異世界勇者が、主人公になれるとは限らない世界。

萩原あるく

第一部:一章

第1話:さらば、キラキラネーム。

 初秋とは言え、肌寒さを感じる夜の校舎。誰もいない筈の屋上に、一人の男子生徒が立っている。

 いかに田舎の学校とは言え、夜の校舎に忍び込むのは容易い事ではない。

 彼の服装が学生服のままと言う事は、おそらく人がいなくなるまで何処かに潜んでいたのだろう。


「はぁ……」


 ひとつ深いため息をつくと、ふっと目を閉じる。

 十秒も経たないうちに、今までかけられた罵声が頭の中を巡り始めた。

 咄嗟に頭を振って目を開き、現実に意識を集中させる。


「もう……、ダメだ」


 眠る事はおろか、僅かな間目を閉じる事さえ苦痛になっていた彼は、充血した目を見開きながら、荒い呼吸を繰り返す。

 彼がこうなってしまった原因は、彼の名前にあった。

 キラキラネーム。

 耳障り良く言えばそんな呼び方だが、付けられた方は、たまったものではない。

 自己紹介する度に、信じられない物を見る様な目で見られ、毎日名前をネタにからかわれるのだ。

 まだ物理的な暴力なら、時が経てば治癒もするだろうが、言葉の暴力は治癒する事無く、心に澱となって積み重なってゆく。

 それはやがて心を侵し、精神を侵し、最後には肉体をも侵す。

 幼稚園へ入ってから十四年間、毎日言葉の暴力を投げ続けられた彼は、限界に達していた。

 焦点の定まらない瞳を右へ左へと彷徨わせ、ふらふらとした足取りで歩き始める。

 そして、屋上の淵まで辿り着くと、一度立ち止まり、


「こんな名前でも受け入れてくれる、異世界に行けたらなぁ……」


 そう呟いて、彼は屋上から姿を消した。




 それは、朝起きた時の様な目覚めだった。

 それも、ここ十数年感じた事の無い程の、清々しい目覚めである。

 目を開いた少年は、いつも胸を締め付けられるような息苦しさと共に起きて見る天井とは違う風景を見ていた。


「ここ、は?」


 思わず呟くと、自分の声にこれが夢ではないと実感する。


「お目覚めになられましたか!」

「おお!」

「成功でございますな!」


 複数の声が、自分の周りから聞こえてくる。

 声が響いているという事は、ここは何処かのホールなのだろうか。

 少年は、確かめる為に、体を起こす。


「誰?」


 周りには、見た事もない服を着た男女が、少年を取り囲んでいた。

 正確には見た事は有るが、それは現実ではなく、ゲームの世界での事だった。

 青地の服の上から、金銀の刺繍が入った白いローブ着こみ、胸には煌びやかに光るロザリオが垂れ下がっている。

 いわゆる僧侶プリーストという奴だ。

 彼らの後ろにある煉瓦作りの壁や、ステンドグラスは、現実でも見た事がある。

 ここは、どうやら教会の様だった。

(これは、もしかして……)

 少年は、ある事に思い当たったが、口に出す前に僧侶の一人が話しかけて来た。


「これは、これは、勇者様。我々の召喚に応じていただきまして、感謝の極みにございます」


 恰幅の良い一番年長そうに見える老人が、少年の元へと、ゆっくり歩み寄ってくる。

 

「勇者……召喚」


 少年は確信した。これは夢にまで見た『異世界転生』だと。

(いや、生まれ変わってないから異世界転移? 異世界召喚?)

 少年があれこれと考えている内に、傍まで来ていた老人が、いかにも人の好さそうな笑顔を張り付け、ゆっくりと手を差し伸べて来る。

 どこからどう見ても営業スマイルっぽいそれは、胡散臭さが半端ない。

 しかし、気分の良かった少年は、そんな事お構いなしに老人の手を取り立ち上がった。 

 何せ、異世界で勇者だ。特別な能力で俺TUEEである。この老人が何者であろうと、少年は最早どうでもよかった。

 早く話を済ませ、魔法とか秘められた力で俺TUEEしたかったのだ。

 

「何処の魔王を倒せばいいんですか?」


 少年は興奮した様子で、老人に話しかける。


「へ? いや、まずはお名前をお教え願えますかな?」


 名前。

 予想外の返答に、一瞬にして少年は固まってしまう。

(いや、落ち着け、ここは異世界だ。キラキラネームなんて当たり前の世界だ。でも、もし日本の様な名前の人ばかりだったらどうしよう。異世界に来てまで名前で馬鹿にされたら、今度は何処に転生しろと言うのだ。と言うか、次も転生できるとは限らない。)

 目は見開いて、胡散臭い笑顔の老人を見たままだが、少年は頭の中で永遠とも思える程の試行錯誤を繰り返していた。


「勇者様?」


 老人が、不思議そうに少年の顔を覗き込む。


「……まさる」

「はい?」

「さとう まさる」


 苦悩の末、少年の導き出した結論は『日本人らしい普通の名前』だった。

 即ち、偽名である。

 彼はこの時、自身の本当の名前キラキラネームと決別し、異世界で『さとう・まさる』として生きて行く事を選んだのだ。


「ほほう、確か勇者様の国では、後の方が名前でしたな。では、まさる殿で宜しいでしょうか?」


 まさる(偽名)は、静かに頷く。

 名前の並びを知っているという事は、自分より前にも日本人が召喚されたのだろう。自分の選択が間違いで無かった事に、まさる(偽名、以後省略)は人知れず胸を撫で下ろしていた。


「って言うか、僕の前にも召喚した人いるの?」

「ええ。勇者召喚も、我が教会の生業の一つですので」


(生業って、商売かよ!)

 まさるは、心の中で突っ込みを入れつつ、胡散臭い営業スマイルの正体に納得した。


「それではまさる殿、依頼者へ紹介いたしますので、こちらへどうぞ」


 依頼者がいるという事は、自分はその人に呼ばれたという事で、用があるのはこの胡散臭い僧侶ではないという事だ。

 老人は、まさるの手を繋いだまま歩き始める。

 突然、暴れ出さない様にする為だろうが、その手はがっちり握られており、老人とは言え振りほどけそうになかった。

 勿論、暴れる気など毛頭無かったのだが、冷たくてしわがれた手が気持ち悪い。

 暫く我慢して大人しく付いて行くと、やがて出口らしき扉に行き当たる。

 両脇に控えていた、下っ端らしき僧侶が出口の扉を開くと、そこには銀色の長髪を肩まで伸ばした人物が、待合室のベンチっぽい所に、項垂れて座っていた。

(お、異世界美少女との出会いか!)

 まさるは、そんな期待を込めて顔を覗き込んだが、扉の音に反応して上げた顔は、期待に反しておっさんだった。

 ロン毛のおっさん。

 まさるは一瞬、音楽室に飾ってある肖像画が脳裏をよぎった。毛先がカールしてない奴だ。


「おお! 成功するとは流石、世界に冠たるエドガール枢機卿。我が国、ラダールも大枚はたいた甲斐があると言うものでございます。」


 音楽室の肖像画が、老人の連れている少年を見て破顔したかと思うと、駆け寄って思いっきり僧侶の手をぶんぶん振り回し始めた。

 ロン毛のおっさんの清々しい笑顔は、正直ちょっとキモい。そのままの笑顔でこっちに来たら、まさるは殴り倒そうかと考えていた。


「しかも、今月は特別月間といたしまして、ガロイア神の加護がおまけに付いてお値段据え置きですからな。ラダール王国も運がよろしい」


 手をぶんぶん振られ、全身をガクガク揺らしながらも、エドガールと呼ばれた老人が営業スマイル全開で肖像画に応える。流石商人だ。 

(クーリングオフは効くのだろうか)

 そんなどうでもいい事を思いつつ、まさるが二人のやり取りを眺めていると、エドガールがまさるを前に押し出し、肖像画に紹介を始めた。


「こちらが、今回の召喚者、さとう・まさる殿です」

わたくし、ラダール王国の宰相、セバスチャン・バーレイと申します。勇者まさる殿、召喚にお応えいただき、まことに有難うございます」


 セバスチャンと名乗った肖像画が、キリっとした顔に変わり姿勢を正すと、優雅に一礼する。

 

「さとう・まさるです。宜しくお願いします」


 まさるは挨拶を済ませると、殴らないで済んだ事に安堵した。

 

「もし、失敗していたら私の首もありませんでしたからな!」


 再び爽やかな笑顔になりながら、セバスチャンが物騒な事を言い始める。

 どうやら、召喚と言うのは失敗する事があるらしい。

 彼は、ラダール王国の中では王族に次ぐ権力者であり、今回の勇者召喚に関する最高責任者との事だった。

 もし、召喚が失敗していれば、彼は責任を取って全てを失う事になっていたそうだ。

 そう、命さえも。

 それ程までに、ラダールと言う国は危機に瀕しているのだが、今のまさるの中では肖像画が執事に変わった程度の認識だった。


「では早速、伝説の武器と防具をください」


 早く伝説の武器で、俺TUEEしたいまさるは、セバスチャンに両手を差し出す。


「へ? ああ、それは本国ラダールへ着いて、国王様へ謁見した後でご相談くださいませ」


 一刻も早く本国へ帰り、国王に報告したいセバスチャンは、差し出されたまさるの手を引っ張ると、そそくさと教会を後にした。




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