第56話「行動開始」
「とりあえずこれでいいはず……だ、けど」
振り返ったハルはマチネを見てギョッとする。神を見た信者のような、何かに圧倒された顔つきでハルを眺めている。
「イケメン……」
「あぁそうか、そうだよな」
ポケットに入れていたいくつかの小瓶の一つが「変貌」だったのだ。すっかり忘れていたがジャスは淫魔である、顔がよくて当然だ。ジャスに化けたハルが一緒においでと囁くと、マチネは浮かれたようについてきた。なんとも心配だ。
「ようこそ、いらっしゃいませ。お泊まりのお客様でしょうか」
「フランネツィカです」
「少々お待ちくださいませ」
若いフロントクラークが何やら画面を操作していたが、奥にいたベテランそうなクラークがハッと顔色を変えこちらの様子を窺い、若いのをどかした。
「大変失礼致しました、ジャス様。スイートルームのダブルベッドでよろしいでしょうか」
「ん? ……あぁ、いや一人で構わないよ。この人を休ませたいだけなんだ」
「失礼致しました。お支払いはいつも通りでよろしいでしょうか」
「……頼む」
よく分からないが頷いておく。感心した視線を斜め下から感じるが、無視してクラークに曖昧な笑みを浮かべてみた。奥できゃあきゃあと騒ぐ声がした。
「じゃあここで待っててくれないか。教授の家まで行かなきゃいけない、アンタは外に出なければ自由にしてていいから」
「分かったわ」
とろんとした目で見返されて、苦笑いしか出てこない。ぽんと頭に手を添えて視線を同じ高さにして笑いかける。とても小柄なマチネは今さらに小さく見えた。
「今度本物に会わせるよ」
「ひゃい……」
おかしな返事をしつつ、ベルボーイに連れられエレベーターに乗っていった。ハルはやれやれとその様子を見送り、あれが人に恋い焦がれる時の顔なのかとふと考えつく。途端にもし自分がひかりの前であんな顔になっていたらと思うと、ぞっとするものがあった。
「まあそんなのは考えることじゃないな」
冷静であろうとしていたが、実際は脳みそが焼け焦げそうだった。誠の記憶が急に取り込まれたこともあるが、その前の慌てていたアマテラスが気になっていた。
「話せるか、アマテラス様」
返事はない。ハルは外に出てひと呼吸し、言葉を続けた。
「私はアンタを責めたり怒ったりしないよ。アンタにだって何か困ったことがあって、苦しんでたんだろうと思う。正体が分からないのは私と同じだったんだってさ、ちょっと安心したよ」
『……大馬鹿者』
「はは、ちゃんといたな。私ってそんなに馬鹿かな」
『普通の人間や妖怪はそんな素性の知れない神を信仰しません。そんなものは嘘だと言うものです』
「私はきっと普通じゃない妖怪なんだな、じゃあ」
アマテラスが何者なのかはもはや、ハルにとってどうでもいいことだった。確かに光の力は使えるし、高天原の話も嘘だとは思っていない。この人はただ天照大御神としてそこに据えられた誰か、なのだ。ハルは肉親を知らない者、アマテラスは自身を知らない者というだけだ。
「意見を聞かせてくれないか、アマテラス様」
『──なんでしょう』
涙が落ちるのを堪えているであろうこの人を心底好きだと思った。敬愛というべきだろうが、ハルにはその語彙がなかった。ただ護りたい人が増えたと感じていた。
「私は結局、まともな情報を教授から貰えないままだったんだけど、これはマチネから引き出すとして。教授の家に行けばもっと極秘な情報があると思うか?」
『その可能性はあるでしょうね。しかし研究資料を自宅へ持ち帰るのですか、あまり好ましいとは思えませんが』
「本当の家は別の街にあるらしい。拠点として大学の近所にアパートを借りてて、そこはマチネと奎介以外に知ってる奴はもういない」
何故なら皆奎介に殺されたから──と、そこまでは言わずに口を閉ざす。アマテラスもどこからか一部始終は見ていたらしく、そうですかと言葉を返してくる。
『見つかるのも時間の問題では』
「だから今から行こうかと検討してるところなんだが、どうかな」
『行きなさい』
ハルはくすりとした。アマテラスはもう気を持ち直し始めているようだ。
「了解だ、ご主人様」
人目につかないよう、あくまで普通を装ってハルは歩き始めた。
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