっは」


菫「絵は、恥ずかしいからあんま見ないでっ」


菫は顔に血液が集まって行くのを感じる。

菫にとって、この場所で一人きりになり篭って描いた絵は、ひとつも嘘がない。


まるで丸裸の自分を見られているような感覚に苛まれる。

その相手が幼少期から一方的に結婚相手に定めている鍵和田ならば、尚更だ。


鍵和田「…ん。これは」


鍵和田はデザイン前の能面のスペア素材に触れようとした。


菫「あっ、だめっ、それは!…痛っ」


鍵和田「あ、ああ。ごめんごめん、珍しく立体作品かなって…」


菫は鍵和田の顔に一瞬影が差したように見えた。


菫「…?晶悟さん?」


鍵和田「それ、唇切ったのか。ママに消毒液借りてくるよ」


菫「え、いいよ!こんなのツバ付けとけば治るもん!」


鍵和田「はあ…菫ちゃん。ヤンチャも大概にしてな。化膿したら跡になる、女の子なんだから…」


菫「そうやってすぐ女子児童扱い。規制待った無し」


鍵和田「おじさんがツバ付けて治してあげようか~デュフッ」


菫「付けてよ」


鍵和田「お、ああ?何を?」


菫「…ツバ、付けてよ」


菫は目を閉じて唇を突き出している。

色白の肌が紅潮していた。


鍵和田は、その血色のいい頬と見下ろす胸元に色気を感じている自分が情け無かった。


鍵和田「ええーと、菫ちゃん、俺たちはそういう風にはなれないんだ。血の繋がりはないけど…」


菫「ママと晶悟さんと私で家族、でしょ?耳にタコチュー!」


菫は唇を突き出した体勢のまま、自分の両手で頬を寄せ、タコのような顔を作った。


菫「ほのひあるえんじ~(訳:この光源氏~)」


鍵和田「ぶっ」


数秒前の表情とのギャップに、鍵和田は思わず吹き出してしまう。


菫「あー!まじでツバ飛ばした!」


鍵和田「ごめんごめん!カッコつかないなあ、はっはっは」


菫「もういーよ!からかっただけだしィ、セカンド童貞のくせに無理して下ネタとか言うからァ」


菫は口を尖らせる。


鍵和田「悪かったよ、菫ちゃんには敵わねぇなあ!」


菫「謝ってばっかり!ヤクザのくせに」


鍵和田「菫ちゃんは俺の唯一の弱点だなぁ」


菫「なにそれぇーなんかむかちん!」


鍵和田「…流石に身体を見るわけにはいかないけど、アザあるだろ?さっきから右脇を庇ってる」


菫「千里眼なんだね」


吾妻との戦闘で右脇に無視できないダメージがあった。


鍵和田「明日、大丈夫クリニックの日でしょ?」


菫「う、うん。あんまり気が乗らないけど…」


鍵和田「あそこのビル…メディカルプラザに組の掛かりつけの外科があるから。俺の名前出せばすぐ診てくれるはずだ」



鍵和田は名刺を渡すと、立ち上がる。


菫「今日はもう帰るの?」


鍵和田「いや、下で一杯、養命酒でも飲んでくよ。今日は家で大人しくしててな」



菫「はぁーい」



アトリエを出て行く鍵和田の背中は、やはり窮屈そうだった。



<繁華街>



菫「ふわぁーあ、ねむ」


昨日の深夜のドンチャン騒ぎと、アトリエを追われた影響で、菫は睡眠不足気味だった。


実現会から逃げ、鍵和田とアトリエで会話した後、能面のデザインをしていると突然ママにアトリエを追い出された。


菫は回想する。


<菫のアトリエ>


ママ「菫ッ、屋根裏、明け渡せクダセイ!セイラ・ライッ!」


派手な音を立て、屋根裏に踏み込んできたママは、鬼の形相でまくし立てた。


菫「ふぁっ!?な、な、なんで!!」



ママ「このアトリエには」


静寂が流れた。



菫「ゴクリ…」



ママ「悪魔が棲みついている…」


菫「…は?」



ママ「破ァーーーーーーーーーッ」


ママは菫に組みつき、菫が担がれる形になる。


菫「イヤダァああああああああああああ」


こうして菫は訳も分からぬまま秘密基地を失った。




それから紆余曲折あり、

鍵和田、健介、ママの3人とyoucubeをみたあと、結局酒盛りが始まってしまったのだ。


ほとんど徹夜の状態で、菫はバイト先に歩を進めていた。


繁華街から少し離れた路地に、菫のバイト先である雑貨屋「ババ・ヴァンガ」がある。

規模は小さいが、生活雑貨からパーティグッズ、趣味の悪い骨董品まで品揃えが豊富だ。


扉を開けると、軽快な鈴の音が響いた。


<雑貨屋 ババ・ヴァンガ>


菫「おはようございまーす」


馬場店長「おはよう!あれ、スミレッティ、なんか眠そうだわね?ひどい顔よ。また徹夜で描いてたの?」


豊富な品揃えの一部には、菫の描いた絵を売り物として店に出す事もある。


菫「いや、昨日の夜中うちのママが騒いでまして…」


馬場店長「あら、相変わらず困った子ね。調教してやろうかしら」


菫「逆に喜んじゃうと思うんで…」


馬場店長「あの引き締まったボディ、嫌いじゃないのよネ」


馬場店長の目がギラギラと輝く。

どうして自分の周りはこの手ジャンルの人物ばかりなのだろうと、菫はダウナーな気分になる。


菫「ちょっと引き締まりすぎですけどね…」


この雑貨屋バイトも、ママからの紹介という事を考慮すれば、当たり前といえば、当たり前なのだが。



馬場店長「あ、スミレッティ。シフト開始早々で悪いんだけど、そこのスーパーでゲキオチくん、お遣いたのんでいいかしら」


菫「いいですけど、掃除でもするんですか?」


馬場店長「ハロウィンの時の装飾で蛍光塗料使ったじゃない?アレなかなか取れないのよね。暗くすると勝手に光っててキモいのよ」


菫「ああ、私がこぼした奴ですか。てへっ」


馬場店長「メスぶってないではよ行かんかい!」


菫「あ!店長、ハロウィンの売れ残りマント、あと小型レコーダー、まだあります?」


馬場店長「時期が過ぎてからやたらと売れ行きがいいわね、あのマント。持ってっていいわよ」


菫「ありがとう店長~愛してるっ」



馬場店長「現金な女ね。はい、お釣りでジュースでも買って。アタシ豆乳~」


菫「どっちがメスなのか…性別とは。…豆乳、了チゲです!行ってきまぁす」


菫は馬場店長から千円札を受け取ると、スーパーに向かうべく入り口へ足を向ける。


入れ違いになる形で、客とすれ違う。


菫「あ、いらっしゃいませー!」


???「どうも。昨日の…店長かな?いますか?」


菫「ええ、中に居ますよ!ごゆっくりどうぞ~」


-あれ?今の人、もしかして…-


???「ありがとう」



本日初の客を背に、菫は店を後にした。



<繁華街 昼>


スーパーに向かい歩いていると、声をかけられた。


健介「よっす!そこの綺麗なお姉さん!」


菫「ナンパ?えー、わたしって綺麗かなぁ?でもぉ心に決めたひとがぁ…って、なんだシスコン健介じゃん」


健介「バリブリしてる…てか酷いなあ、これでも結構モテる方なんすよ!…菫さんには全然みたいだけど…しゅん」


健介は俯く。

菫は密かに、健介に母性本能をくすぐる才能があると感じていた。

言わないことにしているが。


菫「今時の女の子は良くわかんないねぇ、草食系男子っていうの?あんたみたいなの」


健介「お、俺はマジモンの肉食ヤクザだよ!それに菫さん俺と一個しか違わないでしょッ」


健介は頬に指で傷を表現するジェスチャーをしきりに繰り返している。


菫「歳下に興味ないしィ、バイト中だから、じゃあね!あんたもサボってたら晶悟さんにチクるよ~」


健介「昨日酔って貧乳当てて来たくせに」


菫「なんか言った?」


菫は健介を睨みつける。


健介「ヒィッ」


菫「どろんっ」


菫は踵を返す。


健介「あーそうそう!カギさんからちゃんと病院いけって伝言ですから!伝えましたよ!」


菫「あーい。健介、昨日あんだけ騒いでよくピンピンしてるね。伝言ありがと、またね!」


健介「肉食系ですから!それではッ」


健介は腕まくりをしてみせ、菫を見送っていた。



<雑貨屋 ババ・ヴァンガ>


その後、スーパーから戻り、通常通りのレジ作業をこなしていると、数人の来客があった。


白装束1「ここです」


白装束2「雑貨屋、ですか」


菫「っ!?…い、いらっしゃいませ」


ダンボール箱を抱えた二人組の男女だ。


白装束「貴店に置いていただきたい製品があるのですが、お時間頂いてもよろしいでしょうか?」


昨日一悶着あったカルト教団の人々と同じ服装。

菫は警戒心を強める。

やはりあの時、仮面を取るべきではなかったと内省したが、古武術は呼吸が全てだと教え込まれていた菫には、ああする他無かった。



菫「わたしはバイトなものでして…てんちょ!売り込みの人が来てます!って、寝てるし」


事務所から馬場店長のラウドネスなイビキが響いていた。


白装束「置いていただくだけでいいのです。お代は結構なので」


菫「なにそれ、怪し…中身は?」


白装束「健康補助食品です」


白装束の1人がダンボールを開けてみせ、そのうちの一本を菫に手渡す。


菫「カロ○ーメイトみたいな感じですか」


ダンボールにはスティックバー状の食品が詰まっていた。


白装束「天然素材のみで構成されています。他社の物とは違い添加物等は一切…」



菫「あ、いらっしゃいませー!…あの、他のお客さんも来たので、今日は帰ってください。店長には伝えますから」


白装束1「分かりました。私達は押し付けたりはしません…次へ行きましょう」


白装束2「はい。失礼しました」


白装束の2人は店から出て行く。


菫「一本置いて行ったし…絶対わざとだ」



押し付けないという押し付けが、実に宗教団体らしいと、自分の手に握らされた健康補助食品を見ながら思う。


何か胸につかえる物を感じる菫だった。




<メディカルプラザ前>



菫「PTSD治療の為にも、絵は続けてください、かあ…って言っても、アトリエ取られちゃったしなあ」


外科の診察を終え、心療内科”大丈夫クリニック”の扉を背にし、菫は1Fの処方箋受付に向かう。


自動ドアが開く。


薬剤師(柿神)「いらっしゃいませ~、処方箋お預かりしまぁす」


菫「お願いします」


薬剤師「お掛けになってお待ちくださ~い!」


菫「はい」



薬剤師は白衣のポケットからスマホを取り出す。


薬剤師「…え、この後って、まじ?やばーい…あっ、失礼しましたあ」


菫「…」


菫はこの薬局の薬剤師が好きではなかった。

自分が男勝り、或いは自分も女だからかもしれないが、この薬剤師からは強烈な”女”を感じる。

薬品を扱い、病人と接する仕事にも関わらず派手な化粧にキツい香水を付けているのも気にくわない。

もちろん、仕事中にスマホを弄るのも気にくわないが、緩いババ・ヴァンガのバイト中は菫も似たようなものなので、そこはお互い様だ。



薬を待つ間、菫はソファーに腰掛け、目に止まったブックハンガーの週刊誌を手に取る。


見出しを開く。


”謎のtritterアカウント!広がる予言の真相に迫る!”


”お騒がせ米新大統領 「ゴルフをすれば相手の人柄が分かる」 首脳会談に暗雲”



”D.F.E浅見ハル Gt.雨宮優との関係は?謎のネットミュージシャンRYOCHIGEとのコラボ説も?”


”北のプリンス 現在の逃亡場所は?総理、拉致被害者の帰国へ向け連携”



菫「へー。リョチゲとハルくんコラボするんだぁ」



薬剤師「お薬お待ちの杜萌 菫様~、お待たせいたしました~」


菫は週刊誌を戻し、薬を受け取る。


薬剤師「319円のお釣りになります。…あの、実はわたし、RYOCHIGEと知り合いなんですよ?」


釣り銭を手渡したままの流れで、小声で話しかけられた。


菫「え!本当ですか?」


薬剤師「今はもう切れちゃってますケドぉ」


菫「は、はあ…」


薬剤師「お大事に~!さて、上がり上がり♪」


処方箋薬局を変えようか思案する菫だった。




<メディカルプラザ前 夜>


菫「疲れたぁ」


メディカルプラザを出ると、外はすっかり暗くなっていた。


菫は心療内科に通い始めて、もう10年以上になる。

待合室の人々を長い間見てきた菫は思う。


精神医学において、病気とそうでないものの差はどこにあるのか。


大抵の人は、普通に生活が送れなくなり、困った末に心療内科の扉を叩く。

すると、何かしらの病名が付き、薬が処方され、病有りの判定を受ける。


しかし、ドアをノックしなかった人々は、健常という枠に括られる。

少なくとも、データ上では。


菫「でも、あの人達とか…」


菫から見た実現会の白装束は、所謂”普通”とは言い難い。

叩いた扉の場所が違っていただけなのだ。


それでもやはり、国や自治体、はたまたネット上では、菫や待合室でうな垂れる大勢の病有りの判定をされた人々が、レッテルを貼られる。

実現会に限らず、人に迷惑をかけたり、暴言を吐いたり、そんな人はたくさんいる。


自分を省みて、病院の診察を受けにくる人達の方がよっぽど優しいし、健常だと菫は思う。



菫「普通、かあ。…憧れてるのかなぁ」


普通になりたい。

そんな気持ちを抱く事もあった。

特に子供の頃は、その気持ちに支配されていた。


しかし、世の中が言う所の”普通”だったとしたら、今のような絵を描く事は出来なかったのは確かだ。


菫にとって、その病は自分に宿った才能であると同時に、社会生活を阻害する諸刃の剣だった。


菫は、不安定な体調と過去の歴史的事件による心的外傷後ストレス障害から、ママに斡旋されたババ・ヴァンガで緩く働く事しか出来ていなかった。

それでも、アトリエに篭り絵を描く事しか出来なかった事を思えば、現状に其れ程悲観的にならずに済んでいる。


未来を考えれば、不安で眠れない夜が続く。

だから菫は、明るく強くなりたかった。


菫「刃こぼれ誇れよ、落ちこぼれ」


他人にどう評価されても自分が納得しなければ意味がない。

どんなに落ちぶれたって、この世界の主人公は自分なのだから。


夜の冷え込みは、冬の到来を否応なく感じさせる。


菫は「by RYOCHIGE…なんつって」


RYOCHIGEというネットミュージシャンは、そんな菫のやり場の無い気持ちの代弁者だった。


菫「冬の空気は灰色だ…あっ」


菫は咄嗟に『処方箋』の看板に身を隠す。


菫「対馬亮太…!…と、なんかかわいい子」



胸の大きなその女性と自分の胸を対比し、落ち込む。


菫「貧乳…NSKの小林アナ…あんたの姉貴よりは、あるもん。健介のばか、半額シスコーン野郎」


尾行をする事も考えたが、前のような武闘派が出てこないとも限らない。

亮太自体の戦闘力も侮れない、そして数的不利。


何より今は能面がない。

能面が無ければ、鍵和田に気づかれてしまう。

そうなれば、彼は止めるに決まっていた。



菫「今日はお疲れサン○マスター」


胸をさすりながら、亮太に警戒しつつ裏道から菫は帰路に着いた。

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