戦いの果てにある夢

アイドルの憂鬱

 「ワン、ツー、ワン、ツー。そこでターン!千尋、遅い!」


 ダンスコーチの厳しい叱責が飛び、曲が止まる。あーあ、やってしまった。これで三回目だ。しかも、同じところだ。


 「どうしたの、千尋?あなたらしくないわよ」


 ダンスコーチが怖い顔をしながら近寄ってくる。狭いダンススタジオだ。わざわざこっちに来なくてもいいのに。


 「すみません」


 「体調が悪いのなら言って頂戴。体調管理もプロの仕事なんだかね」


 「は、はい」


 大きくため息を吐いてから、休憩、と宣言するダンスコーチ。はーい、とダンス練習をしていたメンバー達が壁際に散らばる。その一瞬、ニヤニヤしているユッコと目が合った。そんなに千尋が怒られたのが嬉しいのか。


 「ふうぅ」


 壁にもたれ、腰を下ろした。体はだるくない。それでも上手くいかないのは、きっと精神的にやられているのだろう。


 原因は分かっている。自分が作ってきたオタクキャラを見事に看破された挙句、アイドルである自分を知らないと言われた。その張本人は新田俊助。奴は、千尋のアイドルとしての矜持を傷つけた。


 以来、自分は人気アイドルではないのだろうか?今までファンだといってきた連中は、自分のことをあざとい似非オタクだと嘲笑していたのだろうか?、と密かに不安に思い続けている。その不安が千尋の体を鈍重にしていた。


 「こんなことで悩むなんて……」


 自分をオタクキャラにした秋月プロデューサーを恨みたかった。もうこれ以上、オタクキャラを演じることはできそうもなかった。


 「でも、アイドルやめたくないな……」


 休憩終わり、とダンスコーチが叫ぶ。気持ちを引き締めないと。千尋は、パシッと頬を自分で叩いた。


 しかし、その後も千尋は二回ミスをし、さらにダンスコーチに叱責されたのであった。


 「千尋。ちょっと!」


 ダンスレッスンが終わり、メンバーが三々五々解散していく中、マネージャーが千尋を呼び止めた。


 「何ですか?」


 自分でも驚くぐらい暗い声だった。


 「喜びなさい!あなたのソロデビューが決まったわよ!」


 ええっ、と驚きの声をあげたのは、周囲のメンバー達だった。口々におめでとう、よかったわね、と声をかけてくれる。ユッコは、忌々しげに睨んでいた。きっと舌打ちをしているに違いない。


 「ソロデビュー?私が?」


 俄かに信じられなかった。ずっとグループでやってきて、人気ナンバーワンのユッコですら、まだソロデビューしていないのに……。沈んでいた心が一気に急浮上していった。


 「そうよ!しかも、今秋放送されるアニメとのタイアップで、今度行われるアニメのイベントで発表会があるのよ!」


 アニメとのタイアップ?イベント?


 もう、マネージャーが何を言っているのか聞き取れなかった。急浮上した心が再沈下していき、足元が崩れ去る音を聞いたような気がした。




 「あーあ。どうしようかな……」


 翌日、学校の昼休み。紗枝ちゃんにお昼を誘われたが、それを断り、後者の屋上に来ていた。見晴らしがよく、心が落ち着く場所だった。


 昨日告げられた、突然のソロデビューの話。『ふゅーちゃーしすたーず』の中で最初のソロデビューだ。それ自体は嬉しいし、誇らしくも思う。


 しかし、悩みの種はその中身だ。アニメのタイアップ曲。アニメイベントでの発表会。よりにもよってオタクキャラについて自信をなくし、懊悩としている時に、そんな話が来るなんて……。


 「断っちゃおうかな……」


 だが、断ればアイドルとしてのチッヒーは全てを失う。そんなこと分かりきったことだ。


 千尋は、制服の胸ポケットから小さく折り畳まれた紙片を取り出した。マネージャーから貰った資料だ。こんなものを後生大事に持ち歩いているのだから、やはりソロデビューへの執着心は強いのだろう。


 「曲名『サクラオトメジェネレーション』。タイアップアニメ『メイドと執事のあれやこれ第二期(仮)』ね……」


 千尋は資料を読み進める。人気アニメの続編らしいが、当然千尋は知らない。またこのアニメを勉強しないといけないんだろうな……。


 「本当、どうしよう……」


 脱力するようにため息を吐く。すると突如突風が吹き、持っていた資料が飛ばされた。


 「わ、わわわわ!」


 ま、まずい。こんなもの他人に見られたら完全にアウトだ。


 幸いにも資料は外に向かって飛ばず、屋上の入口付近に落ちた。しかし、ちょうど入口のドアが開き、屋上に出てきた人に拾われてしまった。


 「ご、ごめんなさい!見ないでください!」


 慌てて駆け寄る千尋であったが、拾った人物を見て、凍り付いてしまった。

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