その思いは~顕子~

 「じゃあね、また明日」


 漆原商店の三叉路でクラスメイト達と別れた千草顕子は、ひとりバス停へ向かう坂道を下っていった。


 背後から別れたばかりのクラスメイト達の会話が微かに聞こえている。きっとさっきの話の続きなのだろう。振り返って遠ざかる彼女達の後姿を見ていると、もうちょっとお話していたいと思ったが仕方ない。帰る方向が逆だし、これからピアノのレッスンもある。のんびりとはしていられなかった。


 『まぁ、明日もありますから』


 また明日、お話すればいい。そう思い直し、顕子は歩き出した。


 それにしても久しぶりの学校はとても楽しかった。昨日までの疲労もあってか、いささか疲れてしまったが、それでも学校に行ってよかったと思えた。久しぶりに友達と他愛もない話で盛り上がれたし、噂の留学生とも会えた。


 自分のクラスに留学生が来ると知ったのは、まだパリにいた時であった。クラスメイトのひとりが、Eメールで知らせてくれたのだ。


 明王院高校は留学生の受け入れに積極的なので、格別珍しいことではない。しかし、自分のクラスに在籍するとなると別であった。しかもかなりの美人だという。異国の地で学校の情報に飢えていた顕子は俄然興味を持ち、早く会いたいと思っていたのだ。


 実際に会ってみると、確かに美人であった。クラスメイトの誰かが顕子に似ていると言っていたがそんなことはない。カノンの方が数十倍綺麗で美人だ。


 顕子がカノンに興味を持ったのは、容姿のことだけではない。彼女が新田俊助と関わりがあるからであった。


 「新田君か……」


 顕子が新田俊助を意識し始めたのは、一年生一学期の中間考査が終わった頃だった。付属の中学校から明王院にいる顕子は、自分で言うのも恥ずかしいのだが成績優秀で、高校の入学式では付属中学校の首席として新入生を代表して挨拶をしたほどであった。当然、一学期の中間考査では学年一位を取るはずであった。


 しかし、一位を取ったのは外部進学の俊助であった。その時は、はっきり言ってショックだった。付属中学校首席のプライドを傷つけられた、というわけではない。先生や付属中学校からのクラスメイト達から一位を取って当然という期待をかけられていたので、その期待を裏切ってしまったことがショックだったのだ。


 一方の俊助は、学年一位を取ったことで急速に人目を引くことになった。しかも、クラスメイトの女の子が言うのは、見た目も悪くないらしく、すっかり女子の間で人気者になっていた。別のクラスだった顕子も、クラスメイト達に紛れて俊助を教室の外から覗き見にいったことがあった。あまり男子の容姿に興味のなかった顕子であったが、確かに悪くないだろう。かっこいいというよりも、童顔でかわいらしい感じだ。女子の間で人気が出るのも無理もないと思った。


 しかし、俊助の人気は長く続かなかった。彼がアニメオタクだったからだ。俊助本人がそのことをまるで隠すつもりがなかったから、その事実が急速に広まり、彼の人気は完全にランキング外になってしまったのだ。


 「頭よくて見た目よくても、アニオタはねぇ」


 ついこの間まで、お付き合いしたい、とか話していた女子達が次々と掌を返していった。それが顕子には理解できなかった。


 『アニメを見るのってそんなに悪いことなのかしら……?』


 アニメオタクという言葉にマイナスのイメージがあるのは顕子も重々承知している。しかし、どうしうてマイナスイメージになるのかはまったく分からなかった。


 寧ろ顕子は、夢中になれるものがあることを羨ましく思った。アニメとはそれほど魅力的なのだろうか。


 ためしに一度だけ、本屋でアニメ情報誌を買ってみたことがあった。可愛い女の子の絵や、ロボットの絵。それだけではなく声優さんのグラビア、アニメ監督のインタビューなどもあって、とても興味を引いた。ますますアニメがマイナスイメージで見られるのか理解できなくなった。


 ちなみに、そのアニメ情報誌は、部屋の本棚に入れていたのに、知らないうちになくなっていた。きっと母が黙って捨てたのだろう。母はそういう人なのだ。


 アニメへの興味はそれで失せてしまったが、新田俊助への興味は尽きなかった。ひとつのことに夢中になり、それが世間的にマイナスイメージに見られていても、開けっぴろげにしているのが羨ましかった。どうすればそんな風になれるのか知りたくもあった。


 なんとか俊助と接点を持ってお話をしてみたい。顕子は、いつしかそう考えるようになっていた。


 だが、これが意外に困難であった。まずクラスが違うので、顔を合わす機会が日常的にない。だからといって、顕子の方から積極的に話しかけるというのも恥ずかしく、行動に移すことができなかった。


 そうこうしているうちに、一学期の終業式になっていた。


 終業式が終わり、ぞろぞろと生徒の群が体育館から出て行く。その群れの中に俊助を見つけた。手の届きそうな距離であった。これほど俊助との距離が近づいたことはなかった。


 話しかけるには今しかない。決意を固めた顕子であったが、肝心の俊助が人波に飲まれ、どんどん顕子から離れていく。


 あっと思った瞬間、俊助のズボンポケットから何かが落ちた。すかさずそれを拾った顕子が顔を上げた時には、もう俊助の姿はなかった。


 顕子が拾ったのは生徒手帳だった。悪いと思いつつ、中を確認してみると、アニメのキャラクターの写真が挟まれていた。ぺらぺらと捲っていると新田俊助の名前があったから間違いないだろう。


 俊助のクラスの誰かに渡そうと思ったが、これはいい機会なのかもしれない。俊助に話かける絶好の口実を得たのだ。


 顕子は、ホームルーム終わりに狙いを定めた。幸い、顕子のクラスのほうが先に終わったので、廊下に出て様子を伺っていると、まず青白い顔をした担任の名和年恵先生が出てきた。


 続いて俊助が出てきた。


 「あ、あの……」


 開口一番、声が小さかったのか、俊助は気が付かず、早足でずいずいと歩いていく。

 このままでは完全に離される。これを逃せば、一生お話をする機会がなくなるかもしれない。


 顕子は小走りに駆けた。俊助が階段のところで曲がって、顕子の視界から消えた。急がないと。


 顕子も俊助と同じと曲がった。俊助の姿が踊り場にあった。


 「新田君!」


 渾身の力を入れて叫んだ。俊助が立ち止まってくれた。


 「こ、これ!」


 顕子は階段を下り、俊助に生徒手帳を差し出した。


 瞬間、俊助の顔が真っ赤になった。そして、差し出された生徒手帳を奪い取った。

 顕子は、そんな俊助の様子を羞恥によるものだと判断した。きっと中に挟んでいたアニメ写真を見られたのではないかと思ったのだろう。


 「ご、ごめんなさい。中見ちゃいました。誰のものだったか、確認しないといけなかったし……」


 中身がどうあれ、確かに手帳の中を見られるのはあまり快くないだろう。顕子だって面白くない。だから素直に謝ることにした。


 「う、うん。ありがとうございます」


 俊助は小さく頷いて立ち去ろうとした。


 「あ、あの写真の子。可愛かったですね」


 思わずそんな言葉が出てしまった。馬鹿なことを言ってしまった、と即座に後悔した。捉えようによっては、アニメ好きの俊助を馬鹿にしていると思われても仕方がなかった。


 しかし、当の俊助は、気分を害した様子もなく、何度もぺこぺこと頭を下げながら階段を下りていった。これが新田俊助とのファーストコンタクトであった。


 偶然というべきか、クラスメイトの楠木美緒が俊助と幼馴染で、その縁で以後もちょくちょくと俊助と話す機会に恵まれた。


 いや、厳密に言えば、俊助と美緒が言い合っているのを傍から眺めているというのが正確なところかもしれない。


 俊助は、美緒と話すときは非情に砕けた、ざっくばらんな話し方をするのに、相手が顕子に代わると急に馬鹿丁寧な口調に変化するのであった。


 顕子にはそれが何気に面白くなかった。生まれて初めてできた男の子の友達かもしれないのに。



 「今日も敬語……」


 久々に俊助とお喋りをしたが、やはりどこか余所余所しく敬語であった。


 「嫌われているのかな?私……」


 やはり、こっそりと生徒手帳の中を覗いたことを怒っていたのだろうか。それとも他に何か原因があるのだろうか。


 顕子はふと歩みを止めた。こんなことで悩むなんて初めてだ、と気が付いたのだ。


 「何でしょう?何で、わざわざそんなことを思ったりするんでしょう?」


 人間関係で悩むなんて、今までなかったことだ。ましてや相手が男の子だなんて。


 「は、早く帰りましょう!」


 顕子は首を振った。こんなとろこで突っ立って、悩んでいる場合じゃない。ピアノのレッスンに遅れてしまう。


 再び歩き出した顕子。あの時、俊助を追った時のように小走りで駆ける。


 バス停までもう少し。アパートの角を曲がるとバス通りだ。


 気が逸って注意力散漫になっていた顕子は、アパートの角で人とぶつかりそうになった。


 「あ、お嬢さん、すみません」


 「いえ、こちらこそ」


 相手は真面目そうなサラリーマン風の男であった。顕子は道を譲ろうとしたのだが。


 「……って!お前は!」


 サラリーマンは、顕子の顔を見るなり、驚いた様子で腰を抜かしていた。

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