第204話「父」

 許可を貰って部屋を出る。見覚えのある長い廊下は確か、四角を形作るように続いていたはずだ。一つひとつの部屋を覗きながら歩くと、昔の思い出が食い違っていることを実感した。あかりとの思い出だと思っていたほとんどは本来、晴明がしてくれたことだったのだ。

『そうしょぼくれんなや。わしが強過ぎるだけやしな、しゃあないことやで』

『戦い方を教えてどうするのよ。式神にしようというなら、看過できないけれど』

 たまに帰ってくるあかりは苦い顔をしていた。よく考えてみれば人になってくれと頼んできたあかりが戦法を学ばせること自体、矛盾している。

『ええか、ハルちゃん。あいつはどうしてもアンタに人として生きてほしい思うてる。でも妖怪の体質じゃ、どうしたって生きていけん』

 式神を後ろに従えた晴明はまだ言葉も拙かったハルの前に腰を下ろし、真正面から向かい合った。今にも飛びかかろうとするのを他の妖怪が押さえている。

『人の心を教えるんがあかりの役目なら、わしは妖怪の生き方っちゅうもんを教えたる。せやから、餓死なんぞしたらあかんで』

 人間と妖怪。二つをそれぞれに受け継いで、今の自分がここに立っている。完全な人の心で生きていても、妖怪の生き方を突き進んでいても、きっとひかりと交わる日は来なかっただろう。あの日、光の森で彼女のことを「母さん」と呼び止めた日に。

 初めてこの世界に認知されたのだ。

「あっかーん! どこまで行く気やねんハルちゃん、待ちいやコラ」

「外に出たらダメなのか?」

 玄関の扉に手をかけた途端に晴明が飛んできて、ハルの手首を絡め取った。彼女の怪訝な表情を見てやれやれというように首を振る。

「怪我人は安静にせえや。そない動き回るんやったら痛み止めやらへんぞ」

「よく手合わせしてた庭に行きたいんだけど……どうしても、ダメか?」

「アンタいつの間に誑かしなんぞ覚えたんや。あかんッ、パパは悲しいで!」

「晴明さんは父さんというより、師匠だと思ってるから」

 あからさまに肩を落としてみせる彼を放っておいて、もう一度扉に手をかける。途端にひたいへお札が貼りついて身体が動かなくなった。

「なッ、何だ」

「あかりがご飯作ってくれとるから呼びに来たんやったわ! ほらほら、はよ行くでー」

 勝手に両足が踵を返して扉から遠ざかる。ハルは胸の奥でため息を漏らした。



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