その前夜~逃れられない恐怖編~
「いよいよ今週だね。諸君、準備はいいかね?」
同人誌即売会を週末に控えたある日の放課後。印刷所からあがってきた同人誌の山が部室の机に並んでいる。夏姉がそのうちの一冊を手に取りながら、高らかに宣言した。
「準備って……。本があがってきたのに、まだ何かするんですか?」
「原稿を落とした人間が偉そうなことを言うでないよ。いろいろあるでしょうよ。ポップ作りとか、つり銭の用意とか。って、なんか疲れてないかね、俊助」
そりゃ疲れますよ。レリーラが現れたり、リンドの魔獣が襲ってきたりと、立て続けで色々なことが起こりすぎて心身ともに疲労の極致にあった。特に魔獣が襲ってきた時には、あのへんてこなものを学校の連中に見られたのではないかと、ひやひやしたものであった。幸い、僕の天才的な気転のおかげで事なきを得たが、昼飯の途中で飛び出したこといついては、美緒から激しい追及を受けたが。
それに、紗枝ちゃんの要らぬおっせかいで、あの自称アイドルを励ます羽目になってしまったし……。慣れないことはするもんじゃないな。
「いかんね。当日までには体力回復しておきなさいよ。原稿落としたんだから、俊助にはきりきりと売り子してもらうからね」
原稿落としたってうるさいな。分かっていますよ、悪かったと思っていますよ。売り子でも何でもしますよ。
「ちなみにこれが今回のパンフだ。ステージイベントに興味があるなら、チャックしておき給え。僕は、午前十時からの『スクールホイップ』の声優トークショーには参加するからよろしく」
同人誌の山の向こうからパンフレットを持った悟さんの手が伸びる。今回の即売会は、近隣では最大規模の同人誌即売会である。企業ブースもあり、ステージでのイベントも行われる。
僕もステージイベントのタイムスケジュールに目を通す。事前の調査では僕がそそられるようなイベントはなかったはずだが……。
「うん?」
目を引いた項目があった。『シークレット企画』と銘打たれたその行には、『あの大人気オタクアイドル登場!まさかのソロデビュー!!』と書かれていた。これって赤松千尋のことだろうか?だとすれば、このイベントは『メイドと執事のあれやこれ』二期のイベントということになる。
「あ、僕はこの『シークレット企画』に行きたいです」
「却下」
慈悲なく僕のささやかな願いを却下する夏姉。ひ、ひどい。
「当たり前だ。君は原稿を落としたんだよ」
「横暴ですわ!お姉さま!」
「お姉さま?気持ち悪い言い方しないでよ。あー!『マリアンヌ様が見ていたかもしれない』の台詞か。言うなら、もっと可愛く言ってよ……」
などと妙な指摘をしながらも、夏姉が僕のことをまじまじと見つめる。ま、まずい。夏姉が良からぬことを考えている目をしている。
「仕方ないな。特別に許してあげよう」
「ほ、本当?」
「但し、条件がある」
にまっと笑う夏姉。これが確信した。この人、良からぬことを考え付いたのだ。
「あの~、その条件とやらを先に聞いてから、イベントに参加するかどうか考えてもいいですか?」
「残念だね。もう決まった。う~ん、どうしようなか……。俊助なら、メイド服も似合うし、『マリアンヌ様が見ていたかもしれない』が好きなら昔ながらのセーラー服も……」
夏姉?僕に何をさせようとしているの?
今の今までカノンに同人誌即売会の何たるかを教えていた紗枝ちゃんが、先輩が女装!まさかの男の娘!と鼻血をたらしながら叫び出した。
「サエはどうしてしまったの?」
カノンが不思議そうに小首をかしげた。ダンゴムシとの一戦のとき、僕がいらぬ質問をしたがために一時思考不能になっていたが、今ではすっかりいつものカノンに戻っていた。こいつが実に単純で助かった。
「気にするな、カノン。僕は絶対男の娘なんて嫌だ。夏姉、せめて他のコスプレにしてくれ」
「俊助、君はどれだけマニアックなんだね?自分からミニスカナースかバニーガールがいいって言うなんて……。まったく選択肢を増やさないでよ」
「夏姉?僕、そんなこと一言も言ってないよね?」
ミニスカナース!まさかのお注射攻めですか?などと言う紗枝ちゃんを小突きながら、僕は夏姉に反論を試みた。しかし、馬の耳に念仏で、男なのに脛毛がないなんて羨ましい、と僕の足をまじまじと見てくる夏姉。夏姉?僕は長ズボンを穿いているんですが?
「俊助君。残念だが、君に反論の余地はない。原稿を落としたんだ、諦めたまえ」
「そうやで、兄ちゃん。諦めが悪い男は、嫌われんで」
悟さんまで……。僕は完全に孤立無援……。うん?どこからか不快な声がする。僕は、同人誌の山の向こう側に隠れている悟さんの姿を見るために立ち上がった。目が思わず釘付けになってしまった。悟さんの横に、よ、幼女、レリーラが座っていた。
「レ、レリーラ!どうしてここにいる!」
「暇やからまた遊びにきてしもうた。兄ちゃんどこかいなって捜していたら、そしたらこの兄ちゃんが知っとる言うから案内してもらったんじゃ。しかも、アイスまで買ってくれたんじゃ。シュンスケと違って優しい兄ちゃんや」
カップアイスを貪りながらニコニコ笑うレリーラ。その笑顔を愛おしげに見つめながらレリーラの頭を撫でる悟さん。さ、悟さん?悟さんってロリじゃないですよね?
「いい幼女だな……。『キキョウ大戦』のアイシリスのコスプレが似合うかも……」
夏姉の興味がレリーラに移った。今のうちに部室を脱出しよう。しかし、一足遅く、夏姉に襟首を掴まれてしまった。
「俊助。君に逃げ場なんてないからね」
は、はい。僕は力なく返事した。もう子猫のように震えるしかなかった。
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