ときめき♪ハイスクールラバー

新学期の朝

 『こんな所に呼び出してどうしたの?新田君』


 『御崎……話があるんだ……』


 『何?』


 『実は、俺、お前のことが好きなんだ……。付き合ってくれ』


 『……ごめんなさい。今のまま、仲のいいお友達でいましょう。じゃあね』


 『御崎ぃ!』




 「ふんがぁぁぁ!」


 僕は、怒りのあまりにコントローラーを投げてしまいそうになった。何度目の告白だと思っているんだ!いくら大好きな野矢ちゃんヴォイスでも、何十回とふられる台詞を聞いていると、流石に心が折れてくるぞ。


 「く、くそぉぉぉ。まだ僕のことを名前で呼んでくれないから、薄々駄目だと思っていたけど……。どんだけガード固いんだ、御崎綾音は!」


 僕はゲームをリセットした。画面には学校の校舎を背景にした『ときめき♪ハイスクールラバー』というポップなタイトルが浮んできた。僕が野矢ちゃんヴォイス目的で買った恋愛シミュレーションゲームだ。


 八月の下旬にこのゲームを密林様で購入して以来、僕はこのゲームを昼夜惜しまずプレイし、数々のヒロインを落としてきた。水泳部の水川鈴子(CV澤衣みゆき)、同級生ながら世話焼きお姉さんタイプの大橋小春(CV佐藤りあ)、ツンデレ下級生潟元ひなた(CV釘山恵理)などなど……。目を閉じれば、彼女達の目くるめく愛の世界が走馬灯のように蘇ってくる。


 そして、最後に残ったメインヒロイン御崎綾音(CV野矢麻衣子)を落とそうとしたのだが、これが超絶難易度を誇り、数十回プレイしてもなお、落とせずにいたのだ。


 「何が駄目なんだ……。回収していないイベントがあるのか?それともまだ好感度が足りない?まさかステーラス不足?」


 あらゆる可能性を考えてみても、思い当たる節がなかった。


 「あああああ!僕の野矢ちゃんへの愛が揺らぐ!」


 「うるさいわね!」


 僕が絶叫していると、カノンがドアを蹴破らんばかりの勢いで部屋に乱入してきた。


 「明日から新学期でしょう!さっさと寝なさいよ!」


 寝巻きの姿のカノンは、枕片手に僕を血走った目で睥睨する。


 「大丈夫だ。明日は始業式だけだから」


 「だったら、明日帰ってきてからやればいいでしょう!今、何時だと思っているの!まったく!アキホがいなくなった途端に堕落するんだから」


 安心しろ。秋穂がいた時から僕は堕落していた。堕落度が激しくなっただけだ。


 僕は一応時計を確認する。なんだ、まだ二時半じゃないか。


 「もう午前二時半よ!黙って静かにしているのなら私の知ったことじゃないけど、人様に迷惑かけるっていうのなら容赦しないわ」


 「カノン!容赦しないって、こういう時に使う言葉じゃないだろう!それに骨を鳴らすな!」


 「もう強制的に眠らすしかないようね」


 僕は身の危険を感じた。眠らすって、永眠のことじゃないよね?


 「待て!もう寝る!今すぐ寝る!」


 「お休み!シュンスケ」


 大きく開かれたカノンの手の平を見たが最後、僕は安らかな眠りに落ちた。




 『兄さん、起きてください』


 まどろんだ意識の中、僕のことを呼ぶ声がした。


 僕のことを『兄さん』と呼ぶのは妹の秋穂だけで、その秋穂は今はアメリカにいる。従ってこの声は秋穂のものじゃない。


 ああ、これは『ときめき♪ハイスクールラバー』に出てくる主人公の義理の妹優季(CV井上亜里沙)の台詞だ。きっとゲームをやりすぎて夢の中に出てきたんだ。義理の妹優季が主人公を起こすシーンは、頻繁に出てくるからな。


 『兄さん、起きないとマウントポジションで百回ビンタか、濃厚なキッスをしますよ。どっちか選んでください』


 おやおや?こんな台詞はゲームにはなかったぞ。優季は大人しく優しい性格で、兄に対して従順なキャラクターだ。決してビンタなんかしないし、おふざけでキッスなんて言わないはずだ。攻略キャラにもなっていないはずだ。


 『仕方のない兄さんですね。そこまで私とキッスがしたいんですか……。では……』


 「って!なんで秋穂がここにいるんだ!」


 殺気を感じた僕は、目を大きく見開いた。眼前には目を閉じ、唇を突き出している秋穂の顔があった。僕はとりあえず彼女の両頬に手をやり、これ以上の進行を食い止めた。


 「どうして起きるんですか?兄さん」


 「起こしに来たのはそっちだろ!じゃなくて、どうして秋穂が日本にいるんだ!お前、アメリカに帰ったはずだろう」


 間違いなく秋穂はアメリカに帰った。ちゃんと空港まで見送ったんだから、間違うはずがなかった。


 「ええ、確かにアメリカには戻りました。編入に手続きのために」


 「編入?」


 「ええ。私、この秋から兄さんと同じ高校に通うことになりました。その諸々の手続きや引っ越しの準備があってアメリカに戻っただけです」


 どうです?似合います?とくるっとターンしてみせる秋穂。た、確かにうちの制服を着ている。


 「そんなこと聞いていないぞ!」


 「ええ、言っていません。実は帰国する前から決めていたんですが、兄さんを驚かせようと黙っていました。ちなみに昨日すでに帰国していたんですが、兄さんを驚かせようと美緒さんの家に泊めてもらっていたんです」


 「秋穂……。そこまでして兄の寿命を縮めたいのか……」


 お兄さんはもう降参です。あなたにはとても勝てそうにもありません。


 「ちょっと!シュンスケ!玄関に荷物が一杯あるんだけど、あれは何?」


 「兄ちゃん!冷蔵庫にタコとイカが満載になっとるやんけ!あれは何や!いじめか!」


 朝っぱらから血相を変えて怒鳴り込んできたカノンとレリーラ。しかし、秋穂の姿を見た瞬間、得心したのか諦めにも似た表情を浮かべた。




 「ああああっ!こうして兄さんと肩を並べて登校できるなんて、なんて幸せなんでしょう。幸せすぎて溶けてしまいそうです」


 「ふふ。秋穂ちゃんは大げさだな」


 久しぶりに歩く学校への道。僕の数歩前を歩いているのは、嬉しそうな秋穂と楽しそうな美緒であった。秋穂、残念ながら今お前が肩を並べて歩いているのは兄ではなく美緒だぞ。


 「どうしてこうなるのよ、シュンスケ……」


 早くもローテンションなカノンが、僕の隣で暗い顔をしている。カノンは秋穂が苦手らしいから、テンションが下がるのは分かるが、その責任を僕に求められても正直困るぞ。


 「僕が知りたい。美緒だけでも充分大変なのに、毎朝秋穂の相手をしないといけないなんて、体力も精神ももたないぞ」


 「はぁ……。家で留守番している先輩が羨ましい」


 そういえばあの幼女、僕達が出掛ける時、妙に嬉しそうだったな。きっと今頃一人で羽を伸ばしていることだろう。今日は午前中で帰るがな。


 「まったくだ。お前と登校している方がまだ気が楽だ」


 「……そ、そう」


 消えそうなぐらい声に力ないカノン。そこまでテンション下げるなよ。僕だって同じ気分だ。


 だが、それまで学校に着くまでの辛抱だ。秋穂は違う学年だし、美緒は違うクラスだ。それに今日は始業式だから授業もない。年恵先生の数十秒ホームルームが終われば、飛んで帰って『ときめき♪ハイスクールラバー』の続きをやるんだ。しかし……。


 「あ~あ、今日から学校かよ。テンション下がるよな。まだまだやりかけのゲームがあるのによ」


 全校集会の後、教室で不健康そうな年恵先生が生徒達を前にして同意を求めた。生徒達は何も応ぜず、ただ呆れたと言わんばかりの視線を担任教師に投げかけるだけだった。


 「いいよな、お前らは。このホームルームが終われば帰れるんだからな。それに引き換え、私は職員会議やら何やら色々あるんだ。まったく、いいよな、お前らが羨ましいよ。だからせめてこのホームルームを長引かせることでお前らを焦らして、憂さを晴らすんだ」


 いつもすぐ終わるホームルームなのに、今日の年恵先生は妙に愚痴っぽく話も長かった。動々研の合宿終わり、満ち足りてつやつやしていた年恵先生がまるで別人のように老け込み、精神も荒んでいた。


 僕を筆頭に、ほとんどのクラスメイトが焦れたことだろう。普段どおりの年恵先生ならとっくにホームルームが終わって解散となっている頃合だ。中には明らかに苛々して頭をかきむしっている生徒もいた。


 しかし、結局は年恵先生にしては長かったというだけで、他のクラスに比べれば充分早く終わった。夏休みが終わるまで連日徹夜していたせいか、体調を崩した年恵先生が『ちょっとトイレで吐いてくる』と言い残し、教室を去ったからだ。生徒相手に憂さを晴らすどころか、さらなる恥をかく羽目になってしまった。ま、年恵先生らしいけど。


 「よし!すべてが終わった!帰るぞ!」


 僕は鞄を抱え、教室を飛び出した。


 「ちょっと!シュンスケ!部活動するのよ!」


 そういえば夏姉から例のコスプレ写真集の売上についての報告があるというメールが来ていたような気もするが、今日は無視だ。それにあの写真集についてもう関わりたくない。


 「カノン!僕は欠席だ!」


 なおもカノンが何事か喚いていたが、僕はそれを振り払うようにして颯爽と駆け出した。


 怒られない程度に廊下を走り、階段を下りようとすると、下から上がってきた生徒とぶつかりそうになった。寸でのところで停止できたが、相手は驚いたようできゃっと小さな悲鳴をあげた。


 「ああ、ごめんなさい。って紗枝ちゃんか」


 相手は紗枝ちゃんだった。鞄を手にしていたから、彼女もホームルーム終わりなのだろう。


 「あ、先輩……。帰っちゃうんですか?」


 「おう!ちょっとした野暮用でな」


 「野暮用って……。どうせ『ときめき♪ハイスクールラバー』をやりたいだけですよね?」


 うっ!流石に紗枝ちゃん。分かっていらっしゃる。


 「御崎綾音だけまだクリアしていないんだ。早くクリアしてあげないと……」


 「御崎綾音って、確か声は野矢さんですよね」


 「そうだよ。分かっているなら、ここを通してくれ、紗枝ちゃん」


 「止めるつもりは毛頭ありませんけど、先輩ってああいう女の子が好みなんですか?」


 「う~ん、キャラ的には微妙だな。幼馴染という設定はやや食傷気味だし、個人的には好きじゃない。それにパラメーター的にも完璧すぎる。野矢ちゃんが声を当ててなければ、まぁ食いついていないだろうね」


 「そうですか……」


 紗枝ちゃんがすっと僕の行く手をあけてくれた。


 「じゃあ、そういうことだから。一応カノンには言っておいたけど、紗枝ちゃんからもよろしく言っておいて」


 「はぁ、ご検討をお祈りします」


 ありがとう、紗枝ちゃん。僕は物分りのいい後輩に感謝しつつ、学校を飛び出した。


 自慢の脚力を活かし、通常下校時間の半分近くのタイムで帰宅した僕は、靴を脱ぎ捨て、階段を駆け上った。部屋に入ると鞄を投げ出し、着替えることもなくゲーム機のスイッチを入れた。


 「今日こそは御崎綾音を攻略してやる……」


 もはや僕は完全に意地になっていた。

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