奥にあるもの

第131話「二人の事情」

 軍隊がリリィからの支援物資を下ろしている間、ハルとジャスは外を見回っていた。あちこちから妖怪の目が覗いている。

「どうして襲ってこないんだろうな」

「皆が皆、貴女のように銃弾をもろともしない強靭さを持っているわけではないのデスから。軍隊が恐ろしいのでショウね」

「別に痛くないわけじゃないんだけどな」

「ワタシが言っているのは、精神力デスよ。彼女のためにひたむきな姿勢、感服シマス」

「ああ……それも別に強くはない」

 相変わらずの曇天に手をかざし、黒々とした空を掴む。何度もそれを繰り返してぼそぼそと呟いた。

「妖樹の街にいた時はあんな甘い考えに付き合ってられないと思ったけど、すぐに気持ちは変わった。指先を怪我してまでパーカーを縫ってくれたり、私に助けを求めてきたり、仕草のひとつ一つに絆されたんだ。だから、私の心は強くないのさ」

「フフ、甘酸っぱいデスね」

「ジャスはないのか。誰かを好きになったこと」

「さァどうでショウ? ワタシは淫魔デスから、好意を寄せられたことはあっても、ネ」

「一つ気になってたんだが」

 ザッと足元の小石を転がして、ハルが立ち止まる。明るい空色のジャスの瞳へその顔が映った。

「どうして淫魔として養分を摂らないんだ?」

「……何故」

「アンタは常に私達のそばにいる。たまに電話だと抜けることはあっても、すぐ戻ってくる。明らかに時間が足りないはずだ。引かれると思って控えてるのか」

「確かにワタシはレディーを襲いマセン」

 ジャスが眉を下げ、目を細める。赤眼に入った自分を眺めるように顔を近づけたが、ハルは動かない。ふっくらとした唇は耳元へと流れた。

「九十年間、一度もネ」

「アンタ一体いくつなんだ」

「ナイショ」

 再び並んで歩き出すと雲の隙間から光が差し込んできた。ジャスがリリィの名を挙げ、実はと話を切り出した。

「できるだけ人心掌握術は使わない、精神世界には干渉しないと約束したのデス」

「じゃああの時のひかりのあれは……」

「電話した時ひどく叱られマシタよ。本当はワタシが潜ろうと思ったのデスが、妥協案で貴女を送らせるようにとネ」

「ああ、そういうこと」

 梅雨時期の珍しい晴れ間を二人で眺める。ジャスが天から差し込む光のことを、天使の梯子と呼ぶのだと教えてくれた。

「へえ、面白い考え方だな」

「この国ナラバ、高天原に繋がっているかもしれマセンよ。登ってみまショウか」

「いいな。今度行ってみよう、アマテラス様の許可が下りたら」

 二人はしばらくその場に立ち止まって天使の梯子を眺めた。言葉も交わさずそれが消えてしまうまで、それを両目に焼きつける。

「お互い事情はあるけど頑張ろうか」

「そうデスね。──ああ、それと」

 ワタシ、恋したことありマスよ。

 ハルはころころと笑った。

「どんな人かすごく興味あるなぁ。教えてくれよ」

「嫌デス、ナイショ」

 ジャスが人差し指を立てて口元に寄せ、ウインクをしてみせた。

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