Chapter0-2 腐った獣共の襲撃
雪に覆われた山道をポスターが進み、その背中を追うようにイーヴァたちが続く。
風の勢いが強まっていくのを防寒着越しにイーヴァが感じていると、足下の大地が僅かに揺れた。
先頭にいたポスターがその場に立ち止まって右腕を背中にまわす。
後ろについていたイーヴァ隊一行はそれを見て歩みを止めた。
「どうしました?」
ポスターのすぐ後ろについていた若い隊員の一人がポスターに状況を尋ねる。
だがその問いに対する返事はなく、ポスターは微動だにせずただ雪の彼方を見つめていた。
その緊迫した様子から、イーヴァ隊の面々はそれぞれ感覚を研ぎ澄まし、周囲のどんな些細な変化も見落とすまいと身構えた。
「……隊長」
「うん、”グール”の気配がする。 気を付けて」
了解──イーヴァの指示に隊員が頷くのと、隊列の先頭でポスターが声を出すのは全くの同時であった。
「伏せろ!」
不意に響いたポスターの声。
その直後、猛烈な突風が隊列を襲う。
最後尾にいたイーヴァは風に飲み込まれて呼吸ができなくなる。
咄嗟に身を屈めたこともあり、それはほんの一瞬だったが、彼女はとても長い時間何か巨大な存在に首を押さえつけられているような感覚を覚えた。
隊列が突風に飲み込まれて生じた一瞬の隙を狙ったかのように、背の低い影が猛烈な勢いで隊の横から飛び掛かる。
腐りかけた肉が擦れる音。
風穴の空いた喉から漏れる荒々しい息。
すぐそこに潜んでいる死の気配――その感覚はイーヴァの鼓動を早め、彼女をいち早く現実へと引き戻す。
イーヴァは吹雪にまぎれて飛び出した影を見逃さなかった。
影の飛び出した方向には、突風から未だ状況を把握しきれていない隊員がいる。
イーヴァが右手を強く握ると、装着していたグローブが変形し、拳を全体を包む金属の装備が露出した。
空間を引き裂く、高熱と破裂音。
イーヴァの拳先が閃光を放ち、稲妻を纏う。
今まさに隊員の喉を食い破ろうとする影に向けて、彼女は猛烈な勢いで右腕を振り抜いた。
青白いスパークと火花が宙に舞い、隊員に飛び掛かった影はその身を抉られながら吹き飛ばされ、隊列の先頭にいたポスターが宙に投げ出された影に銃口を向けて引き金を引いた。
鈍い炸裂音が響いた後、影は地面へと落下した。
一呼吸ほどの間に影──腐乱した獣の死骸が隊員の足下へ転がる。
その腹部は大きく抉られ、残った周囲の肉は焼け焦げて煙をあげており、そして脳天には大きな風穴が空けられていた。
それを見下ろす隊員は少しの間うめくような声をあげて、絞り出すように声を出した。
「……あ、ありがとうございます」
それから彼は控えめな抗議の視線をイーヴァに向ける。
「ねえ隊長?
助けてくれたことにはホント感謝なんですけど、俺の顔面の真横で”雷装”を使う必要ありましたか……?」
「しょうがないでしょう。
だってグールにはこれが一番効くんだもの」
「あと数センチずれてたら俺も死んでましたけど!」
「その時は死因を選べるほどの徳を積めなかったことを後悔しなさい」
「ひどい!?」
隊員はうろたえながらも体勢を立て直し周囲の警戒に戻る。
イーヴァとその部下のやり取りを横目に見ていたポスターは、状況が落ち着いたことを確認するとまた視線を前方へと戻した。
イーヴァ隊が周囲を警戒する間、彼は再び進行ルートの状況を確認する。
そんな彼の足下には先ほどとは別に数体のグールが脳天を貫かれた状態で転がっていた。
人間達が暮らす都市の外、いわゆる”外地”にはいたるところにグールと呼ばれる獣が潜んでいる。
それは生者を害することしかできない理性を失った存在の総称であり、グールに傷つけられた生き物は自らもグールと成り果て、その身体がどれだけ朽ち果てようとも生きた動物を求め彷徨い続けることとなる。
自衛の手段を持たない人間が都市の外へ出ることは非常に困難なことであった。
グールの襲撃を凌いだ後も、ポスターは自分が何かに捉えられているような感覚を拭えきれずにいた。
彼は自分の感覚を頼りに数歩前に進み、ゴーグルの中で目を凝らす。
グールとはどんな種であれ集団で狩りをするものである。
つまり先ほど襲い掛かってきたものは群れの斥候役であることは間違いなく、恐らく雪のもやの向こうでは他に何匹かのグールがこちらを襲う機会をうかがっているのだろう。
しかし彼は、グールとは違うもっと別の何かが近づいているような気がしてならなかった。
グールが襲いかかってくる前に感じた大地の揺れ。
あんな揺れをたかがグールの一個体が出せるはずはない。
そう考えるポスターの脳裏からは、一つの予想が離れなかった。
思索するポスターの体を風が叩く。
その時、雪のもやが動き遠くの山頂が一瞬その姿を現した。
どこまでも横たわる山脈。
その谷間となった部分で大きな影がゆらめく。
「ああ、ちくしょう」
舌打ちとともにポスターがつぶやく。
それは脳裏から追い出すことのできなかった予想が彼にとって「最悪」の現実となったことを認める一言であった。
彼はすぐさま後方を振り返って叫ぶ。
「“巨影”だ!」
しかし、その声は後方のイーヴァたちには届かない。
ポスターが叫ぶよりも早く山全体が大きく揺れ、轟音とともに雪の積もった大地が突如崩壊し始めたのだ。
雪に包まれた山中で、ポスターここまで見出してきたルートに間違いはなかった。
彼が立っていた場所は本来であれば雪の下に堅い地面の続く山道である。
しかし今、ポスターの眼前では大地が割れ、その裂け目はみるみるうちに大きくなり、瞬く間に形成されていくクレバスは彼を飲み込もうとしていた。
厚く積もった雪が塊のまま滑り、地の底へと落ちていく。
ポスターがその流れに逆らって大地の崩壊の及ばない位置まで退避した時には、目の前には巨大な谷が出来上がっていた。
辺りには雪が舞い、白いもやで景色は全く見えなくなった。
谷の向こう岸も見えず、先ほどまで共に列を組んでいたイーヴァ隊の姿を確認することもできない。
ポスターは、自分がイーヴァ隊と完全に分断されてしまったことを理解した。
少し間をおいて、ポスターの所持していた通信端末が振動する。
『センパイ! 大丈夫ですか!?』
イーヴァの声が響く。
ポスターは聞き覚えのある声に安堵し、息を吐いた。
「ああ、聞こえてる。 そっちは無事かい?」
ポスターがそう言うと、端末の向こう側からも安心したような声が聞こえた。
「ええ、はい。 私の隊は全員無事です。
ただ、こっちからはセンパイの姿は見えませんね……」
「ああ、僕の方からも君たちを視認することはできないな」
急ぎ、ポスターとイーヴァは端末越しにお互いの状況や荷の確認を行った。
どちらにも大きな負傷はなく荷も全て無事であったが、両者を分断する谷をすぐに越えることは難しく、すぐ合流することはできなさそうだった。
「イーヴァ、こうなった以上荷を同時に届けるのは難しい。
二手に分かれて町を目指そう」
『そうするほかありませんね…わかりました。
私もそれがいいと思います。
短く迂回するルートを設定すれば、センパイの到着からそう待たせずに到着できるかもしれません』
端末から聞こえてくるイーヴァの言葉に、ポスターはしばし思案する。
「いや──それはやめた方がいいだろう。
きみたちはいったん雪もやの薄い地点まで引き返すんだ」
『……何か、あったんですか?』
「さっきの地割れの直前、山間に巨影を目視した。
方角的に、このまま進むと町へ着くまでのどこかで遭遇する可能性が高いだろう」
『こ、このタイミングで巨影ですか!?』
イーヴァが信じられないといったふうに声を上げた。
巨影とは、人間の背を遥かに超える正体不明の怪物である。
サイズにばらつきはあれ、小さなものでも大きさは十メートルほどはあり、吹雪や霧などが立ち込めた場所に稀にその「影」が現れることがわかっていた。
影の中の実体を確認できた者はおらず、巨影自体も直接物理的な干渉を行うことはないが、それが現れた場所では必ず地図が書き換わるほど大規模な雪崩や土砂災害が発生するという共通点があった。
現状ではイーヴァ隊はその状況に対処できるほどの用意はできてはいない。
荷の保護が困難であるということもあったが、ポスターとしては、彼女らを今の状態で巨影に遭遇させたくはなかった。
端末越しのイーヴァ自身も、巨影の引き起こす大災害を前にして輸送任務を遂行できるかわからないことを理解しているようだった。
『……まってください。
センパイはこのまま先へ進むつもりですか?』
「ああ、進む。
最低限でも荷を届けられれば向こうでも間が持つだろうからね。
それに僕ひとりであれば巨影に遭遇してもまあ、生きて帰ってこれる」
ポスターにとってこの言葉は決して虚勢ではなかった。
彼はこれまでに多くの任務をこなし、その中で巨影と遭遇したのも一度や二度ではなかった。
とはいえ危険を伴うことに変わりはなく、イーヴァもそれを知っているためか何度か食い下がるような言葉を口にした。
しかし、少しばかり間をおいてから彼女は自分を納得させるように返事をした。
『わかりました。
……本来であれば、リンクである私たちが負うべき責任を押し付けるような形になってしまい、申し訳ありません』
「一緒の任務を受けてるんだからさ。
責任だとかそういうの、いいんだよ」
『でも…、うう、すみません』
イーヴァが申し訳なさそうな声を上げた。
「周囲の景色がある程度見える場所なら、巨影の災害に巻き込まれることもないだろう。
時間が経てば雪も晴れるだろうから、それに合わせてなるべく早く町へ向かってきてくれ」
『わかりました、必ず届けます。
センパイも気を付けてください』
「ああ、もちろん」
そう言ってポスターは端末の通信を切ると、辺りには雪を乗せた風の音が響くだけとなった。
「さて……」
ポスターは軽く伸びをしてから荷の詰まったザックを背負い直し、吹雪の中に向かって走り出した。
口から漏れる白い吐息が辺りの空気の中へ溶ける。
背後で、雪もやに紛れて灰色の瞳がその様子をじっと捉えていた。
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