第200話「天下り」

「帰ります、わたし」

「なッ……いけません! 夜長の時に現世にいてはすぐ餌食になりますよ。何のためにここへ招き入れたと」

「なら飛び降ります」

 ギョッとして明らかにうろたえている様子のアマテラスに、真剣な表情を向けた。障子の前に立ち塞がるのと向かい合って両目を見据える。

「わたし達は主従の関係じゃないんです、首輪と糸で繋がってはいますが。ハルを見捨てたくありません」

「しかし、居場所が分からないうちから下りるのは危険過ぎます。捜すまでの手間もあり、正直時間の無駄です。少し待ちなさい」

「アマテラス様」

「行くなと言うのではないのです。せめてあなたが行きやすいように……。弟達が素直に手を貸してくれるとは思いませんが」

 ここにいて、と言い残してアマテラスはフッと光に溶けていった。もどかしさに部屋の中を歩き回らずにはいられない。目じりが熱くなって、鼻の奥がツンとした。

「失礼ッ、ひかり様、お耳に入れたいことが」

「な、なんですか」

 イシコリドメが現れてこうべを垂れる。慌てて座り直したひかりへ何やら焦った様子で矢継ぎ早に話し始めた。

「祠が……とんと姿の見えなかった、死屍子封じの祠が現れました。天明の子よ、責務を全うしていただきたく思います」

「善処は、します」

「アマテラス様は何やら思いつきがあるご様子。代わりに私どもが道を開きましょう、妖怪の渓谷へ」

「分かりました」

 気配もなくひかりの横へ動いていたイシコリドメが手を取り、次の瞬間には天戸の前に来ていた。開かれた先には階段が続き、現世の風が吹いている。ウズメがひっそりとそばに立っていた。

「ご武運をお祈りしております、ひかり様」

「……はい」

 階段に足をかける。振り返らないように雲の中を駆け下りていった。長い長い、先の見えない道のりを着物の裾につまづきながら走った。

「お母さん。あなたが本当にハルを、死屍子を封じないでいてくれるなら──」

 憂いや期待を帯びた神々の目が頭をよぎる。それを振り払って雲を抜けた時、思わず叫んだ。

「階段が……!?」

 大地には程遠い空に身体が投げ出される。耳元を風の切る音がまとわりつき、袖が大きく膨らんだ。真下には渓谷が暗闇の口を開けている。現世は冬の夜明け頃か、高天原では感じなかった五感の全てが寒さに貫かれた。

 落ちていく。地面に近づいていく。ひかりの横顔に朝日が差し込んだ。

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