同居生活にロマンがない

 洗物を終えた僕は、カノンを二階へ連れて行った。


 僕は、自分の部屋の隣にある秋穂の部屋のドアを開けた。秋穂からは絶対に入るなと言われていたが、致し方ない。カノンに寝場所として使わせてもらおう。


 「僕の妹の部屋だ。今はいないから好きに使え」


 ちなみに秋穂の部屋は、海外へ行く前の状態にしてある。いずれ帰ってくる予定だし、衣服などの日用品も現地調達した方が早いと両親が判断したため、秋穂の持ち物のほとんどが残されたままになっている。これらもありがたく使わせてもらうことにする。


 「これが寝巻きだ。他の衣服も後で適当に物色して着られるのを選んでおけ」


 「あ、ありがとう。でも、いいの?」


 「いいも悪いもない。まさか、僕の部屋で寝起きするわけいかんだろ?」


 「あ、当たり前よ。まさか、変なこと考えているわけじゃないでしょうね!!」


 さっと身構えるカノン。僕も慌ててカノンの打撃リーチ圏内から離脱する。


 「勘弁してくれ。僕だって四六時中、お前にばっかり構っていられないんだ」


 いい加減にうんざりしてきた。折角の午前中授業終了で、執筆活動をするか、ゆっくりと『メイドと執事のあれやこれ』を観賞しようと思っていたのに、カノンのせいで計画台無しである。


 「そ、そうね。わ、私だってゆっくりとしたいわよ」


 「だったら、もう寝ろ。風呂に入りたければ、沸かしておく。じゃあな」


 僕はさっさと部屋を出た。一度一階に下り、お風呂に湯を溜めてから自分の部屋に戻った。


 「はぁぁ・・・・・・」


 僕はベッドを見るなり、大の字になって倒れこんだ。とんだ一日だった。身も心も疲れすぎた。


 「これから、どうするかな・・・・・・」


 まぁ、イルシーが言ったとおり、世界の歪みを元に戻す必要はあるのだろう。そうしなければ、僕の平穏な日々は戻ってこない。


 しかし、カノンと同居生活を続けると思うと、気が重くなった。この世界の人間ではない以上、生活面でのカノンは無能に近い。炊事洗濯を手伝わせるのはほぼ絶望的だ。いや、あの性格だ。やれと言っても、拳を振り上げて断固拒否するだろう。


 それに単に家事の手間が増えるだけではない。これで食費は二倍。その他の生活費も増えることは間違いなかった。節約してDVDを買い漁ることもできなくなる。


 「なんだよ、この展開。所詮、ハーレム設定ってアニメの中だけだよな」


 突然やってきた美少女。器量よしで、料理がうまい。そしてお風呂でエッチなむふふハプニング。ハーレムアニメの定番だが、そんなこと実際起こるはずもないのだ。


 「まぁ、奴を見た瞬間、期待なんかしなかったがな」


 僕はむくっと起き上がった。くよくよしても仕方がない。


 一瞬、パソコンの電源を入れようとしたが、やめた。今は『魔法少女マジカルカノン』を執筆する気になれなかった。『メイドと執事のあれやこ』の続きを見ようと、棚からDVDを引っ張り出した。


 「第四話か・・・・・・」


 第四話は、メイドに化けている雪平なぎさがちょっとした手違いで屋敷から閉め出され、仕方なく主人公の家で一泊するというストーリーだ。


 主人公のために不慣れな料理を作るなぎさ。お風呂でばったり鉢合わせして裸を見られてしまうなぎさ。ひとりで寝るのが怖いといって主人公の部屋に来るなぎさ。ネットでは神回とされていて、僕も非常に好きな話なのだが、今はどうにも見る気が起こらなかった。


 「何だか、現実の非情さを突きつけられるよな」


 僕は『メイドと執事のあれやこれ』のDVDを棚に戻した。代わってオタク仲間から借りている『高次元戦士バルダム』を見ることにした。


 『高次元戦士バルダム』は、二十年年以上も前のアニメなので、絵のクオリティーは年代物だが、重厚なストーリーと魅力あふれるキャラクターは今現在見ても色あせることがなかった。名作中の名作である。


 ベッドに寝転がりながら、しばらく『高次元戦士バルダム』を見ていると、トントントンと階段を下りていく足音がした。カノンが風呂にでも行ったのだろう。


 「そういうば、あいつ。シャワーの使い方とか分かるのか?」


 教えに行った方がいいだろうか。いや、教えてに行ったところで、全裸のカノンと遭遇。きゃあ何しているのよエッチ、とか言われて鉄拳制裁を喰らうんだろうな。


 「やめよやめよ。湯船にたまっている湯を使ってくれるだろ」


 僕が入る時に湯船のお湯が減っているかもしれないが、鉄拳制裁を食らうぐらいなら湯を足す手間のほうが遥かにマシだ。それに『高次元バルダム』もちょうどいいところだ。


 と思っていると、今度は階段を上がってくる音が聞こえた。


 「ね、ねえ」


 ドアの向うからカノンの弱々しい声がした。開けて入ってこないのは遠慮しているからだろうか。


 「お湯はどこから汲んでくるの?」


 やっぱり来たか。おそらくカノンは浴室に入り、体を洗うお湯に困ったのだろう。ということは、ドアの向うのカノンは全裸か、バスタオルを巻いている状態と思われる。どこまでお約束な展開が用意されているんだ。


 「浴槽に溜まっているお湯を使え。僕が入る時は自分で足す」


 「そ、そう。悪いわね」


 カノンが遠ざかっていく足音がした。ドアを開け、カノンが全裸であるかどうか確認したい欲望を抑えつつ、僕は『高次元戦士バルダム』の視聴に戻った。


 ちょうど二話分を見終わった辺りで、再び階段を上ってくる足音がした。先に入ったわよ、と素っ気無い言葉をかけただけで、カノンは隣に部屋に入っていった。


 「礼のひとつも言えんのか、あいつは」


 居候の分際で一番風呂に入りながら、礼のひとつも言わないカノン。僕のカノンなら、三つ指突いて丁寧に感謝の言葉を述べていただろう。まぁ、仕方がない。あれは僕のカノンではないのだから。


 「僕も風呂に入るか」


 テレビを消し、パジャマと替えの下着を片手に一階に下りた。浴室に入ってみると、案の定湯船のお湯は半分程度だった。


 「残りを明日の洗濯物で使うか」


 実際に湯船を見て、入る気力を失った僕は、今日はシャワーで済ますことにした。


 手短にシャワーを浴びて二階に戻った僕は、秋穂の部屋―今はカノンの部屋の前に立ってそっと聞き耳を立てた。別にやましい気持ちなどなく、単にカノンが大人しく就寝しているかどうか確かめたかったのだ。


 部屋からは物音ひとつ聞こえない。ゆっくりしたいとか言っていたので、もう寝てしまったのだろう。


 カノンの神経の図太さには感心するしかなかった。


 自分の部屋に戻った僕は、寝る前にパソコンの電源を入れ、メールをチェックした。


 すでに美緒が秋穂にカノンのことを通報していれば、間違いなく秋穂から何かしらのメールが来ているはずだ。しかし、秋穂からメールは来ていなかった。


 僕の『創界の言霊』で世界が変わってしまった。それが秋穂のいるアメリカでも通用しているかどうか知りたかったのだが、秋穂からのメールがない以上、確認のしようがなかった。こちらからカノンのことをメールして薮蛇になると困るので、美緒が秋穂に通報するのを待つより他ないだろう。


 「とりあえず、僕も寝るか」


 パソコンをシャットダウンした瞬間、どっと疲れが噴出してきた。




 ドンドンドン。


 何かを激しく叩く音がして、僕はゆっくりと覚醒した。眠りは深いほうで、一度寝てしまうと目覚ましが鳴るまで梃子でも起きない性分なのだが、あまりのうるささに目覚めてしまった。


 「何だよ……」


 寝ぼけ眼の僕は、すぐには事態を把握できなかった。しばらくぼっとしてその音を聞いているうちに、部屋のドアを叩く音であると気がついた。


 「どうした?カノン」


 「開けてもいい?」


 僕が答える間もなく、勝手にドアを開けるカノン。秋穂のパジャマに着替えていたカノンが、枕を抱えて立っていた。このシチュエーションから導き出される解答は、ひとつしかない。


 「まさか、一人が怖くて眠れないとか言うんじゃないだろうな」


 「えっ!?」


 あからさまに驚くカノン。どうも図星らしい。


 「本当に分かりやすいな、お前」


 あうあうと不明瞭なことを口走るカノン。彼女なりにいろいろと言い訳を考えてここまで来たようだが、先を越され慌てふためいていた。


 「だ、だって!!全然知らない世界にたった独りで来て、不安を感じないわけがないじゃない!そのぐらい、頭働かせないさいよ、馬鹿!」


 逆ギレに等しい悪態をつかれてたが、不思議と怒りはこみ上げてこなかった。カノンにとっては、ひとりだけ意味不明な世界に掘り込まれたのだ。その心情は察してやるべきなのだろう。


 「なら、こっちの部屋に来いよ。ベッドから布団を引き剥がして持って来い」


 カノンの表情が一瞬明るくなったが、


 「へ、変なことしないでよ」


 相変わらず自意識過剰の警戒を示す。


 「するか。僕だって疲れているんだ。さっさと寝かしてくれ」


 「う、うん」


 布団を取りに戻ったカノンを見送りながら、僕は嘆息した。やっぱりハーレム設定は、架空の世界だけで充分だ。

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