薔薇の庭園
つばめ
薔薇の庭園
人は、何も変われない。そのままでいるしかない。私はそう、思って生きてきた。変わらない道、変わらない家、変わらない学校、何事も変わらなくて、ずっと、そのままだと思ってここまで生きてきた。何事も平和で、ただ生きているだけで、それだけでいいと思っていた。でもそれは間違っていたの。人は、人だけが変わっていく。私の周りにいる人達は、自分のいいところを見つけて、それを武器に友達の輪を作って、その中で生きている。バンドを組んだり、部活に入ったり、自分の将来を語り合ったり。まるで砦のように。
私にはそれがない、私には武器がない。私には何もない。私は、生まれたその日からずっと、変わっていないから。変わることができないから。心と体が、歳相応に成長したとしても、私の本質は、何も変わっていない。私は、孤独なの。付き合いの長い幼馴染も、今はどこか遠くへ行ってしまいそうで、私のことなど、忘れ去られてしまいそうで、私は、私はどうしたらいいんだろう。
ふと、目に留まったものがあった。それは、私がいつも通り過ぎるだけの、小さな小さな花屋さん。小さい頃は、その軒先の薔薇を眺めては、この薔薇のようになりたいと思っていた。それをふと思い、今の私と比較する。私は、あの軒先に咲いていた、可憐な薔薇のようになれただろうか。いや、それとも、花を咲かせずに、枯れてしまったのだろうか。あるいはまだ・・・。どうしてだろう。気が付くと、薔薇を一つ買っていた。お小遣いも少ないのに、鉢植えに入った、まだ育っていない、ただ葉をつけただけの一本の薔薇を。店員さんのお話も全く頭に入れずに、何かに駆られるようにこの薔薇を買った。何色かもわからない、この薔薇を。
とりあえず、私はこの薔薇を、日当たりのいい窓際の、学習机に置いた。お母さんは、私が薔薇を買ってきたことにびっくりしていたけど、私の部屋の中でなら、育てることを許してくれた。でも、育て方がわからない。ノートパソコンを取り出して、薔薇の育て方を調べてみる。いつもはイラストとか、動画とかを見ることにしか使っていなかったパソコンが、こんなところで役に立つとは思わなかったけど・・・。薔薇の育て方を、やみくもに調べてみたけど、難しいことがいくつも並んでいた。肥料がどうとか、病気がどうとか、農薬がどうとか。私には難しかった。そんな難しい文字を見ていると、眠くなってしまうのは人間の本能かもしれない。私は、着ている厚手のパーカーに押しつぶされるように、机に突っ伏した。すぐにまどろみが私を襲い、意識が途絶えた。
目が覚めると、信じられない光景が広がっていた。私が突っ伏したはずの机が無くて、代わりに見るのは、薔薇の壁に薔薇のアーチ。奥には赤い屋根に白い壁の、大きな大きな、西洋風の館が建っていた。どうしてなの?私は、私の部屋にいたはずなのに。そこで寝ていたはずなのに。そうだ、これはきっと夢なんだろう。そうに違いない。でも、夢にしては、意識もはっきりしているし、風でかすれる葉の音や、漂う薔薇の香り、そしてその鮮やかな色は、夢であっても夢じゃないぐらいリアルな光景だ。少し、歩いてみよう。夢なら、きっとすぐに覚めるだろうし、夢じゃなかったら・・・ここがどこか確かめないといけない。館のほうに歩いていくと、薔薇の香りが一層強くなる。道の脇にも、薔薇、薔薇、薔薇。いろんな色の薔薇が、辺り一面に生えている。館の扉の前についた。インターフォンは・・・なさそう。ドアをトントンと二回ノックする。少し待つと、ドアが開いて、人が出てきた。その人は黒く、長い髪で、白いドレスを着てる女の人だ。
「いらっしゃい。あら、新しいお客さんね」
「あの!あの・・・私、寝ていたら、いつの間にかここに来てて」
「うん、いいのよ。時折ここへ迷い込んでくる人がいるの。とりあえず中へいらっしゃい」
「あっはい・・・」
私は、その女の人に誘われるように、館の中へ入った。館の中も薔薇のインテリアが置かれていて、本当に薔薇づくしだ。もしかして、私が薔薇を買ったから、こんな目に合っているのかな。
客間に通されると、私は、椅子に座った。
「今、お茶を淹れてくるね」
「あ、いえ、お構いなく・・・」
私は、どこかパニックになっていた。いきなりこんなところに飛ばされてきたんだから、無理はないのかも。頭の中がごちゃごちゃになっていて、何をどうしたらいいかもわからない。けど、不思議とこの場所から離れたいとは思っていなかった。なぜかわからないけど、心地いい。
「はい、お茶を淹れてきたよ」
「あっ、ありがとうございます・・・」
お茶を一口飲むと、不思議と、ほっとした。とりわけびっくりするほどおいしいものではなかったけれど、このお茶は、どことなく安心する。
「ふふっ、薔薇のお茶よ。お口に合ったかしら?」
「はい、ほっとしました」
「よかった」
女の人は微笑んでいる。なんだろう。この人の笑顔は、なんか、初めてじゃない気がする。もちろん初対面であることには間違いないのだけれど、どこかで見たことあるような気がする。
「それで、どうしてここに?」
「いえ、その・・・私は自分の部屋で寝ていたはずなんですけど、目が覚めたらここにいました・・・あなたは誰ですか?ここはどこですか?」
「待って待って、ひとつずつ行きましょ。私はここの管理人で、ここは・・そうね、信じられないかもしれないけど、夢と現実のはざまにある世界・・といったところかしら」
「夢と・・現実のはざま・・?」
信じられるわけがなかった。けど、それ以外にこの今の現状を説明できる言葉は、なかった。
「ここからは・・・出られないんですか?」
「もちろんその点は安心していいよ。あなたはいつでも自分の意思で、ここから出ることができるから。まあ・・・ここに来た道から反対の方向、つまり出口に向かえばいいだけの話だけれど・・・」
「はぁ・・・よかった・・・」
なんだかどっと疲れた。いきなりわけのわからない世界に飛ばされてきたのだけれど、帰り道がわかっただけでも安心できた。
「だけど・・・」
女の人がぐいっと、私に顔を近づけてきた。
「せっかくだから、さんぽしていかない?」
「え?」
「ほら、行こ?」
「えっあっ・・・はい」
私は女の人に連れられて、館を出る。まだお茶も飲み切ってなかったのに・・・
なんだろう、この人はどこか、強引だ。だけど、不思議とそれが嫌じゃない。なんというか、的確にいい方向にもっていってくれる。それがなんというか、悪い気分ではなかった。
「素敵でしょ?この庭全部が薔薇なの!」
「ええ、とても・・・きれいです」
改めて館の出入り口から、庭園を見渡す。さっきと同じ庭なのに、さっきとは違った景色で薔薇が見えるのは、どこか新鮮だった。
「さ、こっちこっち」
「あ、待ってください」
女の人の背中を追いかけるように、私はついていく。
「ここまで育てるの、大変だったんだぁ・・・きれいにできてよかったぁ・・・」
「あの、このお庭、おひとりで管理しているんですか?」
「ん?ううん、私と、たまに来てくれる庭師の人たちで管理してるんだ。それでも結構広いから、大変でねぇ」
「あの、ひとつ聞きたいんですが・・・」
「ん?いいよ?」
「薔薇を育てるのって、大変・・・ですか?実は今日薔薇を買って、その育て方がわからなくて・・・」
「なるほど、この私にまっかせなさい」
そういうと、女の人は速足ですたすたとどこかへ向かっていく。私もそれについていくけど・・ちょっと速足すぎる・・・
女の人が足を止めると、そこには様々の状態の薔薇がたくさんあった。まだ花の咲いていない薔薇、葉の多い薔薇、葉が変色している薔薇、その薔薇たちが、ちょうど私が今日買ってきた薔薇と同じぐらいの大きさの鉢植えに、植えられている。
「これはね、まだ花を咲かせていなかったり、病気にかかっちゃった薔薇を一時的に移しているの」
「なるほど・・・」
「例えばこのお花はね。病気にかかっちゃって、キレイにお花を咲かせられなかったの。だからこうして、病気になっちゃった葉を
女の人は、ドレスから剪定用のはさみを取り出すと、その葉をチョキンと切り落としてしまった。
「あの・・・いいんですか?葉はあんまり落とさないほうがいいって聞いたんですが・・・」
「うん、ほんとはね?でも病気になった部分は放っておくと、ほかの葉もダメにしちゃうから・・・手術しないとね」
「なるほど・・・」
「こうして葉を落とした薔薇には、落とした分こうやって・・・肥料をあげるの」
女の人は手の平に乗せた茶色い玉を見せてくれた。
「土の中に埋めるんです?」
「ううん、こうやって、優しく置くの」
「なるほど・・・」
女の人は肥料をちょんちょんと置いていく。慣れた手つきで、手早く、そして愛情をこめて・・・。私はそれをじぃーっと見ている。
「ふふっ、やってみる?」
「え・・・?いいんですか・・・?まだ何もわからないし・・・」
「大丈夫大丈夫!私も助かるし、育て方の勉強にもなるよっ」
「でも・・・」
女の人はにこっと微笑んで、私を見ている。
「はい・・・わかりました・・・やってみます」
「ほんと?ありがとう!」
私は女のひとから剪定用のハサミを受け取って、薔薇に向き合う。ちょうど、葉の色が悪い薔薇だ。
「これは・・・どうすれば?」
「これはね?ここをこうして・・この葉を切って・・・」
色の悪い葉を少しずつ切っていく。指示をもらいながら色の悪い葉を切っているけど・・・意外と大変。別の葉に隠れて見えなかったり、そもそもの量が多かったり、刺をよけたり。でも、この女の人は、どんなに状態の悪い薔薇でも、できる限りのベストな処理を施している。どうしてだろう。
「薔薇はね。育てるのがとっても大変なの」
「はい」
「どれだけ手を尽くしても、きれいな花を咲かさないことだってあるの。でもね、どんなに悪い薔薇だって、種を付け、茎をのばして、花をつける。そしていつかは、どの花よりも立派な花を咲かせるの」
「・・・」
果たして、本当にそうだろうか・・・。綺麗な花を咲かせたって・・・それがいいタイミングじゃなかったら、意味がない・・・。ちょっとムッとした。
「・・・でも・・・」
思わず声をあげる。
「ん?」
「でも・・・そのいつがわからないじゃないですか・・・今きれいにならなければ、意味がないことだってあるじゃないですか・・・」
「そうだね。今きれいに咲かないと、ダメなこともあるよね」
「・・・」
「でも、その今って本当に大事なのかな」
「えっ?」
「薔薇だって、いつが最も綺麗に咲くかはわからない。私は、人もそうだと思う。だから、今きれいに咲かなければならないってよりも、綺麗に咲いたその瞬間を、その時の今を、大事にしたほうがいいんじゃないかなって思うの」
「・・・」
手が止まる。本当は私だってわかってる。自分の今が最高でないことに。だから、周りが輝いて見えることに。私は、きれいな花を咲かせる薔薇の庭園で、ただ一つ、醜く花を付けない薔薇。周りから浮いて見えて、どの花壇にも合わない薔薇。それが私・・・。私は、いったいいつ、最高の花を咲かせるのだろうか。それは、本当にいいタイミングなんだろうか。そもそも、私は花を咲かせられるのだろうか。
わからない、わからない、わからない。
私は、私は・・・
「ほら、次はこの薔薇、やってみよ?」
私の前に一つの鉢植えが差し出された、それは、まだ茎と葉だけの薔薇。ちょうど、私が今日買った薔薇と同じ、今の私と同じ薔薇。刺をむき出しにしていて、何ものも寄せ付けない薔薇。
「えっと・・・これは・・・どうしたら・・・」
焦る。どうしたらいいか、わからない。何をすればいいのだろう。どうすれば、この薔薇を咲かせることができるだろう。
「ふふっ、まずは、土を見てみて?」
「はい・・」
よく見ると、土はふかふかの布団のようになっているが、乾いている。
「どうしたらいいと思う?」
「えっと・・・水をあげます・・・」
「うんうん」
女の人からじょうろを受け取ると、薔薇に水をあげる。
「あんまりあげ過ぎちゃうと、根っこが腐っちゃうから注意してね」
「はいっ」
土を湿らせる程度に、水をあげた。次は・・・どうしたらいいんだろう・・・
「次は・・・どうしたらいいんでしょう・・?」
「どうしたらいいかな?」
「えっと・・・剪定・・・ですか・・?」
「んーいいとは思うけど、その前に、見たほうがいいところがあるかもしれないね」
なんだろう・・必死に考えてみる。この薔薇をよりよくする方法とは・・・
「ヒントはね?茎を見てみて?」
「茎・・・」
茎には、鋭いとげが無数に生えている。まるで、何ものでも串刺しにしてしまいそうな、鋭利な刺。
「選択肢は二つ。この刺を取るか、取らないか。先に答えをいっちゃうと、どちらも間違いではない。あなたは、どちらを選ぶ?」
そう、この刺だ。何ものも寄せ付けない刺。この刺をとってしまっていいのだろうか?それは、ガーデニングとは、全く関係のない問題。刺をとってしまえば、きっと、管理はしやすくなるだろう。今の私なら、この刺を一つずつ取らなければならないとしても、きっと、その手間は惜しまない。でも、刺のない薔薇はどうなのだろう。それは、まるで気高さを失った、飼いならされた薔薇。自分で自分を保てない、ただの薔薇。でも、刺があると、私の手が傷つく。
私ははっと気づいた。この薔薇はきっと、私自身だ。私の分身で、今、私がどうあるべきかを迫られている。私は、何ものも寄せ付けない、孤高の薔薇でいるべきか、それとも、手入れのしやすい、飼われた薔薇でいるべきか。どちらがより、最高の薔薇となりえるか。どちらがより、最高の自分でいられるか。そして、どちらがより、綺麗な花を咲かせるか。私は・・・
「私は・・・」
「私は?」
「わかりません・・・一体どちらがいいんでしょう・・・」
「大丈夫。刺はまた生えてくるし、その刺は、いつでもとることができるよ。だから、今のこの薔薇を、どうしたいか。花が咲いたら、どちらがより美しいか、想像してみるのはどう?」
想像してみる。両方の薔薇を。そして想像の中で並べてみる。鉢植えに入った、一輪の薔薇。深紅の花をつけ、一方は刺があり、もう一方は刺がない。どちらが美しいだろう・・・。
私は、答えを出した。
「私は、この刺をとりません」
「それはどうして?」
「そのほうが美しいと思ったから・・・刺があるからこそ、薔薇は美しいと思ったから・・・」
「そっか」
「はい・・・」
「それは、あなたの決断。だから、私はその決断を尊重するよ」
「・・・」
「納得がいかない?」
「はい・・・刺がないほうが、やっぱり手入れがしやすいと思うから・・・」
「ふふっ。そうだよね。でも、どうして薔薇は刺があると思う?」
「えっ?」
考えてもみなかった。そもそも、薔薇はどうして刺があるのだろうか。きっとすべてのものを拒絶する、孤高でありたいから刺を得た。私はそう思っていた。
「薔薇はね、本当は寂しがり屋かもしれないの」
「それはどうして・・・?こんなにたくさんの、刺を生やしているのに・・・」
「うん。この刺は、手でちょっと触っただけでも、その手を傷つけてしまうの。でも、この刺は、いろんなところに引っ掛けて、より高いところに登ろうとするフックの役割もあるの。いっぱい太陽の光を浴びるためにね。本当は、自分のことを見てほしい。でも刺があるから近寄れない。そんな寂しがり屋な花なのかもしれないね」
「・・・」
まるで自分のことを言われているよう。いやきっと、私のことなのだろう・・・。私は・・・どうだろう・・・。刺がないわけではない・・・が天に向かって伸びているだろうか・・・。
「じゃあ、そんな寂しがり屋な薔薇が、最も綺麗に咲くためには、どうしたらいい?」
「えっと・・・それは・・・」
それは・・口にできなかった。わかっている。わかりきっている。そんなことはわかりきっているんだ!わかっているからこそ、いえなかった。
単純なこと。誰かに見てもらえばいい。認めてもらえればいい。そうすればきっと、花はきれいに咲くだろう。
わかっているんだ。だったら、誰にも見てもらえない、見向きもされない薔薇は、どうなってしまうんだろう。果たして、綺麗な花を咲かせることができるだろうか。私は否だと思う。だって、綺麗に花を咲かせても、誰にも見てもらえない。なら、綺麗に咲かせる意味がないじゃないか。
「違うよ」
「えっ・・?」
「みんなに見てもらえるから、綺麗に咲くんじゃないの。綺麗に咲くからこそ、みんなに見てもらえるの」
「っ!」
「だから薔薇は、必死にきれいに咲くための準備をするの。刺を生えそろえて、高く高く昇って行って、太陽の光を浴びて、花を咲かせる。だから薔薇は、人一倍花を咲かせるのに時間がかかって、人一倍、美しいの」
「でも!」
「ん?」
「でも・・・それでも!ほかの花のほうが綺麗だったら、その時間が、その努力が!全部無駄になっちゃうじゃない!」
「そうかな」
「えっ・・・?」
「花の中で、一番綺麗であることが、そんなに大事なのかな。私は違うと思う。だって、花はみんな綺麗でしょう?その中で一番を決めることは難しいし、もし一番が別の花であったとしても、薔薇の花は、美しいままだよ」
「っ・・・!」
反論できなかった。その通りだ。薔薇は、美しい。その事実は変わらない。もし醜く咲いたとしても、それは誰かの責任ではない。薔薇自身の責任だ。刺があろうがなかろうが。ほかの花が美しかろうが、薔薇は、美しいままなんだ。
「いろんな花の中で、薔薇は、薔薇自身の個性があるの。その個性は、ほかの花のどれとも違うし、薔薇の中でだって一本いっぽんちがう。その個性こそが、花の、薔薇の、そしてあなたの、美しさなんじゃないかって私は思うの」
「私は・・・美しい・・・のかな・・・」
「うん。とっても素敵だと思うよ」
「私は・・・美しくなんかない・・・周りからも浮いているし・・・きっと、誰も見てくれない・・」
「ううん。みんな見ているよ。あなたのことを」
「実感がないの・・・」
「大丈夫。私が保証するよ。だって、私も、あなたのことを見ているから。今も、そしてこれからも」
「うん・・」
「だから、せっかくだからさ」
「うん・・?」
「とってもきれいな花に、なってみる準備をしてみない?」
「なりたい・・・でも・・・どうしたら・・・」
「大丈夫、方法はもうわかっているよ。茎を伸ばし、葉をつけて、花を咲かせる。単純なことだよ」
「具体的には・・・どうしたらいいのかな・・・」
「それは・・・わからない。けど忘れないで。みんなが、あなたを見ている。それだけわかっていれば、きっと綺麗な花を咲かせるよ。ううん、きっとじゃない。絶対だよ」
「私は・・・刺だらけの薔薇だよ・・・?」
「ふふっ。刺だらけなら問題ないよ。その刺はきっと個性となって、より花を引き立てる。あなたはきっと人一倍個性の強い花なの。でもそれが、孤高になりえるわけじゃないの。それに刺が多いほうが、より高いところにいけるしねっ」
「私は・・・変われるかな・・・」
「変わらなくていいよ。その個性を磨いていこう?水をあげて、肥料を置いて、悪い葉を落として、剪定するの」
「私は・・・綺麗な花を・・・咲かせたい」
「大丈夫。もうつぼみが開きかけているよ」
「私は・・・私は・・・」
「ん?」
「私は、もう一人はいやだ。だから、綺麗な花をつけて、みんなと、いろんな花と一緒に、綺麗な花畑を作る」
「うん。どうすればいいか、もうわかっているね?」
「うん。茎を伸ばし、葉をつけて、花を咲かせる、だよね?」
「そうそう!もう、大丈夫だね」
女の人は、私の頭を優しくなでてくれた。それは、まるで薔薇の香りのように、私の心にしみわたって、満たしていった。
「さてと、もうそろそろ、おはようの時間かな?」
「えっ・・・?もう二度と・・・会えないのかな・・・」
「大丈夫。私はずっと見ているよ。あの花屋さんの軒先から、そして、あなたの部屋の机から、ずっと見ているよ」
ああなるほど。そういうことだったのか。どうりで見覚えのあるはずだ。この人は、ずっと私を見ていてくれたんだ。あの軒先で、私の机の上で。きっと、私を薔薇へ引き寄せたのも、きっとこの人なのだろう。私をここに呼び寄せたのも。私がしおれてしまっていたから、水をやりに私をここへ呼んだのだろう。
「それに、これが本当のお別れじゃないよ」
「ふぇ?」
「たまには手伝いに来てくれるとうれしいかなーって」
・・・締まらない・・・。けど嬉しいお誘い。
「うん。でも、どうやってここに来ればいいのかな」
「それは簡単だよ。ここへ来たいと思えば、いつでも」
「えへへ。毎日来ちゃうかも」
「それはありがたい!最近は人手が少なくて・・・」
「もう・・・あの」
「ん?」
「一つだけ、お願いがある・・ます」
「どうしたの?改まって」
「あの・・・私と・・私と、お友達になってくれる・・・ませんか?」
「ふふっ。もう。大丈夫。私たちはもう、友達だよ」
「えへへ。ありがとうございます」
「さっきまでため口だったから、敬語じゃなくてもいいよっ」
「ほんと?えへへ。嬉しい」
「本当にかわいいね。大丈夫、戻ったらきっと、ほかの友達もできるよっ」
「なんだか嬉しい」
「それに」
「ふえ?」
「綺麗な声だしねっ」
「ふぇ、あのえっと・・・あの・・・」
「ん?」
「最近・・歌うのにはまってて・・・聞いてみる・・・?」
「ほんと?ぜひぜひ!」
「えへへ。ちょっと恥ずかしいな・・・」
私はそのあと、一曲この人の前で歌ってみた。少し恥ずかしくなって、あんまり上手く歌えなかったかもしれないけど、管理人さんは喜んでくれた。なんだか恥ずかしい。でもとっても、うれしかった。別れの際に、管理人さんにお願いをされた。私の歌を、私の声を、私の買った薔薇にも聞かせてあげてほしいと。私の声で薔薇をほめて、薔薇と一緒に歩んでいったら、きっと薔薇は綺麗な花を咲かせるからと。薔薇も、私を見ているからと。
私は庭園をあとにすると、また、真っ白の世界の中に、意識を沈めていった。
気が付くと、私は机の上に突っ伏していた。重い頭を起こすと、私が買った薔薇が目に映る。そうだ。この薔薇を、きっと美しく咲かせて見せよう。どれだけ手が傷ついても構わない。それがきっと、あの人への恩返しにもなるかもしれない。それがきっと、私の花を咲かせることになるかもしれない。この薔薇をきっと咲かせて見せよう。一番綺麗な、薔薇の花に。
あれから、幾月がたった。学校では、それなりに友達ができた。意外なことに、友達の中で話題になったのは、薔薇だった。私にガーデニングの趣味があったことが、たいそう意外だったようで、何人かは私と同じく薔薇を育て始めた。私はその中で、薔薇の育て方を教えている。幼馴染も、私のことを心配していたようで、あれからもっと仲良くなった。幼馴染の入っているバンドの方も順調だそう。
私の部屋の薔薇は、少し形がよくなかったけど、綺麗な花をつけてくれた。きっと来年は、もっといい花を咲かせてくれるかもしれない。
ある日の帰り道、私はふっと、あの花屋の軒先の薔薇を見ていた。私の薔薇よりもきれいに花をつけていたが、どことなく、何かが足りない気がしていた。その薔薇は、花をつけてはいるが、どこか、もの悲しいような、寂しいような、そんな印象が目に映った。
そうだ。あれからしばらく、あの薔薇の庭園に行けていない。きっと、彼女も寂しがっているのかも。
それか、薔薇の手入れが追いついていなくて、疲れているのかもしれない。
いずれにしても、今日あたり行ってみようかな。私の力でいけるかどうかはわからないけど、きっと、彼女が呼んでくれると信じて。
「いらっしゃい。あら、新しいお客さんね」
薔薇の庭園 つばめ @tsubamewing
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