第78話「繊月」
「そろそろね。私はもう戻らなくちゃいけないわ」
「どこに? 死屍子のところか」
風は強さを増していき、思わず顔を覆った。目の前で勾玉が揺れている。見え隠れする姿に目を細めて姿勢を低くした。あかりはどこか遠くを見つめて呟く。
「まだこの程度しかできないのね……」
「母さん。ひかりのところに帰ってきてよ、きっと死屍子封じなんてすぐ終わる。顔を出さなければ大丈夫だと思うしさ、なァ」
「いいえ、私は決めたもの。あの子達のもとにはもう行かない」
霧が晴れていく。向こうの山際には細い月がかかっていた。三日月ほどもない糸のような形に、ハルは少しの間見惚れる。あかりもそうやって空を仰ぎ、フッと笑った。
「ハルの目みたい」
「そうかな」
「あなたを寝かしつける時、同じ質問に答えながらいつもそう思ってたの。真っ黒な空に浮かぶ赤い月……これだけ聞くと、縁起が悪そうね」
このままたわいもない話を続けたいと思った。小さな一軒家の二人きりの寝室に帰ってきた気分になり、ハルはふと涙がこみ上げたのを抑える。知らないところで母の存在が随分と大きくなったものだと自身を戒めた。
「勾玉の装飾具、返してほしいわ」
「やだね」
「さっきはまんまとやられたけど、本気出したら恐いのよ。それは分かってるでしょう?」
「だったら、もうほとんど吹き飛んでるけど、街一つぶっ壊す親子喧嘩でも始めようか。強くなったんだ、成長の証を叩き込んでやるよ」
しばらく視線を交える。ついさっき決別したはずだったのに、穏やかに話をできることが不思議だった。今はテレビも車の排気音もしない、本当の静けさが二人を包んでいる。
「あの霧と一緒に現れたってことは、死屍子に会ったんだよな。どんな奴なんだ」
「素直でかわいい子」
「……ああ、そう」
「あなたも嫉妬することあるのね」
「それとは違うけど、複雑ではあるかな。ひかり放って他の奴にご執心とは……いや、私が言える立場じゃないか」
彼女を苦しめた一部は自分にある。深いため息が漏れ、つい愚痴をこぼしてしまった。
「まったく、アンタのおかげでひかりに嫌われちゃったよ。そもそもひかりを捨ててこんなのを拾ったせいで、私は叶わない恋をしたんだ」
「嫌だったかしら」
「ひかりは心底こんな人生嫌だと思ってるだろうな。私は……それなりに楽しいかな」
母さんがいてくれればもっと楽しいのに、とつけ加える。あかりの横顔を一瞥して、月に視線を戻す。
「いつか死屍子を封じて、アンタを連れ戻すから」
「……そう」
時間はカチカチと進んでいった。
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