彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら 〜あるタピオカの悩み

倉海葉音

彼氏にタピオカしか愛せないと言われたら 〜あるタピオカの悩み


 彼氏に振られた。


 蒸し暑い7月の東京、下北沢。

 若者の街は今日も人が多くて、狭い路地のどこにでも人がいる。


 あてもなく歩き続ける。

 握りしめたスマホには、さっき、彼氏からの決定的なLINEが来ていた。



<ごめん、別れたい>



 アジアンな雰囲気の古着店から女性が出てくる。店内の陳列物と彼女が今着ている服のどこに差があるのか分からない。着回しというかコピペだ。


 ダメ。こんなときは周囲にやたらイラついてしまう。うだるような気温のせいでもある。

 また無意識にスマホを見ようとして、舌打ちをする。ツーブロックの男が怪訝そうに横を通り過ぎていく。



<俺、タピオカしか愛せないんだ>



 気付けば、行列とかちあたってしまっていた。日陰でも殺人的に暑いこんな日中に、ざっと30人は並んでいる。

 タピオカスタンドだ。


 楽しそうなカップル。幸せそうに注文する女性。自撮りをする高校生女子二人。その手には、冷たいタピオカミルクティー。

 そして、店頭にはぬいぐるみ――。


 思わず、くらっと来そうになる。

 いや下北沢なんか歩いている自分も悪いけど。いやそもそもタピオカを理由に振ってくる彼氏もどうかと思うけど。


 ついつい、LINEの画面を開いてしまった。



<俺、反対なんだ>



 それは、私が決めることだ、と思った。

 

 でも、好きだから、上手く言えない。



<お前にはずっと、タピ岡タピ太郎として生きていてほしい>

 



●●●●●



 ボクの名前はタピ太郎

 いつもみんなでタッピタピー

 ボクの名前はタピ太郎

 キャッサバ生まれさタッピッピー



 タピ岡タピ太郎。

 大手カフェチェーンの公式キャラクター。黒い大きなタピオカに手と足だけの(ほぼ)一頭身で、くりっとした目と小さな赤い口がかわいい。


 今年の爆発的なタピオカ人気に乗じて人気上昇中。グッズ展開が進み、テーマソング「タピ太郎のうた」は小ヒット、メディアへの露出も徐々に増えている。


 

 その「中の人」が、私だ。


 

 最初はひょんなきっかけだった。1年前、友人づてにこのバイトの話が舞い込んできた。

 舞台慣れしてるなら大丈夫だよ、という軽い言葉に騙され、私はタピ太郎になった。



「中の人」は、やたらカメラを向けられたり、触られたりする。

 最初は恥ずかしさと恍惚でパニックになっていたけれど、慣れてくれば、ポーズを取ったり、サインをしてあげたり、となかなか楽しい。

 テレビに映されるのだって、満更でもない。



「じゃあ、なんでやめるの」


 バンド仲間のアユカが言った。


「だってさ、このバンドあるじゃん」


 ガストでドリンクバーとパフェを頼む。練習の前に相談があると至急連絡を入れたら、アユカは「じゃあタピっちゃう?」と言ってきて、一瞬で断った。冗談は休み休みにしてほしい。


「そもそも、理由が謎なんだけど。彼氏、タピオカのなんなの?」


「言わなかったっけ? タピ太郎の会社の人でさ」


 彼とは、イベント会場で出会った。

 イベント後の小さな打ち上げで、彼と私は意気投合した。同じバンドが好きで、同じ映画に感動し、同じ演劇を同じ日に観ていた。


 スマートな塩顔イケメン。170センチ後半。

 そして彼は、タピオカを日本に広めたい、だからぜひ協力してくれ、と言ってくれた。既に、彼にも仕事にも好感を持っていた私は、悪い気がしなかった。


 市場視察、という名目。そんなタピオカデートを数回重ねた後、私たちは付き合い始めた。


「……まあ、お似合いだったわけね」


「そう思ってた」


「まあ続けてられないよね。メジャーデビューだもん、いよいよ」


 私は頷いた。

 私たちが3年間続けてきたバンドは、今回、メジャーデビューが決まった。今日の練習も、明日のレコ発(レコード発売)イベントに向けた最後の合わせだ。


 彼だって、デビューを喜んでくれていた。だけど昨夜、タピ太郎を辞めるつもりだ、と言ってしまった。彼は顔を曇らせていた。でも、別れるだなんて。


「そろそろスタジオ行かないとね」


「待って、彼氏になんて言えばいいかわかんない」


 練習が始まる前に心を整理して、とにかく一言だけでも何か言わなくちゃ、と思っていた。


「こういうときにピッタリな日本語があるじゃん?」


 アイスコーヒーを飲み干して、アユカはにやりと笑った。


「私と仕事、どっちが大事なのよ!」



 ほんとそれ。

 言えないけど。



●●●●●



 スネアのチューニングは良好。 


 スピーカーから聞こえてくる、ベースも、キーボードも、ディストーションの効いたアユカのギターも、いい感じだ。


 今日はスティックが重い。シンバルが上手くハジケてくれない。でも、頑張る。

 

「そろそろ始める?」


「OK」


 私のフィルインから曲が始まる。アップテンポなFmajor。男のボーカルがアツく乗っかる。

 おかげで、ドラムも次第に熱が入っていく。

 

 意見を交わしながら4曲ほど練習して、休憩に入ると、アユカが「意外と平気そうじゃん」と水を飲みながら声をかけてきた。


「まあ、プライベートは仕事に持ち込まないので」


「彼氏へのあてつけ?」


「かもしれない」


 バンドの状態は好調だ。ちゃんとインディーズで結果を残した上でのデビューだから、先行きも心配はしていない。

 だからこそ、タピ太郎と兼任なんて甘い話は無理だ。タピオカだけに。



 ――彼は、私を好きだったのだろうか。

 ――単に、タピ太郎が好きだっただけ、なんだろうか。

 

 ……なんだ、この問い。自分で想像しながら泣きそう。くだらなさすぎて。



「ねえ、別に、タピ太郎が嫌いな訳じゃないんだよね」


「うん」


 当たり前だ。何せ一年間も「中の人」をやってきた。愛着すら湧いている。もしメジャーの話がなければ、もうしばらくタピ太郎としてやっていくつもりだった。


「じゃあさ」


 アユカの提案に、バンドメンバーはニヤつきながら頷いている。

 私の顔だけが、引きつっていく。




●●●●●



 レコ発のイベントは予定通り進んでいく。

 ライブの出来も上々だ。



 数曲演奏した後、私は舞台裏に引っ込む。メンバーの場をつなぐためのトークを聞きながら、泣きそうな気分になっていた。



 私は、タピ太郎の着ぐるみを大急ぎで身につけている。



 ――ほら、着ぐるみでドラム叩いてるゆるキャラとかいたじゃん。あんな感じ?



 何度も言うが、今日は、メジャーデビューの記念日だ。

 バカすぎる。さすがに、バカすぎる。



 でも、客席には、彼がいる。

 私は、「別れる前に、今度のライブ、絶対来て」とだけ連絡を入れていた。返事は怖くて見ていない。でもさっき、客席に姿を見かけた。


 

 ちゃんと、取るべきところに許可は全部取った。

 でも、どうなるかわからない。誰に何を言われるか、何を書かれるか。

 彼に、どう思われるか。



 でも私は、と、鏡を見ながら思った。

 このバンドのドラマーであり、タピ岡タピ太郎であり、

 あの人の、彼女なんだ。


 それらは、全部もう、私から切り離せないもの。



 ええい! 公私混同、異分野融合、上等!



 私はステージに出て、今までライブ会場では一度も聞いたことのない種類のざわつきを聞く。

 アユカが状況を一通り説明している。ざわつきはさらに大きくなっていく。「やっぱり女性だったのか」なんて声も聞こえる。



 私は、ずっと彼氏を見つめていた。

 呆然としつつも、彼はちゃんと、私だけを見ている。


 見とけよ。私の決意。 



「それでは、最後にお送りします。特別バージョンの『タピ太郎のうた』!」


 私のスティックがカウントを鳴らす。

 1,2,3,4。



 ボクの名前はタピ太郎

 いつもみんなでタッピタピー

 ボクの名前はタピ太郎

 キャッサバ生まれさタッピッピー





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