第277話「乙女」

「あんさん!」

 鋭い悲鳴をあげて、おとめが物陰から飛び出してきた。術で瓦礫を跳ね飛ばして社地を抱き起こすと、彼の喉はかすれた音を鳴らしている。

「すぐに呪符を施すさかい、しっかりしてや」

「だ、い……」

 特別に力を練った癒しのお札を包帯のように首へ巻きつけた。そうするといくらか息が楽になったのか、深呼吸を何度か繰り返した。社地は懐から塩と鈴を取り出す。

「あんさん、もしかして喋れへんの? あかんえそないな状態で」

 社地はすっと茨木の方へ顔を上げている。それが一瞬おとめの方へと向けられ、すぐに戻っていった。それほどまでこの戦いに賭けているのだろう。しかし、おとめは社地の着物の袖をそっと引いた。

「嫌よ、行かんといて」

 首のお札に描いた紋様が血に滲んで消えていく。これ以上動けば、お札の効果は血で洗い流されてしまう。社地は構わず塩を巻き、鈴を構えた。逆手に柄を握り、鈴は地面へと向けられる。

「む、貴様生きていたのか」

「社地さん」

 奎介が駆け寄ってくる。それを片手で制した社地はおとめの手を取って立ち上がらせる。今にも泣きそうな顔の妻の指先をギュッと握り、マチネの倒れている方へと導いた。

「あの子を助けたらええの……?」

「マチネは、あの怪我じゃ」

「ううん。あてが得意とするのは癒しの力、あの子は助けてみせるわ。あんさんもちゃんと治すさかい」

 社地家の人間はゾッとするほど体温が低かった。それにゆっくりと熱を与えるように両手で包み込み、海底の主人に願う。

「生きててや……」

 りんと鈴の音がして、優しく頭を抱かれた。黒い着物の肩口にボロボロと涙が落ちていく。おとめは小さく声をあげ、頬を濡らしながら首筋のお札を指先でなぞった。再びくっきりと浮かんだ紋様を見て少し落ち着いたのか、社地の腕の中から離れていく。

「ほな、行くわ」

「自分が出来る限り、社地さんを助けます」

 奎介の拳が握り締められる。二人のそばを通り抜けておとめはマチネのもとへと走っていく。

「生きなあかんよ! あん人のために」

 虚ろな瞳が微かに涙を浮かべたようだった。お札を重ねて貼りながら、二人が茨木の前に立ち塞がる背中を見つめた。

「スサノオ様……。助けとおくれやす……」

 乙女のように滑らかな頬から涙が一粒、地面に落ちて溶けていった。

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