消失

 「誰よ、レリーラって?」


 僕はリビングのソファーに深く腰をかけているカノンに、レリーラがいなくなっていることを告げた。しかし、カノンは不機嫌そうに顔をしかめたまま、そう言い放った。僕は信じられない面持ちのまま、勝手に部屋に入った罰として引っぱたかれた頬を軽く擦った。痛い。どうやら夢幻の中にいるわけではないらしい。


 「レリーラだぞ、レリーラ。お前の先輩で……」


 あの腹黒幼女レリーラ。いつからいなくなっているのかまるで思い出せないが、完全にいなくなっている。僕は、その衝撃振りを必死に訴えるが、暖簾に腕押し。カノンは、その存在を最初から知らないような口ぶりだった。


 「だから誰?そんな人、知らないわよ。そんなことよりも、どうして私の部屋に入ったか、聞かせて欲しいわ」


 それこそどうでもいい、と思いながらも、僕はその言葉をぐっと飲み込んだ。ここはカノンと口喧嘩をしている場合ではない。


 「私としても聞き捨てならないことですわね。誰ですか、その女性。また変なアニメキャラにでも入れ込んでいるんですか?」


 秋穂が詰問しながらも、麦茶を持ってきてくれた。僕はそれを奪うように受け取ると、一気に飲み干した。これで少しはクールダウンできたはずだ。


 「秋穂も記憶にないのか、レリーラのこと?」


 「存じませんわ。私、アニメ見ませんから」


 秋穂はレリーラのことを完全にアニメキャラだと思っているらしい。秋穂では話になるまい。


 「カノン、ちょっと来い!」


 僕はカノンの手を取り立たせた。


 「な、何よ……」


 「ちょっと、兄さん」


 制止しようとする秋穂の脇を抜け、カノンを彼女の部屋と連れて行った。


 「だからどうして私の部屋に入ってくるのよ!」


 「カノン!レリーラだ。覚えているか?お前の魔法学校の先輩だぞ。ここで一緒に寝ていたんだぞ!」


 僕はカノンがいた世界でのレリーラの設定を口にした。しかし、カノンの表情が変わることはなかった。


 「はぁ?そんな先輩、いなかったわよ。私、基本的に一人で戦ってきたんだから」


 駄目だ……。完全にレリーラの存在が消えている。僕の混乱に拍車がかかった。


 その時、ふと思い出した。昨日、久しぶりに読んだ『魔法少女マジカルカノン』。その中にもレリーラの名前がなかったような気が……。


 僕はカノンの部屋を飛び出そうとした。しかし、外で待ち構えていた秋穂に捕まり、強烈なビンタを喰らった。一発KO。僕の体が廊下に沈んだ。




 冷たい廊下の上で目を覚ました僕は、這うようにして自分の部屋に辿り着いた。


 「くそっ、秋穂の奴め。だんだんビンタが強烈になってきたな。顔の骨格が変わるかと思ったぞ」


 未だにじんじんと痛みが走る。しかし、今は痛みを堪えてパソコンの電源を入れる。『魔法少女マジカルカノン』の中身を確認しないと。


 僕はテキストソフトの検索機能を使い『レリーラ』という単語を検索してみた。やはりと言うべきか、一件もヒットしなかった。


 「やはりな、完全にレリーラの存在が消えている……」


 これは一体どういうことなのだろうか?世界を滅茶苦茶にしている奴の仕業なのだろうか。だが、存在を消滅させるというのはこれまでにない手口だ。


 「それに、どうして僕の書いた小説そのものからも消えている。奴は電子データも書き換えられるのか?」


 つまり、レリーラの存在を一切排除しようとしているのだ。実際、創作者である僕自身も完全に忘れていたのだから。


 「消えたのはレリーラだけか?」


 不意に思い付いたので、こちらの世界に実体化している他のメンバーの名前を検索してみた。結果、消えていたのはリンドであった。


 「レリーラとリンドは設定的には対になっている。この二人が消えているのは意図的なのか……」


 考えてみたところで分かるはずもなかった。なにしろ僕には世界をかき乱している犯人の検討すらついていないのだから。


 「こういう時に限ってあの説明おばさんは出てこないんだな……」


 いつもざっくりとした思わせぶりなことしか言わないイルシーだが、それでもこの状況では貴重な情報源である。なのに肝心な時に現れないなんて、本当に使えない奴だ。


 「カノンまでがレリーラの存在を忘れているとなると、手がかりを他に求めるしかないじゃないか……」


 苦渋の決断ではあるが、奴らにも聞いてみるしかあるまい。しかし、奴らがどこに住んでいるか知らないし、仮に接触できたとしても話が通じて有益な情報が引き出せるとも思えなかった。


 「前途多難だな……。ま、なるようにしかならんか……」


 この時の僕は事態を楽観していた。いつものように、ドタバタのうちに万事解決がするものだと信じて疑っていなかった。




 翌日、翌々日となっても事態に変化はなかった。相変わらずレリーラがいない世界というもの続いており、それを知っているのは僕だけという状況だった。そうなってくると、間違っているのが自分ではないかと思えてくるほどであった。


 『いや、それはない。僕の記憶の中に確実にレリーラの記憶がある』


 学校からの帰路、マルヤスに立ち寄った僕は、改めて確信した。そう、例えばこの精肉コーナーでしきりに高級和牛を強請っていたレリーラ。鮮魚売り場でタコとイカに怯えていたレリーラ。その像が鮮明に脳裏にこびり付いている。夢幻、妄想であるはずがなかった。


 「あら?久しぶりね、一人なの?」


 僕が鮮魚コーナーで今晩のおかずを物色していると、背後から声をかけられた。振り向くとスーツ姿のサリィが立っていた。そういえばどこぞの会社のOLになりすましているんだっけ?


 「サ、サリィ……。何をしているんだ、こんなところで」


 「買い物に決まっているじゃない。そんなに怯えないでよ、悪の手先がじゃないんだから」


 悪の手先だろう。魔王軍の幹部のくせに。待てよ……。これはいい機会だ。


 「おい、サリィ。話がある」


 「いいわよ。ここからちょっと行ったところにいいホテルがあるから、そこで……」


 「やっぱりいいです」


 「冗談よ、冗談」


 と言いながらも、いやらしい笑いを浮かべるサリィ。ゆ、油断ならん奴だ。


 身の危険はあるが、こいつにも一応聞いておいたほうがいいかもしれない。僕達は、それぞれの買い物を済まし、マルヤス内にある小さなフードコートに移動した。


 「色気ないわね。女性を誘うんだったら、もっとムードあるところにしなさいよ。たとえばこの先のホテルとか……」


 またまた油断ならないことを言いながら、アイスコーヒーをストローでかき混ぜるサリィ。


 「学生服の男とスーツ姿の女性がそんなところ行っていたら捕まるわ」


 「ん?そんなところって何処かな?お姉さんに聞こえるように言ってごらん」


 こいつ……、ああ言えばこう言う。話が先に進まないじゃないか。


 「ええい!うるさいな、僕は聞きたいことがあるだけだ。サリィ、リンド・バオルムを知っているか?」


 「誰それ?何々?いい男を紹介してくれるの?」


 やっぱりリンドの存在が欠落している。レリーラのことを聞いてみても、やはり知らないと言った。


 「どうしたのよ、そんなことを聞いて」


 事情を話したのは山々だが、リンドやレリーラの存在が欠落している以上、カノン同様話は通じないだろう。


 「そういえば、あの魔王は元気か?」


 「禿?元気よ、今日も散々海藤に絞られていたわ」


 元気……なのか?とりあえず存在はしているらしい。微妙な心境だが、とりあえず安堵した。


 「話はそれだけだ。邪魔したな」


 と言って僕が席を立とうとした時だった。目の前にいたサリィの姿が一瞬ぼやけて映った。いや、ぼやけたというよりも、サリィを象っていたあらゆる色彩が薄まったと表現した方が的確かもしれなかった。


 「おい!サリィ!」


 「な、何よ……」


 改めて見るとサリィは普通の状態であった。僕が突如発した大声に驚いているのか、目を丸くしていた。


 「いや、何でもない」


 気のせいだったのだろうか。僕は心のどこかに焦燥とも不安とも区別がつかない妙な感情を抱きながらも、サリィと別れた。




 僕は帰路を急いだ。やはりどうにも胸騒ぎがする。


 さっきのフードコートでのこと。何度思い返してみても、サリィの存在が消えたように僕には見えた。


 レリーラが消えてしまったことで、意識しすぎなのかもしれないが、とにかく今の僕は、カノンの安否を確認をしないと気が済まなかった。


 「カノン!」


 レリーラが消えたことを認識したあの日と同じであった。僕は玄関で靴を脱ぎ散らかし、どたどたと廊下を走る。キッチンから何事か言っている秋穂のことも無視し、僕はカノンの部屋の扉を開けた。


 「カノン……」


 そこはカノンの部屋だったはずだ。勝手に入って、怒られたはずのカノンの部屋。


 しかし、今僕が見ているのは、懐かしい両親の部屋だった。あるはずのカノンの私服、私物が何一つとしてなかった。


 「どうしたんですか?兄さん。いきなり父さんと母さんに部屋に入って……」


 追い打ちをかけるように秋穂の言葉が僕に覆いかぶさってきた。僕はその場で両膝を突き、呆然と両親の部屋を眺めていた。

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