第139話「勇気と打開」
「は……ハル、が」
木片を熱して火を灯し、辺りの様子を知った時、マチネは悲鳴をあげることさえ忘れた。結界に血が飛び散って流れ落ちていく。隙間から見えたのは腹を貫かれ、ごぼりと血を吐くハルの姿だった。右足はすでにない。左腕を押し潰した天逆海はケタケタと笑った。
「よく啖呵切ったもんだねェ、弱え奴ほど無様に鳴く。ほれほれ、かき回してやるよ!」
首を掴まれ、腹に突き刺さった手が中で蠢く。ひゅう、ひゅうと息を吐く顔色は真っ白だった。混濁した赤い両眼が虚ろを見上げている。
「ハル……っ」
動こうにも身体がそれを嫌がる。ただ目の前の惨状を見ているので精いっぱいだった。ジャスは目を覚まさない。震える手の甲にちくりと痛みが走った。
「な、何──」
ナイフの切っ先がほんのわずかに血で染まっていた。ハルはこれ以上のものを今、受けているのだ。マチネはカタカタと全身を震わせながらそれを手に取り、息を吸い込む。
「おいこら、こっち向けーッ!」
「──ぎいッ!?」
投げたナイフはカーブを描くように旋回し、天逆海の頬を斬った。血がハルにかかる。天逆海のひたいに青筋がいくつも浮かんだ。
「この小娘がアァ!」
「ひッ……!」
腹から引き抜かれた手が結界に叩きつけられそうになった時、マチネの視界の真ん中で何かが一閃した。それは天逆海の首から耳裏にかけてを大きく裂き、血を噴き出させる。ハルがにぃッと笑っていた。
「アンタの血は……よく、馴染む……ッ」
ハルの喉がわずかに上下して、天逆海の血を取り込んでいく。出血が止まり、ミシミシと音を鳴らして身体中の怪我が勢いよく修復を始めた。
「てめえらあああああああッ、よくもあたしの顔に傷つけやがったなッ!」
「ゔぐッ、かッは!」
岩戸に叩きつけられた背中が大きく裂け、ハルが白目を剥いた。その時、ぴしり、と音がして轟音が響き出す。岩戸へ無数のヒビが入って崩れていく。空が白く色づき始めた。
「これでアマテラス様が出られ──きゃあ!?」
砕けたものが流れ落ちて、マチネとジャスの方へ向かってきた。ナイフの一本がぐらりと傾き、結界が解ける。迫る砕石流に目をつむった。
『神に楯突く無礼者よ、この世から去れ』
反響する声とともに一筋の光が穴から湧き、砕石を吹き飛ばす。天逆海が飛びのいたその背後へもう一つの声がした。
「申し訳あらへんけど、その子は貰うていくで」
男の声。マチネは聞き逃さなかった。目を追うと大きく振りかぶった袖がハルを覆い、天逆海の手から奪い去る。天逆海の反撃を軽くいなした男の影は、ふと現れた暗闇に飛び込み、消えた。
「マチネ、大丈夫ですか。……ジャス!」
「ちょっお前、大丈夫!?」
アマテラスがジャスの頬に手を当てる。すると顔をしかめて薄く目を開けた。ほっとした様子のアマテラスと翠の横で、マチネは呆然としていた。
「アマテラス様……」
「ハル、どこですか。どこかに埋もれてしまったのでしょうか」
首を振ったマチネは虚空を指した。
「連れ去られた」
再び明るさを取り戻した旧都に、ぬるい風が吹き下ろしてきた。
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