第14話「自分なりの躾」

 ひかりが泣き止んだ頃、ハルはそっと腕を外して立ち上がった。窓の外を見るとすっかり夜になっていて、微かにガラスへ反射する自分の姿も恐ろしいものになっていた。

「ああそうだ。ひかりは飯食ってきた方がいいよ、昼間は歩きっぱなしで何も食べてなかったしな。私はこんな見た目だしここに籠ってる」

「分かりました」

「それと、ボタンはちゃんと閉めていった方がいい」

 胸元を指差して笑うと、ひかりはバッと顔を赤くしてボタンを留め、カーディガンを羽織って足早に出ていった。同時にずるずると窓辺へ倒れ込んだハルは深くため息をついた。

「馬鹿か私は、あっぶない……」

 ひかりに手を出せば首輪がどうなるか分からないのだ。いや、ハルが思念していたのはそのことよりむしろ、二律背反な自分の気持ちだった。ひかりの受けるはずだった母の愛情を奪った懺悔の気持ちと、生娘の血肉を貪りたい底知れない食欲に揺れている。今は泣いているひかりを見て押し留められたが、次はそうできるだろうか。

「チィッ、久々だからできるかな……」

 あかりに習った方法だ。人間ならば身体の中に心地よい温かさが満ちるが、妖怪には痛みをもたらすまじないである。引き出しの中から手鏡を持ち出して床に置き、複雑に指を組んだ両手をかざす。

「天照大御神の御力おおんちから賜へ」

 祝詞を唱えながら指の組み方を変えた途端、手鏡が閃光を発して手の甲へ突き刺さるような痛みが走る。それは血管を流れるようにして全身へ広がり、中から押し出されるような激痛になった。

「ゔあッ、いッあぁ……!」

 まるで血が沸騰したようだ。呼吸が乱れて空気を吸えない。前はこんな威力ではなかったはずだ。意識が飛ぶ。視界が消える。前後も分からなくなる。

「ぎぃ……ッ」

 ぐりんと両目が上を向いて、意識を手放そうとした瞬間、首元に痛みが集まってすうっと消えていった。消えかけた視界が蘇り、ホテルの天井が映る。後ろへ倒れ込んだらしい。

「何だ……?」

『まさか太陽の力を取り込む方法を知っていたとは驚きです。さらにそれを自らやるとは、あなたは自虐が好きなんですか』

「アマテラス様」

 呆れた様子のアマテラスの声だけが空間に響いている。身体を起こすと手の甲のそれぞれに穴が開いていて、血がとめどなく溢れていた。それも少しずつ癒えていく。

『首輪に力を集めてかき消しました。お仕置きとして用意していたものを先にやられては意味がないですね』

「喰いたくない人を襲いたくなった時の呪いだって、母さんが言ってたんだ。昔はこんなに強い力じゃなかったのに……アンタ何かやったのか」

『成長して力が増せば、その分術の威力も増して当然です。先ほどの強さから見て、あなたは相当強い力を持っているようですが』

「さあな。自分の力の限界なんて考えたことないし」

 元通りの両手に戻るのを見届けて、ハルはぱしんと頬を叩いた。

「躾終わり、ちょっと寝るか」

 布団に倒れ込むとひかりの匂いがした。

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