第二幕・アマテラス

分かれた血

第101話「これからの日常」

「ゔぅ、うー……」

「だからさ! なんで天照大御神が書けるのに天明都が書けないの。小学生のぼくだって余裕なのに」

 ぱしんとノートと漢字ドリルを閉じて、ハルが頭を抱えた。アマテラスとジャスはシートに身体を埋めてぐったりとしている。

「子供は元気ですね……わたしも身体は十八ですが」

「八時間ドライブは流石に疲れマシタ……」

 後部座席で鉛筆を走らせ、ハルはずっと文字を頭に叩き込んでいた。小学校低学年程度の言葉はどうにか覚えきった。拙い字の羅列を書き並べて、ハルが呟く。

「母さんに教わってた時から漢字は苦手なんだよ。なあ、ひらがなだけは読めるからもういいか」

「ダメ。ほらもう一回、一ページから十ページまで書いてみて」

 大きなため息が聞こえてくる。アマテラスが窓を開けると、雨の匂いがむっと立ち込めた。季節は梅雨に入り連日の雨続き、加えて長時間の移動で身体が疲れていた。マチネが買い物から帰ってくるのを待ちながら息を吸い込む。

「ハルは学校とか行ってた? 子供の頃は人間として暮らしてたんでしょ」

「近くの小学校に名前はあったらしい。何かの病気で行けないことにされてたかな、たまに見舞いに来る子供がいた」

「じゃあずっと家?」

「うん。基本的には母さんと手合わせをしてたけど、たまに何日か家を空ける時があってさ。その時は……そんな、日は」

 ハルが首を傾げた。

「何してたんだっけな」

「えーっ、何それ。お前どっかで頭ぶつけてきたんじゃないの」

「多分そうだろうな、血流し過ぎて前後の記憶が飛んでる時もあるし。そういう翠はどうだったんだ」

「ぼくは普通だよ。あのね……」

 人外と妖怪の差さえあれ、子供にはそれぞれ通じる話もあるらしい。アマテラスには学校という概念がまずない。隣のジャスが興味深そうに耳を傾けているところから見て、彼も通ったことはないのだろう。漢字ドリルを手に取って眺める。変わらずはねはらいのしっかりとした癖のある文字だ。

「──そういえば、言葉遣いは誰に教わったんでしょう。あかりは他人を「アンタ」などとは呼ばないはずですが」

「あかりサンの想い人、などでショウか」

「考えたくはないですね……」

 よく見れば字の癖もあかりには似ていない。どうにも腑に落ちずアマテラスは眉をひそめた。そこへマチネの声が聞こえてきた。

「買ってきたよー。今日のお昼ご飯はハンバーガー」

 この雨の中で傘も差していないが、熱気と冷気を操ることで風を起こし雨粒を避けている。マチネと紙袋から逃げるような軌道は不思議な感覚になる。

「ハルちん、漢字練習はどーお? 試しに神田ヶ峰って書いてよー」

「もう勘弁してくれ……」

 アマテラス達とは別の意味で疲れた様子のハルを挟んで、翠とマチネが紙袋に手を入れる。窮屈そうなハルは再びため息をついた。

「これから毎日、漢字練習か」

 あまりに弱々しげな声に、ちゃっかりとポテトをつまんだジャスがフッと笑った。

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