第283話「皆」

 凍てついた空気が吹き込んできて、ひかりは震えた。ドームが崩れ去り、徐々に赤くなってきた陽射しが目を貫く。薄く目を開けてみると、ハルの立つ場所に大きな影が伸びていた。

「クソガキが」

「なっ……!?」

 天逆海が殴りかかる形で静止し、ハルはその厳つい拳を片手で受け止めていた。一つにまとめた黒髪が獅子の尾のように揺れる。

「アンタの選んだ未来は私が護る」

「よくもあたしを騙してくれたな、クソ神職どもがッ! 絶対に死屍子は貰ってくぞ」

「前回のようにはならないさ」

 天逆海の拳を掴む手の甲に青く筋が走り、身体から霧が流れ出す。同時にメキメキと音がして拳を潰した。歪んだ表情を見せた天逆海にハルの赤眼が見開かれる。

「恨みや悲しみを取り込んで、私はどこまででも大きくなる」

「その力はあたしのもんだ!」

 へこんだ皮膚が瞬く間に治っていき、鋭い牙を剥き出しにして飛びかかる。それを素早く避けながらハルは一言声をあげた。

「後は頼んだ」

「ええ。あなた達がそれでいいのならね」

 ひかりと揃いの装束を身にまとったあかりと光明、そして狩衣姿の晴明が背後に立っていた。三人はひかりをさらうようにして天逆海から離れていく。抗うひかりの腕を光明が強く引いた。

「さっさと祠んとこに行くぞ、アホ」

「待って!」

「待たねえ。お前が決めた未来だろうが、腹くくれっつーの」

 ビル群のほとんどが崩れ去った空はどこまでも見渡せる。冬空には似合わないほど赤い景色に、ところどころ黒い霧が群がっていた。その中に何があるのかも分からないまま走り続ける。

「長い間奪ってしまってごめんなさいね。アマテラスの記憶と、これを」

「お母さん」

 手渡されたのは勾玉の装飾具だった。これでもう、全ての条件が揃ってしまったのだ。


 ──皆さんを、護りたいです。


 ひかりはどうしても人間以外にはなれなかった。神々や妖怪達のような大それた夢物語を描くことも出来ず、結局は大多数に流されるだけだ。見殺しにするにはあまりに人間の数が多過ぎる。その程度の恋だったのかもしれない。

「ごめ、なさい……っ」

「おお? 気が変わったんならわしらは止めへんよ。ひかりちゃんの好きにしや」

 晴明の言葉に首を振る。答えを叫んだ時、うっすらと表情を和らげたハルは何を思っていたのだろうか。もしひかりが逆の選択をしたとして、彼女もまた別の顔を見せたのか。

 ひた走った先に見えてきた祠には、終わりない闇がこちらを覗いている。

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